6.解と結
小細工無しの上段からの振り下ろし、雷さんは冷静に合わせていた。
居合いというものなのだろう。ぎりぎりまで鞘に収まっていた刃はほのかな光を引いて振り下ろされる刃を迎え討つ。
金属同士のぶつかり合う音が響いて、当主の持つ刀が折れた。
しかし、彼には想定内だったのだろう。怯むことなく次の動作に入っている。僅かな迷いが見えたのは雷さんだ。
目の端に弾む白い毛玉が見えて、私は雷さんのベルトを掴まえて後ろに引いた。
「うぉっ!?」
バランスを崩してたたらを踏んだ雷さんに当主の折れた刀が迫る。
その顔の前に、毛玉はぴょんと飛び出した。
驚いて動きを止めた当主の前に私も出る。
「そこまで。引っ込みがつかなくなる前にやめて」
どちらも真剣ではあったけど、本気ではなかっただろう。当主の持つ刀は刃のない模造刀だし、雷さんは体ではなく刀を狙ってた。
ぴょこぴょこしている毛玉を拾い上げて、よしよしと撫でてやる。
「変な誤解もされてるし、本当に我を失ってるなら当主として相応しくない。私にその場を明け渡して」
当主は情けなく眉尻を下げながら「そんなぁ」と声に出した。
彼は渋々と鞘と折れた刃を回収しに行き、今更ながら乱れた着物を整える。
当主が刀を納めれば、雷さんもその場に胡坐をかいて座り込んだ。
「この子も助けてもらった二人にいがみ合って欲しくはなさそう。まだ残ってた影穢の影響、祓ってくれたのでしょう?」
「……全てではないがな。弱りすぎていて、全て除けば消えてしまう」
上座に戻り、脇息にもたれかかりながら、当主はぶすくれたまま視線を逸らす。
「……それで? お嬢さんの正体は?」
「正体と言うほどのことはありません」
私は雷さんの正面に正座して、まず丁寧に頭を下げた。
「已桐の情けない一面でご迷惑をおかけしました」
「……なんでお嬢さんが謝る?」
「そうだそうだ。結が頭を下げる必要はひとっつもない!」
「兄さまは黙ってて!」
キッと睨みつけても、当主はだらしなく頬を緩めた。
だから、嫌なのだ!
「ああ。久しぶりに呼んでくれた。結は年頃になってからやたら他人行儀で……」
「黙れって言ってんの。已桐を追い出したのは兄さまでしょう!」
「追い出したんじゃないよ。結を危ないことから遠ざけようと……」
余計なお世話だって言うの。
当時は、仕方なかったというのも理解はするけど。
「……ちょっと、いいか?」
「どうぞ?」
というか、雷さんに話してるんだった。
「兄妹?」
半信半疑な顔で、雷さんの指が突きつけられる。
「そう。正真正銘、血の繋がった」
「結に指を突き付けるな!」
がるる、と唸り声が聞こえてきそうな声が飛んできたかと思うと、後ろから抱え込まれて雷さんの手がぴしゃりと叩かれる。
私は思わず額を押さえて、呆れ顔で放心している雷さんに続けた。
「……妹溺愛が過ぎて、幼い頃に月影に養子に出されたの。だから、月影が両親なのも嘘じゃないわ」
兄は母似で、私は父似。年が離れていることもあってあまり似ていないのだけれど、表面的な笑顔は似ていると言われることがある。
「養子? どうして……」
少し考えて、雷さんはハッとした顔をした。
「覚えていますか? 十五年前の騒動を」
「……已桐で当主が交代した」
私は当主を押しやって雷さんを真直ぐ見つめた。
「そうです。母が浸食を受け、父はどうにか影穢を退けたものの母を助けられずに諸共命を落としました。兄は十五で当主を継ぐことに。当時三つだった私のことにまで手を回す余裕はありませんでした」
「そんなことはないよ。結をおぶっても祓いはできる。でも、当主は影穢と因縁深いから……」
それ以上は続かなかった言葉に、雷さんも黙ってしばし目を閉じていた。
「まあ、因縁なのは私もですからね! 黙っているわけにはいきません。幸い月影では祓具が身近だったのでコツコツと勉強しました。自分の身くらいは守れるつもりです。ですから」
私はもう一度丁寧に頭を下げる。
「大学に入ったら、雷さんのサポートをさせていただけませんか」
「……はぁ!?」
「駄目!!」
「私、視るのは得意です。あなたの目になります。影穢だけじゃなく、憑祓いもできるようになりますよ」
「却下! 却下! 却下!」
「兄さま。私、今年成人です。自分の道に口を出される謂れはありません。それに、当主にも臆さず剣を向けられる実力の持ち主ですよ? 他の祓い人に頼むよりいいと思いません? それとも、兄さまが祓い人の修業をつけてくれますか?」
うっと言葉を詰まらせた当主から雷さんに視線を戻す。彼は渋い顔で黙っている。受けるのも断るのも面倒くさいことだろう。それでも、私はそこに付け込むのだ。
何度か当主と私の顔を見比べて、雷さんは深く息を吐き出した。
「――いや、やっぱり俺には荷が重い。悪いが……」
そこまで言った雷さんの胸倉を当主はいきなり掴み上げた。
「結に頭まで下げさせて、よもや断る選択肢があると思うな? 『幻日辰』」
名を呼ぶと同時に雷さんの胸元に小さな淡い光の珠が浮かび上がった。当主は素早く私の手を取って、蚊を叩き潰すかのようにその珠に振り下ろした。
一瞬呆けたものの、あっと思って手のひらを見る。
そこにはうっすらと赤く丸い痣が出来ていた。思わず雷さんを見ると、彼はもう諦めの表情で、ため息を落としてから苦笑した。
「あんだけ言うから、断った方がいいかと思えば……」
「二十歳になるまでは影穢祓いのサポートは認めない。幻日、結が傷つけばお前もだ。死ぬ気で守れ」
「御意」
当主らしい威厳ある声音と態度で言い渡された沙汰を、雷さんは姿勢を正してから軽く頭を下げて受けた。
そのまま部屋を出ていこうとして、当主はふと振り返る。
「結、その毛玉も連れて行け。おそらく役に立ってくれる」
「あ、はい」
後ろ手にゆっくりとふすまを閉じる当主の姿を私は黙って見送った。
*
「あの……」
屋敷を出て、やれやれと背を丸める雷さんに、私はおずおずと声を掛ける。
「幻日の方だったんですね。重ね重ね、兄がすみません。名は、すぐにお返ししますので……」
『幻日』は影穢祓いの創設当時、已桐と同じように力のある家系だった。他にもいくつかあって、魑魅魍魎はびこる頃はお互いに切磋琢磨していたという。
それが、長年の攻防の中で弱ったり廃れたりして、今では已桐が取り仕切る形となっている。残っている一族の中には時々力の強いものが出たりするので、出来るだけ懇意にしていると聞いたことがあった。
「返せるかねぇ」
言いながら差し出された手に、痣の浮かんだ手のひらを重ねる。口の中で呪文を唱えるけれど、そこだけ自分のものではないような感覚は無くならなかった。
「あ、あれ?」
「だろうな。あの様子じゃちょっとやそっとで解除できる術なんざ使わねえだろ」
「えっ。そんな。あんな強制的に……横暴! 戻って戻してもらいます!」
雷さんの手を握って踵を返しかけたのだけど、雷さんはその手を引きとめた。
「いい。いい。気持ちはわかる。幻日も似たような経緯で離散した。それに、あの兄貴が目を光らせてんなら、俺は世界一安全な場所に名を預けたことになる。それをお嬢さんが自力でどうにかできるまで付き合うのも悪くない」
「……雷さん……!!」
感極まって、私は両手で彼のごつごつした手のひらを包み込んだ。
「もう、どうせなら子供も作りません? 雷さんの力と私の力を引き継げば、已桐も安泰でしょう?」
ぎょっとして雷さんが私の手を振りほどいたのと、屋敷のどこかの窓が大きな音を立てて開いたのは同時だった。
「それは絶対に許さん!!!」
已桐当主の怒号がこだまとなって辺りに響き渡り、弟子や使用人だけでなく、丘の下の住人たちまで笑い話として後々囁き合うことに。
ともかく、私の野望は一歩を踏み出した。
*月影結の密かなる野望~影を斬る一族~・終*