―74― これがわたしの――ッッ!!
「……へぇ?」
わたしに背を向け、勝利を確信して立ち去ろうとしていたコーダが、面白そうに振り返る。最初は「往生際が悪い」とでも言いたげな侮蔑の色を浮かべていたその瞳が、わたしの顔を見て、わずかに見開かれた。
「その目……」
彼女は驚きと、そして歓喜が入り混じったような、不敵な笑みを浮かべた。
「いいじゃない、リリア! やっと昔のあなたに戻ったみたいね! そうでなくっちゃ、あたしのライバルが務まるわけないでしょ!」
コーダはサングラスを投げ捨て、再び戦闘態勢に入る。その全身から放たれる魔力は、先ほどよりも明らかに熱を帯びていた。
わたしも深く息を吸い込み、再び魔力を練り上げる。
もう恐怖はない。迷いもない。
あるのは、目の前の好敵手と、自分の全てをぶつけたいという純粋な衝動だけだ。
「行くわよ!」
今度はコーダから仕掛けてきた。プロの世界で磨き上げられた、鋭く無駄のない踏み込み。放たれた右ストレートは、さっきまでのわたしなら反応すらできなかっただろう。
だれど――見える。
セツさんが見せた、世界の法則すら書き換えるような超常の戦い。シーナさんが見せた、空間ごと叩き潰す理不尽なまでの暴力。
あの規格外の領域を間近で見てしまった今、コーダの動きは、確かに速いけれど、ちゃんと『認識』できる。
わたしは最小限の動きで体をひねり、拳を紙一重でかわす。空を切ったコーダの腕……そこに生まれた一瞬の隙。
「――っ!」
わたしはそこに、カウンターの蹴りを叩き込んだ。
完璧なタイミングのはずだった。しかし、コーダもまた驚異的な反応速度で腕を交差し、わたしの蹴りをガードする。
「へぇ……!」
コーダの口元が歪んでいた。
「さっきと全然動きが違うじゃない……!」
「どうかしら……!」
わたしは着地と同時に体勢を低くし、今度は足払いを仕掛ける。それすらもコーダはバックステップで回避し、間合いを取り直す。
一進一退。
さっきまでの一方的な展開が嘘のように、わたしとコーダの実力は拮抗していた。
勝ちたい、というプレッシャーから解放されたわたしの動きは、自分でも驚くほど滑らかだった。もうプロの舞台も、ランキングも、観客の声も関係ない。ただ、目の前の相手の動きを読み、自分の体をどう動かすか、それだけに集中していた。
だが、純粋な技の多彩さや経験値では、まだコーダに分がある。徐々に、しかし確実に、わたしは再び追い詰められていった。
やっぱり……このままじゃ、ジリ貧……!
小手先の技じゃダメだ。シーナさんやセツさんのような、理不尽なまでの『何か』はわたしにはない。
わたしにあるのは、ただ一つ。学術院時代から、誰にも負けなかった、この『スピード』だけ……!
これに全てを賭けるしかない。
わたしは大きく後方へ跳び、コーダと距離を取った。そして、深く、深く息を吸い込む。
「……あら? またそれ?」
コーダが呆れたように肩をすくめる。わたしが最大速度での突撃に移るための予備動作……彼女にはそう見えたのだろう。
「あなたって本当に芸がないのね。最後の最後は、やっぱりヤケクソの突撃……。いいわ、今度こそ完璧なカウンターで、あなたの心をへし折ってあげる」
コーダは自信満々に両腕を構え、迎撃態勢に入る。
……そう、それでいい。そう思っていてくれれば、それでいい……!
わたしは全身の魔力を、ただひたすらに脚へと注ぎ込む。筋肉がきしみ、血管が浮き上がるほどの魔力集中。
これは、ただの【疾風】じゃない。
「誰にも見せたことのない、わたしの本当の切り札」
呟いた瞬間、わたしの身体が爆ぜた。
地面が砕け、一直線にコーダへと突き進む。その速度は、先ほどまでとは比較にならない。
コーダの瞳が、驚愕に見開かれると同時、余裕綽々といった笑みを浮かべた。
彼女はわたしの軌道を完璧に読み切り、カウンターの拳を寸分違わぬタイミングで合わせようとしているんだ。
でも――甘い。
これは、ただの直線的な突撃じゃない……!
「――二段加速!」
カウンターが放たれる、まさにその寸前。わたしはさらに魔力を爆発させ、速度をもう一段階引き上げた。
コーダの反応速度を、ほんのコンマ数秒だけ、上回る……!
「なっ――!?」
コーダの拳が空を切る。わたしは彼女の懐に潜り込み、溜めに溜めた全質量と全速度を、右の拳、ただ一点に乗せた。
「これが……わたしの、全部だぁあああああぉっ!」
轟音。
わたしの拳が、咄嗟にガードを固めたコーダの腕を砕き、その勢いのまま彼女の体を吹き飛ばした。
コーダの体は数メートル後方まで弾き飛ばされ、地面に激しく叩きつけられる。
「はぁ……はぁ……っ」
わたしもまた、全魔力を使い果たし、その場に膝から崩れ落ちた。もう指一本動かせそうにない。
砂煙の向こうで、コーダがゆっくりと身を起こすのが見えた。その表情には、驚きと、悔しさと、そしてどこか満足げな色が混じっていた。
「……今の技……初めて見たわ。まさか、そんなものを隠していたなんてね……」
「……こんなの初見殺しよ。もう二度目は通用しない」
「……ふっ。そうね」
コーダはふらつきながら立ち上がると、わたしに向かって言った。
「……今日のところは、あたしの負け、でいいわ。その代わり、プロの舞台に戻ってきなさい。次は、絶対に叩き潰してやる」
その言葉に、わたしは静かに首を横に振った。
「……ううん、もう戻らない」
「は……?」
コーダの動きが止まる。信じられない、という顔でわたしを見た。
「あたしはもう、引退するつもりだから」
わたしの言葉に、コーダは一瞬、きょとんとした顔をした。だが、それが冗談ではないと悟ると、彼女の表情はみるみるうちに歪んでいった。
「……はぁ!? な、何言ってるのよ、あんた! 引退!? ふざけないで!」
突然、彼女は子供のように声を張り上げた。さっきまでの挑発的な態度はどこへやら、感情をむき出しにしてわたしに詰め寄ってくる。
「このあたしに一泡吹かせておいて、それで『はい、さよなら』!? 冗談じゃないわよ! あんたはあたしのライバルでしょ!? あたしが『もういい』って言うまで、あんたは引退なんて許されないのよ!」
「……コーダ……」
「やだ! やだやだやだ! 絶対に認めないんだから! う……うわあああああああんっ!」
次の瞬間、コーダはその場にへたり込み、子供のように大声で泣き出してしまった。
え……。
ええええええっ!?
「ひっぐ……うぇ……リリアのばかぁ……! あたしを置いていくなんてひどい……! やっと……やっと、また本気で戦えると思ったのにぃ……!」
わたしは完全に固まってしまった。
あの、自信満々で、常にわたしを上から目線で見下していたコーダが……地面に座り込んで、わんわん泣いている……。
これは、一体どういう状況……? 新しい挑発? それとも何かの罠……?
「あ、あの……コーダ……? だ、大丈夫……?」
恐る恐る声をかけると、コーダは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「大丈夫なわけないでしょおおおっ! あんたが引退したら、あたしは誰をライバルにすればいいのよぉ……! 首席のあんたを追い抜くためだけに、あたし、今まですっごくがんばってきたのに……! もうやだ、あたしもプロやめるぅ……!」
地面をごろごろと転がりながら、彼女は本気で駄々をこね始めた。
わたしは、ただただ困惑するばかりだった。どうしよう……。なだめた方がいいの? でも、なんて言えば……。わたしの頭は完全にキャパオーバーだった。
しばらくの間、森にはコーダの泣き声だけが響き渡っていた。
やがて、ひとしきり泣き終えたのか、彼女の嗚咽がしゃくりあげるようなそれに変わっていく。コーダはゆっくりと立ち上がると、袖で乱暴に目元を拭った。
「……もう、いい」
しゃっくりをしながら、彼女はわたしを睨みつける。
「勝手にしなさいよ……! もう知らないんだから……! でも、絶対に後悔するんだからね……! ひっく……ばかリリアぁ……!」
最後まで悪態をつきながらも、その声は涙で震えていた。
コーダはくるりと背を向けると、おぼつかない足取りで森の奥へと消えていく。その後ろ姿は、世界ランキング3位のスーパースターとは似ても似つかない、ただの泣き虫な女の子だった。
一人残されたわたしは、その場にへたり込んだ。疲労で指一本動かせそうにない。
でも、なんだか、少しだけ笑ってしまいそうだ。
……なんなのよ、もう。
わたしはもう、迷わない。
このラグバルトの町で、わたしは新しい居場所を見つけたんだから。




