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最弱魔法で追放されたけど、田舎で畑を耕したら世界樹が芽吹きました  作者: しげみち みり


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第20話「黒炎決戦編・後半──境を超える声」

黒い余熱


 黒炎の背骨が折れてから、砦には奇妙な余熱が残っていた。

 炎は消えた。だが、土の奥にはまだ微かな赤い拍が潜んでいる。

 世界樹の葉はゆらぎ、脈は落ち着きを取り戻しつつあったが――誰も完全には気を緩められなかった。


「……まだ来る」

 湧き水に掌を沈めた俺は、かすかな脈のざわめきを感じていた。

 「黒炎の“残り声”だ。祈祷陣が散った今も、奴らは舌を残していった」


「舌?」

 ラグが鍬を肩に担ぐ。「もう腹を割ったんじゃねえのか?」


「喉を折っただけだ。腹はまだ残ってる」

 カサンドラが答えた。「――紅月は黒炎を失敗させたことを認められない。なら、残り声を“証”として王都に送るだろう」


 ミレイユが息を呑む。「証……つまり、次の戦の口実になる」


逆流の兆し


 夕刻。

 堀の底で水が逆流し、黒い泡がひとつ、ふたつ浮かんだ。

 泡は弾けず、空気のように上昇せず、ただ葉幕の内側を這う。


「これが、残り声か」

 ロナが壺を胸に抱きしめる。

 彼の顔は青白い。粉を振った代償で体力を削られていた。

 「……声を聞いた祈祷師は、夢の中で“燃える”」


「なら、飲ませて吐かせる」

 俺は泡に掌をかざし、【水やり】を糸に戻す。

 だが、黒の泡は渦に入らず、むしろ逆らうように葉幕の内側を探る。


「――祈りを探してる」

 カサンドラの声が震える。

 「さっきの“祈らぬ夜”で腹を空かせたまま。だから残り声は、次に祈りを嗅ぎつければ、そこへ這い込む」


「俺たちは祈らない」

 ラグが声を張る。

 「祈らずに寝られた。なら、もう負けねえ」


 だが子どもの一人が怯え、母親の手を強く握った。

 その震えが“祈り”の匂いを立ち上らせる。

 黒の泡が敏感に反応し、葉幕を揺らす。


第二の試練


「全員、葉幕の下に!」

 俺は叫び、渦の中心を絞った。

 しかし残り声は水を拒み、祈りにだけ寄っていく。

 泡は三つ、五つ、やがて十に増え、砦の内側に散らばる。


 老婆が泥を掬い、子どもの喉に塗った。

 「祈る代わりに、泥を噛め!」

 子は震えながらも泥を口に含み、咳を吐き出した。

 泡が一つ、力を失って沈む。


 ロナが立ち上がる。

 「反祟りの粉は、もう残っていない。でも――俺自身が“囮”になれる。俺の中にはまだ祈祷の匂いが残ってる。残り声を全部引き寄せられる」


「駄目だ!」

 俺は鍬を突き立てる。「囮は餌だ。餌になったら、もう戻れない」


「役目だろう?」

 ロナは微笑んだ。「ここで死ぬんじゃない。ここで生きるための役目だ」


 その瞬間、泡の群れがロナに一斉に向かった。

 彼の体に黒い影が絡みつき、声を奪おうとする。


吐き戻しの刻


「ロナ!」

 ミレイユが駆け寄ろうとするのを、俺は止めた。

 「まだだ……! 吐き戻させる!」


 掌を水へ深く沈める。

 【水やり】の糸を、渦ではなく息の形にする。

 喉を締めず、腹を押し上げる。

 人が嘔吐するときのように、砦全体を吐き戻す臓器に変える。


 黒の泡がロナの体を包む。

 彼は目を閉じ、短く呟いた。

 「……眠る夜を」


 その言葉は祈りではなかった。

 ただ、願いでもなかった。

 眠りそのものだった。


 砦が大きく鳴り、世界樹の根が強く脈打つ。

 黒の泡が一斉に引き剥がされ、渦の外へ吐き戻された。

 泡は砦の外で弾け、ただの煤となって風に消えた。


 ロナは倒れ込むが、まだ息があった。

 老婆がすぐさま泥で彼の喉を覆い、カサンドラが冷水を滴らせる。


「……生きてる」

 ミレイユの声に、砦全体がようやく安堵の息を吐いた。


その夜の誓い


 黒炎の残り声は沈み、砦には再び静けさが戻った。

 葉幕の隙間から星がのぞき、子どもたちは泥だらけの顔で眠りに落ちていく。


 リオンが丘から降り、鍬を持つ俺の横に並んだ。

 「お前の砦は……臓器だな。王の城壁よりも、ずっと生きている」


「城壁は石だ。石は燃えないが、息もしない」

 俺は答えた。「畑は息をする。だから燃やされても、また芽を出す」


 リオンは黙って頷き、剣を鞘に納めた。

 鞘口の紐はまだほどけたままだ。


 その姿を見て、俺はひとつの言葉を胸に刻んだ。

 ――次に備える誓い。


 黒炎を退けても、物語は終わらない。

 紅月も王も議会も、この戦を「物語」に仕立てようとする。

 ならば俺たちは、その物語の外で席を増やし続ける。


 世界樹の枝が、静かに鳴った。

 それは祝福でも、祈りでもない。

 ただの風音。

 けれど、砦の誰もがその音を胸で受け止めた。

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