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排水溝につまったスライムを日々かたづけるだけの底辺職、なぜか実力者たちの熱い視線を集めてしまう  作者: 北川ニキタ


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74/78

―74― これがわたしの――ッッ!!

「……へぇ?」


 わたしに背を向け、勝利を確信して立ち去ろうとしていたコーダが、面白そうに振り返る。最初は「往生際が悪い」とでも言いたげな侮蔑の色を浮かべていたその瞳が、わたしの顔を見て、わずかに見開かれた。


「その目……」


 彼女は驚きと、そして歓喜が入り混じったような、不敵な笑みを浮かべた。


「いいじゃない、リリア! やっと昔のあなたに戻ったみたいね! そうでなくっちゃ、あたしのライバルが務まるわけないでしょ!」


 コーダはサングラスを投げ捨て、再び戦闘態勢に入る。その全身から放たれる魔力は、先ほどよりも明らかに熱を帯びていた。

 わたしも深く息を吸い込み、再び魔力を練り上げる。

 もう恐怖はない。迷いもない。

 あるのは、目の前の好敵手と、自分の全てをぶつけたいという純粋な衝動だけだ。


「行くわよ!」


 今度はコーダから仕掛けてきた。プロの世界で磨き上げられた、鋭く無駄のない踏み込み。放たれた右ストレートは、さっきまでのわたしなら反応すらできなかっただろう。

 だれど――見える。

 セツさんが見せた、世界の法則すら書き換えるような超常の戦い。シーナさんが見せた、空間ごと叩き潰す理不尽なまでの暴力。

 あの規格外の領域を間近で見てしまった今、コーダの動きは、確かに速いけれど、ちゃんと『認識』できる。


 わたしは最小限の動きで体をひねり、拳を紙一重でかわす。空を切ったコーダの腕……そこに生まれた一瞬の隙。


「――っ!」


 わたしはそこに、カウンターの蹴りを叩き込んだ。

 完璧なタイミングのはずだった。しかし、コーダもまた驚異的な反応速度で腕を交差し、わたしの蹴りをガードする。


「へぇ……!」


 コーダの口元が歪んでいた。


「さっきと全然動きが違うじゃない……!」


「どうかしら……!」


 わたしは着地と同時に体勢を低くし、今度は足払いを仕掛ける。それすらもコーダはバックステップで回避し、間合いを取り直す。

 一進一退。

 さっきまでの一方的な展開が嘘のように、わたしとコーダの実力は拮抗していた。

 勝ちたい、というプレッシャーから解放されたわたしの動きは、自分でも驚くほど滑らかだった。もうプロの舞台も、ランキングも、観客の声も関係ない。ただ、目の前の相手の動きを読み、自分の体をどう動かすか、それだけに集中していた。


 だが、純粋な技の多彩さや経験値では、まだコーダに分がある。徐々に、しかし確実に、わたしは再び追い詰められていった。


 やっぱり……このままじゃ、ジリ貧……!

 小手先の技じゃダメだ。シーナさんやセツさんのような、理不尽なまでの『何か』はわたしにはない。

 わたしにあるのは、ただ一つ。学術院時代から、誰にも負けなかった、この『スピード』だけ……!

 これに全てを賭けるしかない。

 わたしは大きく後方へ跳び、コーダと距離を取った。そして、深く、深く息を吸い込む。


「……あら? またそれ?」


 コーダが呆れたように肩をすくめる。わたしが最大速度での突撃に移るための予備動作……彼女にはそう見えたのだろう。


「あなたって本当に芸がないのね。最後の最後は、やっぱりヤケクソの突撃……。いいわ、今度こそ完璧なカウンターで、あなたの心をへし折ってあげる」


 コーダは自信満々に両腕を構え、迎撃態勢に入る。

 ……そう、それでいい。そう思っていてくれれば、それでいい……!


 わたしは全身の魔力を、ただひたすらに脚へと注ぎ込む。筋肉がきしみ、血管が浮き上がるほどの魔力集中。

 これは、ただの【疾風ブースト】じゃない。


「誰にも見せたことのない、わたしの本当の切り札」


 呟いた瞬間、わたしの身体が爆ぜた。

 地面が砕け、一直線にコーダへと突き進む。その速度は、先ほどまでとは比較にならない。

 コーダの瞳が、驚愕に見開かれると同時、余裕綽々といった笑みを浮かべた。

 彼女はわたしの軌道を完璧に読み切り、カウンターの拳を寸分違わぬタイミングで合わせようとしているんだ。

 でも――甘い。

 これは、ただの直線的な突撃じゃない……!


「――二段加速!」


 カウンターが放たれる、まさにその寸前。わたしはさらに魔力を爆発させ、速度をもう一段階引き上げた。

 コーダの反応速度を、ほんのコンマ数秒だけ、上回る……!


「なっ――!?」


 コーダの拳が空を切る。わたしは彼女の懐に潜り込み、溜めに溜めた全質量と全速度を、右の拳、ただ一点に乗せた。


「これが……わたしの、全部だぁあああああぉっ!」


 轟音。

 わたしの拳が、咄嗟にガードを固めたコーダの腕を砕き、その勢いのまま彼女の体を吹き飛ばした。

 コーダの体は数メートル後方まで弾き飛ばされ、地面に激しく叩きつけられる。


「はぁ……はぁ……っ」


 わたしもまた、全魔力を使い果たし、その場に膝から崩れ落ちた。もう指一本動かせそうにない。

 砂煙の向こうで、コーダがゆっくりと身を起こすのが見えた。その表情には、驚きと、悔しさと、そしてどこか満足げな色が混じっていた。


「……今の技……初めて見たわ。まさか、そんなものを隠していたなんてね……」


「……こんなの初見殺しよ。もう二度目は通用しない」


「……ふっ。そうね」


 コーダはふらつきながら立ち上がると、わたしに向かって言った。


「……今日のところは、あたしの負け、でいいわ。その代わり、プロの舞台に戻ってきなさい。次は、絶対に叩き潰してやる」


 その言葉に、わたしは静かに首を横に振った。


「……ううん、もう戻らない」


「は……?」


 コーダの動きが止まる。信じられない、という顔でわたしを見た。


「あたしはもう、引退するつもりだから」


 わたしの言葉に、コーダは一瞬、きょとんとした顔をした。だが、それが冗談ではないと悟ると、彼女の表情はみるみるうちに歪んでいった。


「……はぁ!? な、何言ってるのよ、あんた! 引退!? ふざけないで!」


 突然、彼女は子供のように声を張り上げた。さっきまでの挑発的な態度はどこへやら、感情をむき出しにしてわたしに詰め寄ってくる。


「このあたしに一泡吹かせておいて、それで『はい、さよなら』!? 冗談じゃないわよ! あんたはあたしのライバルでしょ!? あたしが『もういい』って言うまで、あんたは引退なんて許されないのよ!」


「……コーダ……」


「やだ! やだやだやだ! 絶対に認めないんだから! う……うわあああああああんっ!」


 次の瞬間、コーダはその場にへたり込み、子供のように大声で泣き出してしまった。

 え……。

 ええええええっ!?


「ひっぐ……うぇ……リリアのばかぁ……! あたしを置いていくなんてひどい……! やっと……やっと、また本気で戦えると思ったのにぃ……!」


 わたしは完全に固まってしまった。

 あの、自信満々で、常にわたしを上から目線で見下していたコーダが……地面に座り込んで、わんわん泣いている……。

 これは、一体どういう状況……? 新しい挑発? それとも何かの罠……?


「あ、あの……コーダ……? だ、大丈夫……?」


 恐る恐る声をかけると、コーダは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。


「大丈夫なわけないでしょおおおっ! あんたが引退したら、あたしは誰をライバルにすればいいのよぉ……! 首席のあんたを追い抜くためだけに、あたし、今まですっごくがんばってきたのに……! もうやだ、あたしもプロやめるぅ……!」


 地面をごろごろと転がりながら、彼女は本気で駄々をこね始めた。

 わたしは、ただただ困惑するばかりだった。どうしよう……。なだめた方がいいの? でも、なんて言えば……。わたしの頭は完全にキャパオーバーだった。


 しばらくの間、森にはコーダの泣き声だけが響き渡っていた。

 やがて、ひとしきり泣き終えたのか、彼女の嗚咽がしゃくりあげるようなそれに変わっていく。コーダはゆっくりと立ち上がると、袖で乱暴に目元を拭った。


「……もう、いい」


 しゃっくりをしながら、彼女はわたしを睨みつける。


「勝手にしなさいよ……! もう知らないんだから……! でも、絶対に後悔するんだからね……! ひっく……ばかリリアぁ……!」


 最後まで悪態をつきながらも、その声は涙で震えていた。

 コーダはくるりと背を向けると、おぼつかない足取りで森の奥へと消えていく。その後ろ姿は、世界ランキング3位のスーパースターとは似ても似つかない、ただの泣き虫な女の子だった。


 一人残されたわたしは、その場にへたり込んだ。疲労で指一本動かせそうにない。

 でも、なんだか、少しだけ笑ってしまいそうだ。

 ……なんなのよ、もう。

 わたしはもう、迷わない。

 このラグバルトの町で、わたしは新しい居場所を見つけたんだから。

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