5.已桐家当主
学校がある私は授業が終わってから真直ぐ丘の上の屋敷を目指す。迎えをやるという当主の心遣いは辞退した。学生の噂の伝播率を舐めてもらっちゃ困る。
とはいえ迅速に向かわなければ雷さんが居心地悪かろうと、私はタクシーを呼んだ。
昨夜持ち帰ったものを「迷子の毛の長いハムスターを保護した」と嘯いてみたけれど、已桐と懇意にしている両親が騙されるはずもなく……思った通り、お屋敷に呼び出されることになったのである。
門から前庭に入り、広い玄関で使用人に迎えられる。当主の屋敷ではあるけれど、祓い人の修業の場としても提供され、無駄に多い部屋の多くはそういう人たちや使用人が暮らしている。
純和風の造りに馴染まない人は、街のアパートから通っている人もいるけれど。
特に言葉を交わすこともなく、奥の部屋へと案内される。使用人が声を掛け、ふすまを開けば、上座に座る色気のある和服の当主と、さすがにツナギではなくシャツとパンツ姿の渋い顔をした雷さんがこちらを向いた。
使用人に礼をして中へと入る。背中でふすまが閉まっていくのを感じながら膝をついた。
「遅くなりました」
畳に手をつき、綺麗にお辞儀して挨拶すれば、当主も形ばかりの返事を返す。
「楽にして」
頭を上げて雷さんの隣へ移動しようとしたのだけど、当主はあからさまに顔を顰めて、人二人分くらい離れた場所を持っていた扇子で指した。
面倒くさいなぁ。
当主の傍には月影の両親もいて、透明なプラスチックケースにあの毛玉が入っていた。心なしかグレーの色が薄くなって毛がふわふわになっている。
当主の指し示した場所に座れば、待ちくたびれたというように質問が飛んだ。
内容は聞き流して、ひとまずは相手の言葉が切れるのを待つ。
「雷さんのお答えした通りです」
それだけを告げれば、当主は目を丸くして動きを止めたし、雷さんも意外そうな顔をした。
「……え……結、彼がなんて答えたか聞いてないだろう?」
少々おたついて、思わずというように当主は前のめりになる。
どこまで話したかは知らないが、雷さんはどちらかというと被害者だ。下手な嘘などつくはずもない。
「私も形ばかりは成人です。己の身の振り方を考えて、機会を逃したくなかっただけ。その子は予定外でしたけど、当主様だって同じ場面ならその子を助けたでしょう?」
「私はそれが仕事だ。経験も頼りになるサポートもある。けれど結は違うでしょう? 学生で、修業した身でもない」
「実際に動いたのは雷さんですもの。問題ないでしょう?」
「でも、彼は」
「名を押し付けて脅した私に、仕方なく見学させてくれただけ。……当主様、何時から彼を呼び出したんです? そろそろ解放してあげてください」
ぎゃあ、と叫びだしそうな顔をして、当主は勢い良く立ち上がった。雷さんは大きく、月影の両親と何人かの付き人は小さく肩を跳ね上げる。当主が扇子を手のひらに打ち付けて視線を流せば、無言のうちに私たち三人以外の人間は部屋の外へと出て行った。
雷さんがびくびくしながら、それでも傍らに置いた自分の刀に手を置いていて、なかなか度胸があるなと妙なところに感心した。
当主はお飾りではない。影穢祓いの中心人物だ。当然、剣の心得は誰よりもある。
当主の周りから部屋の温度が下がっていく錯覚に囚われる。すぅっと細められた瞳が雷さんの手元へ注がれ、薄い唇が歪む。
「その刀で何を斬る」
「だーかーらー。当主の圧で脅したら、自衛したくなるのは当たり前でしょ!」
「結! お前も、名を押し付けただと!? 見も知らぬ男になんてことを……!」
ずいと迫られ、肩を掴んで揺すられる。
話を聞け。
ああ、でも雷さんはその話はしてなかったのか。ますます私の中で好感度が上がる。
ちらりと見れば、雷さんは片膝立ちになってこちらを窺っていた。大丈夫だと目配せしたけれど、伝わっただろうか?
「部活も終わって大人しく受験勉強に勤しんでいると思ったのに、彼がお前を惑わせたのかい?」
きゅっと抱きしめられて、うんざりしながらどの言葉なら届くだろうと思考を巡らせる。
「当主様。実力者でなければ、私の近くで影穢を祓う配置をしないでしょう? あなたの判断を……」
「結、人払いしてるんだ。そんな他人行儀に呼ばないでおくれ」
「今そんな話してない」
「いいや。大事なことだ。彼にはしっかりわかってもらわないと。結は已桐のものだ。一介の影穢祓いがどうこうしていいものではない!」
ずばっと雷さんを指差して格好良さげに言っているけど、その言葉に大いなる矛盾を抱えていることはスルーされている。
「どうこうしたのは私だってば。雷さんはちゃんと止めたり窘めたりしてくれた良識ある大人。私のことになるとポンコツになるの、やめてくれる?」
「ぽんこつ!? 私が?」
自覚も悪気も無いところが面倒くさい。
「已桐のものだと言うなら、已桐の使命を全うさせてよ」
真剣に訴えたのに、当主は子供の戯言を聞くかのように笑う。
「結はそんなこと気にしなくともいい。そういう時代じゃないだろう。家のことは私が責任をもって取り仕切るから」
いつもこの調子で、言葉はどこまでも交わらない。
ふぅ、と息をついて、私はまだ肩にかかっていた当主の手を振り払い、雷さんの元へと駆け寄る。その首へと抱きつきながら、雷さんの背後へと回った。
「じゃあ、私は普通に良いと思った人の気持ちを奪いに行くわ。その人と幸せに暮らすというのなら、問題ないのよね?」
「……はぁ!?」
「はぁ!?」
同じような二つの声が重なった。
「問題しかないだろう! 影穢祓いなど、ダメに決まってる!!」
私はべつに雷さんだとは言ってない。
「ふざけるなよお嬢さん! そっちの縁談のもつれに俺を巻き込むな!」
「!! ……貴様っ、結の気持ちを無碍にするとは……万死に値する!」
……あら? 話が変な方向に……だからポンコツだって言うのよ。
当主は刀掛けから刀を掴み上げ、それを見た雷さんは私を振り払うようにして構えをとった。
「なんだかよくわかんねーけど、じゃじゃ馬の手綱はしっかり握っとけって! 俺は知らん!!」
「結はじゃじゃ馬などではない!!」
「どこがだよ!」
目の前で真横に引き抜かれ、後ろに放られた鞘は、毛玉の入ったプラスチックケースを倒す。
二人が睨み合っていたのは一瞬で、当主が一歩を踏み出したときには雷さんも鯉口を切っていた。