第七話:対称な非対称
レーヴェル町に拠点を移してから四日目の朝。
真也は中央魔道ギルドの講習室にいた。
そこは白い石材と魔素制御結界で組まれた半球型の空間で、天井には淡い浮遊魔方陣が刻まれており、絶えず微細な魔素が循環している。
椅子に座る十数名の見習い探索者たちの中に混じり、真也も筆記用具と講習冊子を手元に構えていた。
「本日の講義は、魔法の起源と魔素の基本理論についてです。」
講師を務めるのは、ギルド所属の魔導士のフェーリスという女性だった。
淡灰色のローブをまとい、静かな口調と明確な語り口で、聴講者たちを自然と引き込んでゆく。
「皆さんの中には、すでに魔封紙片を通じて魔法を使ったことがある方もいるでしょう。ですが、本来“魔法”とは、単なる発動手段ではありません。これは、世界の構造と根源的に結びついている力です。」
教壇の後ろ、空中に浮かぶ魔導板に図形が映し出された。
六属性を表す円環図。中央には“光”と“闇”が、そこから派生して“火”“水”、さらに“風”“土”が広がる構造だ。
「まず知っておくべきは、魔法体系の起源にある『光と闇』の存在です。これらは、創世の時代における“始原の属性”と呼ばれ、全ての魔素の祖にあたるものと考えられています。」
真也は前屈みになり、冊子に目を走らせる。
ページには、光と闇から派生する属性相関の詳細が載っていた。
「光からは火と水が、闇からは風と土が、それぞれの魔素変異によって生まれました。つまり、火や風の魔法を扱うには、それらの基底属性に対する理解と親和が欠かせません。」
「じゃあ……例えば俺が火魔法を使いたいと思ったら、光の魔素にも適性がないとダメってことですか?」
真也が恐る恐る質問を挙げると、フェーリスは柔らかく頷いた。
「鋭い指摘ですね。まさにその通りです。魔素は属性ごとに“核”の振動が異なります。たとえば火は光の高周波域、水は同じ光の低周波域に属する、といった具合です。」
黒板に描かれる魔素波動の波形が、その概念を視覚的に示していく。
真也は何とか食らいつきながら、言葉を頭に叩き込んでいた。
「魔法の起動は、魔素との対話です。力でねじ伏せるものではなく、自分の魔素を媒介にして属性魔素と共鳴させる。その結果として、術式が発動するのです。」
この“対話”という言葉が、真也には特に強く残った。
休憩時間、真也はリィナとギルドの中庭に座っていた。
噴水の周囲を淡く魔素光が彩り、心を落ち着かせるような空間だ。
「魔素と対話……って、どういう感覚なんだろうな。」
「実感がないなら仕方ない。けど、魔法はそういうものよ。“感じる”のが先で、“理解”するのはその後。」
リィナは噴水に手をかざし、水飛沫の中に小さな魔素を集めて見せた。
水が静かに舞い上がり、彼女の指先で踊るように揺れる。
「これも、無理に操作してるわけじゃない。魔素にお願いしてるの。“少しだけ動いて”って。」
「魔素に……お願い……?」
真也は困ったように笑った。
「すげぇな。俺にはまだ……ちょっと遠い話かも。」
「大丈夫。君はまだ始めたばかりなんだから。」
リィナの言葉に、真也は少し救われた気がした。
魔法は才能よりも意志と理解。ゆっくりでも、確かに進めばいい――そう思えた。
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午後の実技講習は、講習棟地下の魔導演習室で行われた。
そこは魔素制御に特化した特殊結界が張られた空間で、各種魔導具が整然と並んでいる。
真也とリィナ、そして他の受講者たちは、それぞれの魔導実験台に着席した。
「では、これから皆さんには魔素を用いて《簡易浮遊灯》を作動させてもらいます」
講師のフェーリスが、机の上に置かれた球状の魔導具を指さす。
直径15cmほどの白銀の球体には、うっすらと魔印が刻まれていた。
「この浮遊灯は、内部の魔素回路に外部魔力を流すことで起動します。魔素の流し方次第で浮遊の高さや光の強度が変化します。魔封紙片とは違い、これは“自分の魔素”を使って動かす必要があります。」
真也は頷きながら球体を手に取った。
重さは意外と軽く、両手で包むとほのかにぬくもりを感じる。
「魔素の流し方にコツはあるんですか?」
隣の受講者がそう尋ねると、フェーリスは淡く笑った。
「魔素は呼吸と同じです。無理に制御しようとすると乱れます。深く呼吸して、身体の奥から意識を込めるように流してください。最初は少量でかまいません」
そう言いながら、フェーリスが手本を見せる。
両手を軽く添えると、球体がふわりと宙に浮かび、淡い光を放ちはじめた。
「――こうです。」
受講生たちの間に、ちょっとしたざわめきが走る。
真也も静かに深呼吸をし、手のひらに魔素を集中させる。
魔封紙片とは異なり、これは自身の内側からの“流れ”を必要とする。
ぎこちないながらも意識を込め、浮遊灯に触れる。
数秒後――
「……っ、浮いた……!」
ゆっくりと球体が持ち上がり、微かに輝きを放つ。
高さはわずか数センチ。しかし、確かな手応えがあった。
真也が何とかこなしているのを見て、フューリスが評価を下した。
「君の魔素は、やや粗めだけど反応は良いですね。後は制御精度を高めれば、初級魔術にも応用できるはずです。」
「……魔法って“感じる”もんなんですね。」
「その通り。魔法とは自分の想像を具現化するものですから。」
真也は、感覚がじんわりと自分の身体に染み込んでいくのを実感していた。
魔素というものが、単なる“力”ではなく、自分の内側と繋がっている“存在”であるということを。
講習の終わりに、フェーリスは講義室の中央に立ってこう締めくくった。
「魔法とは、ただの道具ではありません。それは意思と共鳴し、術者の在り方を映す鏡でもあります。故に、魔法と向き合うということは、自分自身を知ることでもあるのです。」
真也はその言葉を、真っ直ぐ胸に刻んだ。
自分は“模倣者”。
誰かの力を真似るだけではない。
その力を、自分のものとして使いこなすには、まず“理解”と“対話”が必要だ。
講習の終わりを告げる鐘が鳴り、受講者たちが講習室を後にする中、真也は名残惜しそうに浮遊灯をもう一度浮かべてみる。
光は先ほどよりもやや強く、球体はわずかに高く浮いた。
道具の片付けをしているフューリスが真也の方を横目に見つつ、アドバイスをした。
「その調子です。“魔法使い”は一日にしてなりません。少しずつでも、前に進む事こそが重要なのです。」
真也は小さく頷いた。
――力を“借りる”のではなく、
――力を“対話する”。
その最初の一歩が、確かに踏み出された。