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最弱魔法で追放されたけど、田舎で畑を耕したら世界樹が芽吹きました  作者: しげみち みり


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第27話「東の海──溺れる祈り」

1. 出立と予兆


 砦の広場に、いつもと違う匂いが混じった。

 粥の湯気に塩の香り。世界樹の葉に白い粉が付着し、湧き水の拍が重く沈む。


「……海だ」

 ロナが口を覆い、しょっぱい指先を見つめた。

 「風に乗って、海が来ている。まだ見えぬのに、拍が届いている」


 板葉には新たな脈が描かれていた。南から湿りを、北から乾きを受け取った世界樹の根が、東へと伸びている。

 その先にあるのは、大陸を抱え込む広大な水。

 「東の海。祈りが溺れる場所」

 カイルが呟き、ラグは鍬の柄を肩に担ぎ直した。

 「祈りが溺れる? 祈りは火を呼ぶもんじゃねえのか」

 「海では違う」カサンドラが板を叩く。「声を合わせても波がさらい、返事が遅れる。夢すら海に奪われると聞く」


 俺たちは出立を決めた。

 同行するのは俺、カイル、ラグ、ロナ、ミレイユ、テール、文官のシアン、そして種火の年少組から二人。

 湿原から持ち帰った葦と、石守の誓石のかけらを荷に加える。

 「息を溺れさせないために」――それが旅の目的だった。


2. 海辺の村


 三日の行程。

 山を抜け、谷を渡り、潮風が肌を叩いた。

 やがて視界に広がるのは、果てのない水の平原。

 波が寄せ、砂をさらい、空気に湿りを混ぜる。


 海辺の村は岩礁に寄り添うように建っていた。

 屋根は低く、壁は石と藁で固められ、窓は狭い。

 人々は海を背にし、声を短く交わす。

 「網」「舟」「潮」。

 言葉は三音を超えない。長く続ければ、すぐに波に呑まれてしまうからだ。


 広場で出迎えた村長は、背を丸めた老人だった。

 「名は要らぬ。波に呑まれる。……来たか、砦の守り人よ」

 「砦から来た。鍬を持つ者だ」

 俺が答えると、老人は頷き、短く言った。

 「なら、夢を見るがいい。海はすべてを夢にする」


3. 溺れる祈り


 夜。

 宿舎に横たわると、すぐに夢に沈んだ。

 夢の中で俺は海に浮かび、声を上げた。

 だが声は届かず、波にさらわれ、遠くで誰かが同じ声を上げていた。


 ――同じ夢。

 朝、目覚めたとき、村人も仲間も同じ夢を見ていたことを知った。

 「海の村は夜ごとに夢を共有する。祈りを海が呑み、返すときには夢に変える」

 ロナが額を押さえ、疲れた目を細めた。

 「これでは眠っても休まらない。夢が重なれば、いずれ心が溺れる」


 村人たちの顔色は悪い。

 子どもは目の下に隈をつくり、大人は作業の合間にぼんやりと立ち尽くす。

 「昔は唄で凌いだ。波に合わせて低く唄えば、夢は薄まった。だが、王都の祈祷師が“潮祷”を導入してから、余計に夢が濃くなった」

 老人が吐き捨てるように言った。


4. 席の試み


 俺たちは広場に席を設けた。

 湿原の葦を脚に、石の板を天板に、境席を波打ち際に浮かべる。

 「名を置け。夢に呑まれぬように」

 だが、置かれた名や石はすぐに波音にかき消された。


 輪唱も試みた。

 しかし音は砕け、返ってこない。

 「波が返事を遅らせる。……拍がずれる」ミレイユが譜面を抱え、歯を噛んだ。

 「ならば声ではなく形で」テールが粘土板を差し出す。「模様を刻み、潮に流せば、返事を待たずに済む」


 俺たちは粘土に模様を刻み、席に置いた。

 潮が寄せ、模様を削る。

 削られた線が新しい拍を示す。

 「……拍が残った」ロナが低く言う。「波を通じて返ってきた」


5. 紅月と王都の船


 翌日。

 沖から二つの船が近づいた。

 ひとつは紅月の黒船。ともには赤布が翻り、船首には刃の紋。

 「海を裂く舟だ」カイルが唸る。「速いが、波を殺す」


 もうひとつは王都の祈祷塔を載せた船。

 高い塔の頂に祈祷師が立ち、声を伸ばしている。

 だが声は波に呑まれ、村には届かない。

 「高くても届かぬ」ミレイユが首を振る。「祈りは溺れる」


 広場の席に二者を呼ぶ。

 紅月は舟の速さを誇り、王都は塔の高さを主張する。

 「速さは返事を切る」「高さは返事を遅らせる」

 カサンドラが板葉に記し、村人たちは黙って頷いた。


6. 潮の紋


 夜。

 夢にまた海が現れた。

 今度は波打ち際に、模様が刻まれていた。

 砂に刻まれた螺旋が、潮に削られて崩れる。

 崩れると同時に夢が浅くなり、目覚めが軽かった。


「砂に刻む。……これが答えだ」

 朝、俺は鍬で浜辺に模様を描いた。

 螺旋、波、輪。

 村人たちも指で、棒で、足で刻み始める。

 潮が寄せ、削り、模様を消す。

 「消えたときに夢が吐き出される」ロナが言った。「潮が拍を返すのだ」


7. 祭の実験


 村全員で砂紋を刻む祭を行った。

 輪唱は短く、波に合わせ、影抜き粉を砂に振る。

 子どもも老人も一緒に、浜辺を歩きながら模様を描く。

 潮がそれを削り、模様は夢ごと海に飲まれる。


 夜。

 夢は浅かった。

 溺れることなく、ただ波の音を聞いて眠った。

 「眠れた……」村人たちの声が震えた。

 赤子の泣き声が初めて途切れ、老人が深く眠った。


8. 海の誓い


 翌日、村人たちは砂紋を拓本にして席に置いた。

 「名は砂に刻む。潮に削らせる。それが我らの“名”だ」

 紅月も王都も席に呼ばれ、砂紋を置かされた。

 「速くても、削らねばならぬ」「高くても、削らねばならぬ」

 それがこの村の掟となった。


9. 砦への返歌


 拓本を板葉に写し、砦へ送り返す。

 広場に届いたとき、火は塩の匂いを帯びた。

 粥に海の味が加わり、人々は驚きつつも笑った。

 「粥がいい」リオンが椀を掲げる。

 砦は再び拍を得た。


10. 次の拍


 夜。

 湧き水に掌を沈めると、脈は深く、東からの冷たい流れを吐き出していた。

 だが、さらに奥から別の気配が迫っていた。

 ――西。

 山と闇の匂い。祈りを燃やさず、息を奪う闇。


 「次は西だ」

 俺は鍬を立て、世界樹の葉を握った。

 葉は黒く、冷たく、だが脈を刻んでいた。


つづく

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