第34話「境を越える風──余白の外」
1. 誰のものでもない余白
砦の広場。
色鈴は五つ揺れ、粥鍋の湯気が穏やかに立ちのぼる。
だが湧き水は、今までとは違う返しを見せていた。
掌を沈めた瞬間、拍が“外”へ流れていく。
東西南北、空と地下、枝の外の神話すら含めたすべてが、ひとつの流れになり、さらに外へ抜けていく。
「……余白の外だ」
ロナが声を落とす。「名も、祈りも、語りも残らない。記すことすら“過ぎる”」
「境を越える風」カサンドラが板葉を伏せた。「余白を読んだ者すら、ここでは余白になる」
2. ざわめきの形
夜。砦の境席に、見知らぬ影が並んだ。
王でも紅月でもない。商隊ですらない。
――読み手たち。
彼らは名を名乗らず、ただこちらを“読む”ように視線を注ぐ。
「……語りの外から覗いていたざわめきが、形になったのか」シアンが喉を鳴らす。
ミレイユは輪唱を止め、ただ両手を組んだ。「読まれる前に、私たちが読んでいると示さなきゃ」
3. 席の設計──読まれ方を返す
テールが緑糸を広場に張りめぐらす。
糸は風を拾い、空気の震えを書かない文字に変える。
中央に白布を吊り、色鈴を四方に下げ、掌印石を輪に置く。
規を定めた。
一、名は書かず、読まれる前に読む振りをする。
二、声にせず、粥を二口すすぐことを返事とする。
三、削った余白を再び差し出す。――読み切らせない。
「読まれ方を返す席……“反読の席”だ」カイルが鍬の背を白布に預けた。
4. 読み手との対峙
影たちが動く。
白布の上に、勝手に“筋”が浮かぶ。
――「砦は滅び、世界樹は枯れる」
――「英雄が死に、粥は涙で塩辛くなる」
だが俺たちは声を上げない。
ただ、粥を二口すすぐ。
湯気が白布を曇らせ、筋はにじんで消える。
「読ませない。読まれる前に、私たちが“味わう”」ロナが匙を置く。
影はざわめき、だが筋は残らない。
余白だけが席に積もっていく。
5. 誓い──反読の盟
白布に跡を残す。
誰の文字でもない、誰の名でもない。
ただ、余白を削った跡。
反読の盟
一、読まれる前に読む振りをする。
二、返事は粥の二口。
三、筋を残さず、余白を差し出す。
読み手たちは沈黙し、やがて溶けるように消えた。
余白だけが残り、砦の灯りはひときわ柔らかくなった。
6. 返り風と次の拍
夜半。湧き水が大きく息を吐く。
返り風が砦を包み、色鈴が順に鳴った。
――東、西、北、南、空、地下、神話、余白。
すべての席がひとつの拍に繋がった。
「……これが境の外の返りだ」
ミレイユが頬を紅潮させる。「続け方が、もう“物語”よりも速い」
カイルが鍬を担ぐ。「なら、明日も耕せる」
ロナが粥を差し出す。「粥がいい」
誰も笑わなかった。
ただ粥の温さが、余白の風を静かに抱いた。
つづく




