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最弱魔法で追放されたけど、田舎で畑を耕したら世界樹が芽吹きました  作者: しげみち みり


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第42話「西北の深淵──止まる拍」

1. 深淵の入口――動かぬ影


 氷河を越え、西北の荒野を進むと、大地は黒く沈み、やがてどこまでも落ちていく裂け目に行き着いた。

 覗き込むと、底は見えない。風も吹かない。音も吸われる。

 俺たちの足音は一歩ごとに止まる。砂利を蹴っても、石が落ちていく音は続かず、途中で切断された。


 「……返ってこない」ロナが低く呟く。

 「いや、返らないのではない。返る前に止まっている」カサンドラが板葉を開く。

 湧き水の脈を掌に沈めたが、指先の鼓動は一度打ち、二度目で途切れた。

 「拍そのものが凍結ではなく、停止している」


 ここは西北の深淵――時間と音と拍が止まる土地だった。


2. 深淵の村――息を数える人々


 裂け目の縁に、かろうじて暮らす人々がいた。

 彼らの顔は白く、目の下には深い隈が刻まれている。

 「ここでは、呼吸すら途中で止まる。だから私たちは息を数えて暮らすのです」村長が語った。


 村人たちは息を一から十まで数え、十で止める。その後は沈黙。

 数を再開するのは、空に星が瞬くのを見届けた時だけ。

 「息を止めれば、時間が止まる。だが再び数を始めれば、時間がまた少しだけ動く」


 子どもが「母」と呼んだ声は、口から出た瞬間に止まり、深淵の底に吸い込まれた。

 数分後、深淵の縁で「……母」と途切れた声が返ったが、それはすでに冷え切った声だった。


3. 席の失敗――止まる天板


 俺たちは席を出そうとした。

 葦の脚を打ち込む音は一拍で止まり、脚は宙に浮いたまま硬直した。

 布を広げても風に揺れず、半端に広がった状態で動かなくなる。

 色鈴は揺れるが、音は途中で切れ、鳴らない鈴となった。


 「座が止まっている……」テールが唇を噛む。

 「止めるのではなく、再開させる席が必要だ」ミレイユが沈黙を破った。

 「止めることが拍なら、次は動かすことが返しだ」カイルが鍬を地に突き立てた。


4. 再開の規


 俺たちは新たな規を定めた。


 一、名を呼ぶときは途中で止め、次の拍で再開する。

 二、粥は半分で匙を止め、再び口に運んで完成させる。

 三、文字は途中で止め、翌朝の光で続きを書く。


 「未完のまま止める。だが再び動かして拍を繋ぐ」


 試すと、止まった音が再び動き、氷河で凍った声とは違い、温度を保ったまま返ってきた。

 「止めることが始まりであり、動かすことが返しになるのだ」カサンドラが結んだ。


5. 再開の粥


 粥を椀に盛り、匙を半分で止める。

 そのまま十拍を数え、再び口へ運ぶ。

 「……あたたかい」ロナが目を細める。

 「凍る前に止め、止めたまま保つことで、再び温かさを取り戻すのだ」

 残した半分は椀で冷えずに待ち、次に口に入れると最初と変わらぬ温度だった。


 「粥がい……」俺が声を止める。

 深淵から返る拍に合わせて、「……いい」と続けた。

 「粥がいい」

 声は途切れず、止めと再開がひとつに繋がった。


6. 深淵の盟


 席に短く刻む。


深淵の盟

一、名も声も途中で止め、次の拍で再開する。

二、粥は半分で止め、残りを再び口に運ぶ。

三、文字は翌朝に続け、未完を保ちながら繋ぐ。

四、止めと再開を恐れず、一拍を二度で結ぶ。


 署名は途中で止めた文字を、翌朝に書き足す。

 その未完と完成が重なり、盟を形作った。


7. 王都と紅月の適応


 王都の官は帳簿を半分で止め、翌朝に続きを記した。

 数字は二重に並んだが、不思議と誤りはなく、正確さを増していた。

 紅月の祈祷師は祈りを途中で止め、夜明けの光で再開した。

 「途切れる祈りは、むしろ二度強く響く」

 深淵の村人たちは涙を流し、止まっていた会話を再び結び始めた。


8. 偽の再開


 夜、深淵の向こうから「止めずに続けよ」と叫ぶ声がした。

 無理に言葉を続けると、すぐに声は深淵に呑まれ、二度と返らない。

 偽の声は村の若者を惑わしたが、席に座らせると、止めた半分の言葉だけが返り、続けた部分は空白になった。

 「止めなければ返らない。止めてこそ再開がある」

 ラグが鍬を突き立て、席の端に印を刻んだ。


9. 深淵の祠


 深淵の奥には、石を積んだ小さな祠があった。

 中には、途切れ途切れの声が溜まっていた。

 「……か……」「……いい……」

 数百年の声が止められ、いまも再開を待っている。

 俺たちは粥の半分を祠に捧げた。

 すると声は繋がり、「粥がいい」と一斉に返った。

 「止められた声も、再開を待っていたのだ」ミレイユが涙を拭った。


10. 砦への返歌


 砦に戻ると、湧き水の脈は一度止まり、次に再び打った。

 色鈴は途中で止まり、数秒後に再び鳴った。

 「止めと再開が拍になる……」カサンドラが記した。

 「粥がいい」

 声は二度に分かれ、やがて一つに戻った。


11. 次の拍


 世界樹の枝葉が、途中で止まり、しばらくして再び揺れた。

 「南西の荒野……時間と空間が二度に裂ける土地だ」

 俺は匙を半分で止め、次の拍で口に運ぶ。

 味は変わらず、温かさも続いていた。

 粥がいい。

 止めと再開を経て、その言葉はより強く胸に残った。


つづく

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