第一話:深淵との邂逅
空が赤い。
眠ぼけ眼の視界に飛び込んだのは異常だった。
赤といっても夕焼けの赤とは違い、まるで大気そのものが血を啜ったかのような紅。
世界そのものが狂っていた。
「はあ……?」
眼前の木々もまた地球とは違い、幹は黒ずみ、葉は赤紫に染まり、不気味な瘴気を纏ってゆらゆらと揺れている。
――ここは地球では無い。
そう脳が直感し警鐘を鳴らしたのに呼応して、情報が脳に流れこむように刻まれていく。
【鏡界世界 《ヴァイラス》へようこそ】
続けざまに、視界にあるわけではない"モノ"が見えてくる。
透けたウィンドウ、ホログラムの板のようなものに文字が羅列されていた。
《スキル:模倣取得》
条件:無条件/使用可能回数:対象毎に1回/範囲:半径10メートル以内の"存在"の持つスキルから二つをピックアップし、ランダムに未所持の一方を取得。
「スキル……?」
瀬川真也、18歳。
コンビニバイトの帰りに車に轢かれたのが最期の光景だったはずだ。
流行りの異世界転生というやつか? と考える余裕もないまま、茂みの向こうから異様な唸り声が響いてくる。
グルウウゥゥウゥウアアァアァァアア!!!!
唸り声というよりも、悲痛な叫び声とも思えるような雄叫びに怯む真也。
真也の前に対峙したのは、獣とも爬虫類ともつかない、……人の雰囲気を持ち合わせた何か。
血のような涎を垂らしながら真也を睨んでいる。
「な、なんだよこいつ……!?」
【対象:魔物 《グレイク・ハウル》
スキル:斬鋭黒爪――腕部に黒き魔素を集束し、刃のような大爪を生成する近接攻撃スキル。】
世界にその存在を認められたかのように、身体が勝手に《スキル:模倣取得》を使用する。
【《スキル:斬鋭黒爪》を取得しました。】
その無機質な声が脳内に響くのと反対に。真也の胸が熱くなっていく。
まるで刃物になったような感覚が右手に宿る。
考える間も無く、グレイク・ハウルが跳びかかってきた。
「――ッ!」
咄嗟に腕を振り下ろすと、一瞬爪のように大きく変化した手先が魔物の脳天を一閃した。
鮮血が舞い、グレイク・ハウルが掠れた呻き声をあげながら崩れ落ちる。
「や、やった……のか?」
初のスキル行使。初の勝利。
そして、現実感の無い恐怖と一種の快感。
余韻に浸っていたその瞬間、何者かが後ろから近づいてくる音がした。
「へえ……? まさか魔物を相手に、たった一撃……ねえ。」
振り返ると、そこには外套に身を包みフードを深く被った少女がいた。
隙間から覗かせているというのに、目の眩むような銀色の髪、鋭さと強さを持ち合わせた瞳。
そして何よりも、尋常ではない程の気配。
「やあ。ようこそ、ヴァイラスへ。運が良かったね。常人ならあの程度の魔物で死んだっておかしくないんだよ。」
「……誰だ、あんた。」
少女は小さくふっと笑った。
「私はリィナ。ただの案内役、とでも言おうかな。君の……いや、"君たち"の役割はこれから始まるんだよ。――神に選ばれた者としてね。」
その言葉が、全ての始まりだった。
/////
目が覚めたその日から、俺の人生は変わり果てていた。以前の平凡で平和な日々がまるで、嘘だったかのように。
――鏡界世界 《ヴァイラス》。
リィナと名乗った少女に導かれるまま、俺は赤い空の下を歩いていた。見慣れぬ大地に、黒い木々。風すらも不吉なざわめきを運ぶ。
「ねえ。君、名前は?」
歩きながら、リィナがふと俺を振り返った。フードの奥から銀色の髪が揺れている。
「……瀬川真也だ。」
「ふぅん。シンヤ、ね。良い名前じゃない。力強い感じがして。」
その言葉がどこかくすぐったくて、俺は目を逸らした。
リィナは軽やかに歩みを進めながら、俺にこの世界の理を語っていく。
スキル、魔物、そして《神に選ばれた者》の意味。
「異界から来た者――鏡界人は、"スキル"を一つだけ与えられているの。君のは……《模倣取得》だったね。」
「ああ。勝手にスキルが発動して……スキルが、その使い方が脳に入ってきた。……元から持っていたように。」
「それがこの世界に受け入れられた証拠よ。ヴァイラスは、生きる覚悟がない者には何も与えない。弱肉強食の絶対的ルールに従えない者は、皆例外なく消えていく。」
会話を続けながらも、順調に森の中を歩いていく。
「なあ。さっきの魔物……あれ、なんだったんだ?」
「グレイク・ハウル。下級魔獣だけど、初心者にとっては死んでもおかしくないくらいには強い。君はそれをやってのけた。」
ふふっ、と誇らしげに笑うリィナ。
しかし、俺の手は未だに震えていた。
肉を斬り裂いた感触、血の匂い。初めて生物を殺した感触。
日本にいた頃とは全く違うこの世界に、少し眩暈のするような感覚があった。
「手が震えてるね。」
俺の心を見透かしたような言葉に息を呑んだのも束の間、俺の手を掴むリィナ。
「――ッ!?」
余りにも唐突だったため、驚きの余り声も出なかった。
人の手の温もりにはどこか安心感があり、俺の心を落ち着かせるには申し分なかった。
「でも、逃げなかった。それだけで今は十分だよ。」
やがて視界が開ける。
崖の上から、眼下に広がる村――というより、砦のような集落が見えた。
「着いたよ。ここが、境界線の村。君の最初の拠点になる場所。」
村は巨大な石の壁に囲まれ、魔物の侵入を防いでいる。
入り口の前には槍を持った警備兵らしき男が立っていたが、リィナを見るなり警戒を解いた。
「また来たのか、銀髪の……。ほう、今度は随分と面白いのを連れてるな。」
俺の姿を見て、男が目を細める。
そして頭から足まで、全身を隅々と眺めてから、手招きする。
「こっちだ、ついて来な」
案内された先の小屋で、俺は名前とスキルを簡易的な魔導装置に登録させられた。
「《模倣取得》……か。変わったスキルだな。無条件ってのがまたすごい。こりゃあ、期待の新人だな。」
男はふむふむと頷いていたが、俺としてはあまり気乗りしなかった。
淡い期待。未知の世界。命の奪い合い。
一歩先も見えぬ暗闇に、俺の心は未だ震えていた。
登録を終えた後、リィナは俺を村の宿屋へ案内してくれた。
「ここで今日は休んで。明日からは、少しずつこの世界に慣れてもらうよ。まずは魔物との距離感からね。」
「魔物……また、戦うのか。」
俺の問いに、リィナは少しだけ表情を曇らせて苦笑した。
「この世界で生きるってことは、戦うってことと同義。だけど、それが全てじゃない。戦う理由は、自分で見つけるものだよ。シンヤ。」
彼女の煌々と輝きを放つ瞳が、真っ直ぐに俺を射抜く。
「私は、君がそれを見つけるまで、傍にいる。」
慈しむ様に、されど厳しくもある声だった。
そしてそれが、とても固い、決して解けない約束のように思えた。
手放しの信頼感に、俺は了承の意を込めて頷いた。
――そしてその夜。真っ赤な月が空に浮かぶ中、俺の心は静まりながらも、どこか燃えているように熱かった。
ここで生きる。意味など欠片ほども分からないけど、それでも。
俺は、前に進むしかないのだと。
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【反律神禍の模倣者】に関しましては、暫く毎日一話ずつアップロードする予定となっております。
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それでは、真也の壮絶なる人生をお楽しみください。
以上、異界叙事詩専門店【Geist】より。