―77― 流石に、ひどすぎる
自分でもわかっている。
今日のオレが、機嫌がいいことは。
バーラットの旦那が持ち込んできた、あの東の果ての大陸からの食材……米、醤油、味噌! まさか異世界に来て、再びこれらに出会える日が来るとは……!
値段は正直、目玉が飛び出るほど高かった。
コーヒー豆の比じゃない。庶民が気軽に手を出せるレベルを遥かに超えている。なにしろバーラット曰く、「東方大陸のジン国」とかいう場所から、例の魔導エンジン付きの新型船でも数ヶ月かかる危険な航路を通って、ようやく少量だけ持ち帰れたというのだから無理もない。モグラ魔峡谷ほどではないにしろ、巨大な海竜がうようよいる海域や、常に嵐が吹き荒れる場所を通らなければならないらしい。
だが、そんなの関係ないねぇ!
オレには有り金……いや、実質フィネアが稼いでくれた(そしてオレに押し付けようとしてきた)莫大な資金の一部を遠慮なく使い、バーラットが持っていた在庫をできる限り買い占めた。
これでしばらくは、焼きおにぎりだけじゃなく、白米、味噌汁、醤油を使った様々な料理が楽しめる……!
それを考えただけで、ニヤニヤが止まらない。
リビングのソファに座りながらも、キッチンに並べた米袋や醤油の壺、味噌の樽をちらちらと盗み見ては、口元がだらしなく緩んでしまう。
「……ねぇ、リリアちゃん。セツさん、今日、機嫌よすぎない?」
「うん……なんか、ちょっとキモいかも……」
ソファの反対側でひそひそと会話しているのは、いつの間にかすっかりオレの家の常連になったフィネアとリリアだ。
ペストマスクは家の中では外しているフィネアと、最近妙にオレに懐いているリリアが、揃って訝しげな視線をこちらに向けている。
「おい、お前ら。聞こえてるぞ」
オレがじろりと睨むと、二人は「ひゃっ!?」と小さな悲鳴を上げて肩をすくめた。まったく、失礼なやつらだ。
「だ、だって、セツさん、さっきからずっとニヤニヤしてて……。何か、すごくいいことでもあったんですか?」
リリアがおずおずと尋ねてくる。まあ、無理もないか。普段のオレはもっと無愛想というか、省エネモードで生きているからな。こんな風に機嫌が良いのは珍しいだろう。
「ふっふっふ……まあな。だが、簡単には教えん。これはオレだけの秘密だ」
わざとらしく勿体ぶって言うと、フィネアとリリアは顔を見合わせ、「「うわー……」」と完全に引いた表情になった。お前ら、もうちょっとオブラートに包めよ……。
さて、それらの食材をつかって、どんな料理を作ろうか。
というのも、バーラットの旦那から、「この新しい食材を使った料理を、ぜひ旦那に考案してほしい」と頼まれたのだ。向こうも商売だからな。ただ珍しいだけじゃなく、「美味い食い方」がわからなければ、貴族相手にも売り込みにくいのだろう。
もちろん、協力は惜しまない。
というか、むしろ大歓迎だ! この米と醤油と味噌の美味さが、この国にもっと広まればいい。需要が増えれば供給も安定し、いずれは価格も下がってくるはずだ。そうなれば、オレは毎日最高の日本食ライフを送れる……!
コーヒーだってそうだ。
貴族の間だけのブームで価格が高騰したが、最近は流通量が増えて少し落ち着き、オレでもなんとか買える値段になってきた。同じ流れを、このジン国の食材でも起こしてみせる……!
ふはははは! 笑いが止まらん!
「……やっぱり今日のセツさん、おかしいですよ……」
「うん、なんか怖いね……」
フィネアとリリアがさらに距離を取ろうとした、その時だった。
「だーりん♪」
ふわりと背中に柔らかい感触と温もりが伝わってきた。振り返るまでもない。この気配、この呼び方、そしてこの遠慮のなさ……シーナだ。
いつものように、なんの断りもなく家の中に侵入してきたらしい。
「よぉ、シーナ。また勝手に……」
オレは言いかけて、言葉を止めた。
今日のシーナは、いつもと違って髪を少し凝った編み込みにしていた。普段より少しだけお洒落に気を遣ってみたようだ。
「えへへ、どうかな? かわいいでしょ?」
シーナはオレの腕に自分の腕を絡めながら、上目遣いで尋ねてくる。……うん、まあ、正直どうでもいいというのが本音だが……今のオレは機嫌がいいからな。
「おぉ、かわいいな、シーナ」
オレがそんな感想を口にした瞬間だった。
シーナの動きが、ピシリ、と固まった。
え? という顔で目をぱちくりさせ、次の瞬間、まるで猛獣にでも遭遇したかのようにサッとオレから距離を取った。
「……だ、ダーリン……? 今……なんて……?」
その声は震え、表情は驚愕から徐々に恐怖へと変わっていく。
オレは首を傾げる。
「? かわいいって言っただけだが」
「ひぃっ!?」
シーナは短い悲鳴を上げると、脱兎のごとくフィネアとリリアが座っているソファの背後へと駆け込み、ガタガタと震え始めた。
「た、大変よ、二人とも! ダーリンの中身が誰かと入れ替わってる!」
「えぇっ!? やっぱり今日のセツさん、おかしいと思ってたんですよ!」
「どうしよう、フィネアちゃん! もしかして、悪い魔術師に乗っ取られたとか!?」
おい、待て。なんだその反応は。
三人揃って、まるでオレが未知の怪物にでもなったかのような目でこちらを見ている。しかも、本気で怯えている。
「……お前ら、普段、オレのことどう思ってんだよ……」
思わず、心の底からの声が漏れた。
オレは深いため息をつくと、呆れ果てた声で説明するしかなかった。
「別に変なことじゃないだろ。オレが今日機嫌がいいのは、ただ単に……すっげぇ珍しい食材を手に入れたからだ。それだけだ」
そう言って、キッチンに並べた米袋や醤油のはいった壺を指さす。
三人は恐る恐るそちらに視線を向け、そしてまたオレの顔を見た。
まだ疑いの色が消えていないその表情に、オレはもう一度、今度はさらに深いため息をつくしかなかった。




