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―06― 魔女襲来

 働きすぎは身体に毒……というか、そもそも仕事なんて三日に一度で十分だろう。

 そう思い続けて早十数年、オレの名前はセツ。異世界に転移してきた元・社畜の万年F級冒険者である。

 ドブさらいの仕事をドカッと三十件くらい一気に片づけては、あとはしばらくひたすら休む——これがオレの基本スタイルだ。おかげで今日も、昼過ぎまでぐっすり寝てしまった。


「ふぁあ……よく寝た」


 起き上がって簡単に顔を洗い、昨日の残り物のパンをかじる。前世で痛感した健康管理の大切さを思うと、ちゃんと朝食を作るべきなんだろうが……うん、まあ今のは昼食かな。

 それはともかく、今日はお待ちかねの休日だ。昨日、三日ぶんのドブさらいを終わらせたから、しばらく依頼に追われることもない。


「さてと……コーヒーでも淹れますかね」


 こういうのんびりした時間を楽しむために、オレはこの異世界にやってきたに違いない。

 実は、オレにはちょっとした趣味がある。それはコーヒー豆の自家焙煎だ。

 この世界にもコーヒー豆が存在するのだ。高地でしか採れないらしく、市場にはあまり出回らないため、そこそこ高級品だ。だがオレは、ドブさらいで得たささやかな貯金の中からちびちび買い集めて、独学で焙煎に挑んでいる。


 なんでも、焙煎の度合いや粉の挽き方、さらにはお湯の温度や淹れ方で味が激変するらしい。オレがちょっと試行錯誤するだけで味が変わるから、なかなか奥が深い。


「……んー、よし、豆を手動で回転させて……もう少し炎を強めに……いや、今日は浅炒りでフルーティな香りを活かすか……」


 自室のコンロに小さな焙煎釜をセットして、豆を転がしながら香りの変化を楽しむ。この豆が弾けるほんの一瞬を逃さないよう、集中して火加減を見極めるのがオレのこだわり。

 コーヒー豆がはじけるポンっという音に合わせて、浅めの茶色に仕上げたら急冷。さっそくミルで挽いてから、お湯の温度を少しだけ下げてゆっくりと抽出していく。


「ふー……この香り、たまんねぇ」


 湯気とともにふわりと漂う香ばしさ。それに加えて、鼻をくすぐるフルーティな酸味。ゆっくり注ぎきったあと、マグカップを口元へ運ぶと……口当たりの柔らかい苦みと程よい酸味が、じんわりと広がる。


「うめぇ。こんな贅沢が味わえるなら、あとはダラダラ過ごすだけで十分だな……」


 グビグビと飲み干すわけじゃなく、ちびちび味わう。この悠々自適なひとときこそ、前世では絶対に得られなかった幸せの形だ。

 ドブさらいで生計を立てる? いいじゃないか、楽だし自分のペースでやれるし。


 さて、作業台の上に置いたノートを確認しながら、次の豆の焙煎プランを立て始めたときだった。


「ダーリン。ずいぶんとおいしそうなものを飲んでるじゃない?」


 あまりに唐突な声に、思わず持っていたペンを落としそうになる。ドアも窓もきっちり閉めているはずなのに、いったい誰だ? というか、なぜ俺の部屋にいる?


「……って、うわっ!」


 慌てて振り向くと、そこにいたのは背丈の小さな女がいた。

 少女の見た目のくせして、腰にはしっかり剣を差し、軽装の冒険者スタイル。ぱっと見は子どもでも通るその可愛らしい外見と裏腹に、妙に落ち着いた眼差しでこちらを見ている。

 そして何より気にくわないのは、その口から飛び出す「ダーリン」という気安い呼び方だ。


「おい、何勝手に入ってきてんだよ、シーナ。鍵閉めてたはずだろ? つーか、いきなりダーリン呼ばわりするのやめてくれってこの前言っただろ」


 そう、彼女の名はシーナ。

 俺と同い年くらい……いや、実は年まで知ってるわけじゃないが、しかし、子供のくせにとオレが言うと、「わたしはこれでもあなたと同年代なんだけど」と散々訂正してくるわけだが、真相のほどは知らん。


「あら、あなたのような優秀な遺伝子、わたし以外にふさわしい人なんていると思わないけど。まさか、わたしでさえ不満っていうのかしら。流石、このわたしを負かした男なだけあるわね。惚れ直しちゃいそう」


 シーナは剣の柄に手を当てながら、ふっと意味深に笑う。

 顔は確かに可愛いけど、その中に漂う妙な挑発的雰囲気が苦手だ。

 第一、俺は彼女に勝負を挑んだわけでも何でもなかった。偶然、森の中で暴れている彼女をみつけ、ほうっておくと巻き込まれそうだったので、彼女を無力化しただけに過ぎない。

 ……それ以来、シーナが勝手に「ダーリン」と呼び始めただけという、わけの分からない経緯がある。

 以前詳細を聞いたときは、「わたしは自分より強い人と結婚するって決めていたの」と言われた。ますます意味がわからん。


「いや、オレはお前と勝負した覚えなんてないんだが」


「ふふっ、わたしごとき相手にすらならなかったってことかしら。これほどの屈辱、はぁ、そそるわね。惚れ直しちゃうわ」


 そう言うシーナはその場で身をよじらせている。

 ホント、なに言っても通じないから厄介なんだよな。


「それより、その黒い液体……何かしら? すっごくいい香りがしてる。ダーリンの部屋にずっと漂ってるから、つい吸い寄せられちゃった」


 視線は、俺の手元のマグカップへ。そこには少し色が薄めのコーヒーが入っている。先ほど浅炒りで仕上げた、自信作の一杯だ。


「……ああ、これか? コーヒーってやつだよ。豆を焙煎して挽いて、お湯で抽出して……まあ、説明が面倒だから手短に言うと、俺の趣味の飲み物みたいなもんだ」


 シーナはふーん、と感心しながらカップの縁に顔を近づけてクンクンと匂いを嗅ぐ。てか、彼女はオレの家にどうやって侵入してきたんだよ。


「さっきダーリンは『鍵をかけてた』とか言ってたけど……正直、入り口なんてわたしにとって些細なものよ。ま、その詳細を知りたいなら、この飲み物を一杯ちょうだい?」


 シーナはニヤリと笑いながら俺を見上げる。

 なんで平然と住居不法侵入罪を犯す相手になにかを貢がなきゃいけないんだよ。 


「盗み飲みしに来たってわけか? ったく、なんでオレがそんなことを」


「これも何かの縁じゃない? そんなにけちけちしないでさ、一口だけ。ね、ダーリン♪」


 うざったいほど目をキラキラさせてくるシーナに、俺は思わずため息をつく。

 追い返したい気持ちは山々だが、彼女が変にゴネて暴れられても厄介だ。ちょうどコーヒーは多めに淹れてあるし、一口くらいなら……。


「ったく、仕方ねえな。ほら、椅子に座れよ。こぼすなよ」


「やったー! うふふ、ダーリン優しい。大好き!」


「そのダーリン呼び、マジで勘弁してくれ」


 渋々ながら予備のカップを用意して、先ほど淹れたコーヒーを注いでやる。


「へえ、なんだか大人っぽい飲み物でちょっとドキドキするわね」


 シーナは恐る恐る口元にカップを運び、ちびりと一口味わう。その瞬間、彼女の目がぱあっと輝いた。


「うわっ、何これ!? なんだかほろ苦いのに香りがすっごく上品で、後味がさわやか……変なの、ちょっと舌がピリッとする感じもあるわね。こんな飲み物、この世界に存在してたの?」


 大袈裟じゃなく、本当に驚いているようだ。初めてコーヒーを飲む人間は大抵、苦味に顔をしかめたり、砂糖を欲しがったりすることが多いのに。彼女は目を輝かせて、そのままぐいっともう一口。


「……おお……あはは、なんかクセになるわね。この香り、例えるなら……そうね、森の奥深くで風が吹いたときにふわっと花粉が舞う感じかしら? ごめんなさい、よくわかんないけど、とにかく好きだわ!」


「感想が抽象的だな。まあ、気に入ってもらえたなら良かったよ」


 思わぬ高評価に、俺はつい頬を緩めてしまう。

 コーヒーを淹れる手間はかかるが、こうやって喜んでもらえるのは悪い気がしない。前世でもプログラムを作っては周りに喜ばれたことがあるけど……結局あれは苦痛の始まりだった。今はあくまで自己満足で留めておきたいところだ。


「ふふーん、いいじゃないダーリン。ね、これ、もう少しもらってもいいのかしら?」


「おいおい、初心者がそんなにがぶ飲みして大丈夫か? 結構カフェインってやつが多いんだが」


「へえ、カフェインね。なんだか難しそう。ま、あたしの身体はこれでも丈夫だから平気平気。ほら、さっきの話をしてあげるから注ぎ足してちょうだい?」


 カップを傾けながら、シーナは明るく言う。どうやら部屋への侵入経路について説明してくれるらしい。そのためにコーヒーを使って交渉をしてきたわけだ。


「……ま、聞いてやるよ。で、どうやって入ったんだ?」


 俺がカップにコーヒーを注ぎ足すと、シーナは「んふふ」と得意げに胸を張る。小柄な身体に不釣り合いなほどの自信満々な笑みだ。


「実はね、わたし、建物への潜入とかけっこう得意なのよ。で、ダーリンの家の壁をつたって二階のちっこい窓から……」


「二階……? いや、あそこ窓っていうか、ほとんど通風口だぞ?」


「そう! だからこそ、あのサイズならあたしみたいに身体が小さい人間なら通れるかなーって。ほら、通気口って意外と金属格子が外しやすい構造だったし、強引に手で押してネジをゆるめたらすぽっと入れちゃった。あたし偵察とか得意なのよね」


 話を聞いて、頭が痛くなる。

 一応、防犯のつもりで窓には鍵をかけていたけど、通風口まではケアしてなかった。そこまで厳重にする気もなかったし、まさかあんなところを出入りしようとする人間がいるとは。


「はぁ……さすがにそこまでされたら防ぎようがないな」


「でしょ? あたしもまさかダーリンがコーヒーなんて洒落たもん嗜んでるなんて思わなかったけど、部屋に漂う香りに釣られちゃって……つい。ほんとごちそうさま!」


 シーナはにこにこしながらカップを空にする。

 いくら気に入ったからって、二杯目まで平らげるとは予想外だ。というか、そこまでがぶ飲みするようなもんでもないんだがな。


「まあ、コーヒー代はタダでいいけど……次からはちゃんと正面ドアをノックしろよ。鍵を開けてやるから」


「えー、それって、ダーリンがついにわたしを籍にいれてくれるってこと!? いいわ、わたしはいつでも心の準備ができているから」


「おい、どこをどう解釈したら、そんなことになるんだよ! って、おい! 勝手にオレのベッドに入り込むな!」


「ふふふっ、ダーリンったら照れちゃって。そういうところも好きよ」


 ちっ。うざ。

 マジでこいつ話通じね―よな。


「マセガキ、とっととこの家からでていけ」


「ふふっ、『絶界の魔女』の二つ名を持つわたしをガキ呼ばわりとは。ここまで侮辱されたのはいつ以来かしら。ますます惚れ直しちゃいそう」


 二つ名って厨二病かよ。きしょいな。

 オレは絶界のなんちゃらさんの首根っこを掴んでは、外に追い出す。


「おい、今後こそ勝手に家に侵入するなよ」


 そう言って、扉を強引に閉める。

 その際にも、シーナはなにやらマイペースに呟いていたが、聞く気にもなれなかった。

 はぁ、ああいう話の通じない相手とはこれっきりにしてもらいたいね。

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