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最弱魔法で追放されたけど、田舎で畑を耕したら世界樹が芽吹きました  作者: しげみち みり


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第25話「南の湿原──吐き戻しの道(みち)」

1. 出立の息


 夜の終わり、世界樹の葉は濃い青で震え、湧き水の脈は南へ向かう拍を刻んだ。

 俺たちは最小編成で出る。ラグ、カイル、ミレイユ、文官、テール、ロナ、そして“種火”の年長組二人。

 リオンは王都で“名を伏せる日”の余燼よじんを見張る役目を続ける。境席で交わした約束のとおり、「道を拓けたら追う」。――だから、俺たちが先に道を作る。


「湿原は祈りを飲む。飲んだ祈りは、いつか吐き戻す」

 ロナの言葉が、背中の水囊の重みを強くした。

 “飲んで吐く”のは砦の堀で学んだことだ。違いは、ここでは土が水に負けているという一点。土が形を保てない場所で、どうやって“道”を刻むか。


「席を浮かべるさ」ラグが笑い、荷車を指で弾く。「脚じゃなくて舟で支える境席だ。沈む前に拍で渡す」


 老婆は見送りに出て、泥袋をひとつ、それから長い葦の束をくれた。

 「喉は泥、足は葦。腰は欲張らず、歌は低く」

 「歌は腹で」俺は応え、世界樹の根に手を当てた。拍は深く、南に冷たい反拍が潜んでいる。


2. 湿りの国の門


 二日の行程で、地の色が変わる。

 草が短くなり、土は湿り、風が言葉を重くする。

 やがて現れたのは、葦と水鏡の果てのない混ざり合い――南の湿原だ。

 踏み入れる最初の一歩で、靴が沈み、喉が飲み込まれる感覚に襲われる。


「吸われる……」

 ミレイユが眉をひそめる。「祈りじゃない。呼吸そのものが吸われてる」

 カイルが膝をついて泥を嗅ぐ。「水が“息”になっている。風より遅い、けれど逃げ場のない息だ。――拍を作ってやれば、動く」


 テールが葦を束ね、緑糸でいかだを編む。

 俺たちは携行の境席を分解し、板を葦筏に渡して浮く席を作った。

 板の裏に白樺汁の薄膜。ぬめりは息を通し、泥の舌を滑らせる。


 最初の客は、ここでも風だ。

 低い湿りを含んだ風が席の縁を撫で、葦がうなる。

 次に現れたのは、湿原の民――舟底のように広い足袋を履き、腰に短い杭を下げた女。背に赤子を負い、目は眠っていない。


「名は不要。席は誰のものでもない」

 俺は椅子を指し示した。女は警戒を解かずに腰を下ろす。

 「ここは“飲まれる里”。王の紙は沈み、紅月の火は消える。彼らは“道を固めろ”と言って去る。――固まらないから湿原なんだ」


「固めない。通す」

 ロナが静かに言う。「飲んだものを、昼に吐かせる道を作る。夜は眠る」


 女は短く息を吐いた。「面白い。名は“アサギ”。舟守だ。――案内しよう」


3. 飲まれた村


 舟守アサギの先導で、葦の迷路を進む。

 足場は不意に崩れ、鳥は低く鳴き、泥の下から時折、音のない泡が上がる。

 辿り着いたのは、水と家の境が曖昧な集落。柱は沈み、床は浮き、火は鈍い。

 誰も咳をしていない――のに、声が浅い。息が浅すぎて、祈りに届かない。届かない祈りは澱になって床下に溜まる。


「夜、床が鳴る」

 アサギの母が、指で床を叩いた。「“吐き戻し”だ。昔は唄でやり過ごした。王の祈祷師が来て唄を“聖歌”に変えてから、余計に鳴く」


 ロナが目を伏せる。「祈りは“蓋”になる。蓋で圧がかかれば、昼間でも吐く」

 ミレイユが輪唱の調子を半拍落とし、子らに低く合わせさせる。

 「夜に祈らず、昼に吐かせる。席で――舟で――」


「席は浮かべる。**吐き戻しの井路いじ**を掘るのは……」

 カイルが周囲を見渡し、泥に棒を挿した。「掘れない。なら“撫でる”。水草の根をいて流れを作る。拍で」


 ラグが杭を構え、テールが緑糸で水草を束ね、文官が砂時計を濡らさぬよう抱えた。

 俺は白樺汁を薄め、席の下に舌を作る。席が呼吸するたび、舌が水草を撫で、澱をゆっくり動かす。


4. 眠らせる昼、吐かせる夕


 “吐き戻しの拍”は太陽に合わせる。

 昼は輪唱を低く、腹で揺らし、席の舌が水草を梳く。

 夕暮れ、湿原の息が重くなる頃、浅い咳のような波が床下を走った。


「来る」

 ロナが囁く。

 俺は席の下の舌を下向きにして受け、“飲まれた祈り”を浅瀬に導いた。

 吐け。席の外、葦の川へ。

 ミレイユが拍を半拍上げ、文官が砂時計を返す。

 アサギが舟杭で合図し、ラグが杭を地へ刺す――刺さるのではなく、喉を押す角度で。


 床下から黒い泡が“ぼふっ”と二度。

 炎ではない。祈りの澱の吐息だ。

 吐息は席の縁をかすめ、葦の川へ抜ける。

 抜けた先で、ロナが“海の塩粉”をひとつまみ。祈りの味を腹の味に塩抜きして、泥へ落とす。


 家が軽くなる。

 床板がきしまず、火が少し高くなる。

 誰かが泣き、誰かが笑う。眠くなる。


「夜は寝ろ」

 アサギの母が固く言う。「祈るな。寝ろ。――明日の昼に吐け」


5. 紅月の杭、王の浮橋


 二日目の朝、湿原の外縁に旗が立った。

 紅月の杭打ち隊と、王都の浮橋隊だ。

 紅月は湿原を“固め”、王都は“渡す”。

 どちらも“通す”と言うが、息の通り道ではなく、軍の足だ。


 境席を浮かべ、二隊の間に据える。

 紅月の監督官は黒い短杖を掲げ、「杭は祟りを地に固定する」と言った。

 王都の技師は設計図を広げ、「浮橋は税を地に引き寄せる」と言った。

 アサギは舌打ちする。「息を地に、税を喉に。どっちも、詰まる」


「席で話せ」

 俺は二人に椅子を指した。「名を置き、武器を置き、祈りを置け」


 王都の技師は座り、図面を共の板へ広げた。

 紅月の監督官は躊躇い、やがて杖を席に横たえた。

 「杭は祟りを“逃がさない”」

 「浮橋は税を“逃がさない”」

 「席は息を逃がす」

 カサンドラが板葉に三つの逃がさない/逃がすを並べ、文言のすれ違いを見せた。


「逃がさないものは、いつか吐く」

 ロナが言い、ミレイユが輪唱で“吐き戻しの拍”を短く示す。

 技師は図面の空気孔に気づき、紅月の監督官は杭の呼吸穴を思い出す。

 「……杭の間に“吐き路”を残す。昼は吐かせ、夜は眠らせる」

 「浮橋のベリ(浮き樽)に“鳴り孔”を。詰まれば低く鳴る。詰まった音で徴発を止める」


「それを席の規則に書く」

 カサンドラがまとめ、二者は不本意そうに、それでも名を伏せて署名した。

 “逃がす穴のない工事”は、この湿原では無効。――席で決まった。


6. 葦の境席、舟の長机


 湿原の中心に、常設の葦の境席を立てる。

 脚は葦束、梁は軽木、天幕は紅月の布。

 布は燃え残す術を含むが、鈍火を覆うと呼吸を助ける。利用する、という約束の実践だ。


 長机は舟。

 舟の縁に**拍石はくいし**を並べる。

 石は湿って重く、拍ごとに“ちょん、ちょん”と動く。

 はかりが熱を帯びれば、石は沈み、誰もがそれを見て息を落とす。


 席守は三人。舟守アサギ、火守の老女タチ、若い男のカムロ。

 「名は置く。だが、舟名せんめいも持つ」

 アサギが照れ笑いする。「舟の名は忘れられにくいからね」

 板葉には二つの名を記す欄が設けられた。人の名と舟名。どちらか一方でもよい。


7. 吐き戻しの道、完成


 三日目。

 吐き戻しの井路は、葦の影から影へ浅い川につながった。

 席の舌が撫で、水草が梳かれ、塩粉で味が変わり、澱は腹へ落ちる。

 昼に吐き、夜に眠る。

 床は鳴らず、子らは笑う。火は鈍く、歌は低い。


 紅月の杭は“呼吸穴”を残して打たれ、王都の浮橋は“鳴り孔”を付けて渡された。

 穴は席の規則で管理され、塞がれたら拍石が知らせる。

 塞いだ者は名を置けず、席に座れない。――座れない者の紙は紙でない。


 アサギの赤子が初めて朝まで眠ったと聞いて、村に笑いが走った。

 老女タチは火の前で言う。「祈る代わりに、眠る。燃える代わりに、吐く。――若いもん、これが“生きる”だ」


8. 密の刃、湿りに鈍る


 夜半、密の刃が一度だけ来た。

 紅月か王都か、どちらの影とも付かぬ手。

 刃は境席の舟縁に暴言の札を置こうとしたが、湿りで滑り、拍石に弾かれた。

 テールの緑糸が静かに絡み、ロナが札の祈祷をほどく。

 札は泥へ混ざり、舟の肌になった。


「刃は乾きを好む」

 カイルが舟底を叩いた。「ここは湿っている。鈍い勝利が続く」


9. 王都への帰投、そして残すもの


 帰り支度の前に、板葉を三束残す。

 “吐き戻しの道・手順書”“葦の境席・規則”“夜の眠り歌・輪唱譜”。

 舟守の三人がそれぞれ別の束を抱え、舟の床下に乾かぬ箱として吊るす。


 アサギが俺の手を包み、短く言った。

 「“朝が来る道”を、ありがとう。――粥を炊ける」

 「粥がいい」俺は笑い、葦を一本受け取った。「これは砦へ持ち帰る。湿原の息を混ぜる」


 紅月の監督官は扇で顔を隠し、「呼吸穴を塞ぐな」と部下に命じた。

 王都の技師は図面に穴の印を増やし、「鳴ったら止める」を大書した。

 席の外で決まるべきことが、席の内で決まる。――この湿原は、そう宣言したのだ。


10. 帰路、そして砦の拍


 復路は行きより軽い。

 吐き戻しの道が背を押し、葦が風を教え、舟が歌を憶えている。

 “種火”の二人は、湿原の眠り歌に砦の輪唱を足して、新しい鈍火の調べを作った。


 砦が見えたとき、世界樹は高く鳴き、堀は南の湿りを歓迎する拍に変えた。

 広場の粥は熱く、境席は涼しい。

 板葉の一番上に“葦の境席・設置完了”が貼られ、その下に王都の告示――

 『浮橋に鳴り孔を設け、鳴音の三拍にて徴発を停止』。

 紅月の紙は――“沈黙”。だが監督官からの名なき投函があった。

 『呼吸穴を塞ぐ者は、紅月の敵だ』。

 名はない。だが、席は読めた。


 リオンが境席の端に立ち、椀を掲げた。

 「戻ったか」

 「ああ。――吐いて、眠って、橋を浮かべた」

 「粥は?」

 「粥がいい」

 笑いが輪になり、鈍火が息を合わせる。


11. 息の憲章・補遺


 カサンドラが共の板に補遺を刻んだ。


息の憲章・補遺/湿原条

一、固めぬ道を尊ぶ。

二、昼に吐き、夜に眠る。

三、橋も杭も、呼吸の穴なくして設けず。

四、鳴り孔は民の合図。三拍にて止む。

五、席は浮き、名は置かれ、祈りは夜にある。


 文官が板葉へ写し、テールが緑糸で綴じ、ロナが海の塩粉を印泥に混ぜた。

 湿りの赤い印が、砦の広場で淡く光る。


12. 次の拍――“高地の乾き”


 粥を食べながら、カイルが地図を睨んだ。

 「南の湿りは通った。次は“高地の乾き”だ。風が強く、土が飛び、祈りは燃えやすい」

 ラグが肩を回す。「湿った歌は通じねえ。なら、石の拍だな」

 ミレイユが輪唱を指で折る。「高い音を低く落とす練習が要る」

 ロナは頷き、「反祟りでも塩粉でもない、“影を薄める粉”を探す」と言った。

 カサンドラは板葉を束ね、「席の市は明朝。遠い峠と黒の谷からの拍も載せる」と宣言した。


 世界樹が眠たげに鳴き、葉が一枚、湯気に落ちた。

 薄い葉だ。旅向きの葉。

 俺はそれを掌に受け、湧き水へ沈める。

 脈は深く、ならされ、そして次の拍を欲しがっている。


「――耕そう」

 鍬を立て、柄に額を預ける。

 湿原の葦が、砦の風に鳴った。

 席は増え、息は繋がり、物語は半歩外へ追いやられる。

 それが、この土地の勝ち方だ。


つづく

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