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排水溝につまったスライムを日々かたづけるだけの底辺職、なぜか実力者たちの熱い視線を集めてしまう  作者: 北川ニキタ


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―43― コーヒーに合うデザート

「……ふぅ、家でのんびりするこの時間がまさに至高」


 オレはソファに身を沈め、半分うとうとしながらつぶやく。

 今日特になにか予定があるわけではない。前世で忙殺されたトラウマもあるし、こんなふうにのんびり暮らすのが一番性に合っている。

 ちょうどコーヒーを淹れようかと思って腰を上げた時だった。表の扉をトントンと軽くノックする音が聞こえてくる。

 扉を開けると、そこには柔らかな物腰の青年が立っていた。すらりとした姿に上品な雰囲気をまとい、鼻先にはどこか爽やかな香りが漂っている。


「やあ、セツくん。突然お邪魔して悪いね」


「レヤードか。久々だな」


 俺が声をかけると、レヤードはふっと微笑み、手に下げた紙箱を軽く持ち上げた。


「ちょっと届けたいものがあってね。……入ってもいいかな?」


「もちろん。むしろ歓迎だよ。どうせ暇してたし」


 レヤードを招き入れ、家のテーブルの前へ案内する。

 といっても、ここはF級冒険者の住まいなので、どう見ても高貴な身分のレヤードには居心地の悪い空間かもしれない。だがレヤードはそんなこと気にする様子もなく、椅子に腰掛けると「ここは落ち着くよね」とほんのり笑っていた。


「わざわざ何を届けに来たんだ? まさか、また珍しい豆とかか?」


「ふふっ、惜しいけど違うんだ。実は――サイフォンの試作品が完成したんだ」


 そう言ってレヤードが鞄の奥から取り出したのは、上下二つのガラス容器と細い管、そして小型の魔導刻印付きスタンド。

 オレが前に話した「上下に分かれた容器を使い、熱でお湯を循環させて抽出する」というアイデアを、レヤードが本気で形にしてくれたらしい。


「おお、本当に作ったのか。思ったより早かったな」


「うん。豆の値段が高騰するぐらい貴族たちの間でコーヒーがすごく流行っちゃってさ。となると、抽出器具にもいろんな要望が出始めてね。急いで試作品を仕上げさせたというわけ」


 そういえば、以前商人のバーラットも同じことを言っていたな。皇太子が火付け役となって貴族たちの間でコーヒーが流行っているって。


「なるほどな。こっちとしては、豆が高いとちょっと困るが……。まぁ仕方ないか」


「ごめんよ。でも、もし安定した供給ルートが開ければ、また価格も落ち着いてくると思う。賢者フィネア様のおかげで、効率的な輸送手段も開発されそうだし、時間の問題だと思うよ」


 レヤードが申し訳なさそうに肩をすくめていた。

 オレとしては、こんなところフィネアの話題を聞くとは、とそっちのほうに関心が向いてしまった。


「それと、今日はコーヒーに合うデザートも持ってきたんだ。チョコレートケーキなんだけど、ビター寄りに仕上げられていて苦味が際立つんだ。しかも、レストル公爵家がこのケーキを大絶賛して以降、人気になりすぎて今では滅多に手に入らないんだよ」


「へー、よくそんなケーキが手に入ったな」


「あぁ、ちょっとした伝手があってね」


 レヤードの箱を受け取って開けると、確かに濃いめのチョコレート色に薄く金粉が振ってあって、いかにも高級そうなケーキが並んでいる。香りを嗅いだだけでうまそうだ。


「よし、せっかくだからそのサイフォンを試しつつ、コーヒーを淹れてみるか」


「ありがとう。ぜひ感想を聞かせてほしいな」


 オレはキッチンからガラス瓶に入った豆を取り出す。そういや、これもだいぶ残り少なくなってきた。貴族のブームとやらが早く落ち着いてくれればいいんだが。

 ガリガリと豆をひきながら、レヤードが魔導スタンドの火力調整を始める。すると、魔導刻印が光ると共にゴウッと青白い熱の渦が立ち上がった。


「おお……なかなか綺麗じゃないか」


「だろう? ガラス越しに映る炎って、幻想的なんだよ。これも貴族たちには受けそうでね。エンタメ性も大事だから」


 上容器と下容器を接合し、お湯を下に入れてから熱を加えると、やがて気泡がパチパチと上がり始める。下の容器にあったお湯が圧力で上に移動し、そこで粉を攪拌して抽出――しばらく置いたあと、火力を弱めると下容器にコーヒーが落ちていく仕組み。

 湯がガラス管を通るとき、ぽこぽこと軽快な音を立てるから、見ていて飽きない。


「ふむ、悪くないな。香りもしっかり立ってるし、紙フィルター式よりもコーヒーオイルを逃しにくい分、コクが期待できそうだ」


「セツくんがイメージしてくれた図面どおりだよ。職人が苦労したみたいだけど、こうして動いてるのを見ると報われるね」


 湯が下に戻りきったところで、上容器を外す。澄んだコーヒーの水面がガラス越しに揺れ、小さな泡がプツプツと浮かんで消えた。

 さぁ、これをカップに注いで――と思ったそのとき。


「ダーリン、やっほー♪」


 窓辺からひょっこりシーナの顔が覗いてきた。


「シーナ、せめて玄関から入ってこいよ」


「いいじゃーん、そんな細かいことは」


 シーナが室内にずかずかと踏み込んできて、テーブルのサイフォンを見つけるや、「なにこれ、おもしろそう!」と目を輝かせた。

 一方でレヤードは、シーナを見た瞬間、さっと表情が変わった気がする。何か驚いたような、声にならない動揺を瞳に浮かべているような。


「……どうした、レヤード?」


「え、えっと……すみません、どこかでお会いしたような気がするんですが……」


 レヤードは戸惑いがちに口を結び、シーナをじっと見つめる。その視線に気づいたシーナは、少し眉根を寄せて首をかしげた。


「は? 誰? わたしはあんたの顔に覚えはないんだけど」


「そ、そうですか……いえ、僕の気のせいですね。はじめまして、僕はセツくんの友達のレヤードと申します」


「わたしはダーリンの妻のシーナよ」


 シーナはそう言って、にこりと笑顔を浮かべる。気味の悪い笑顔だ。

 レヤードはというと、「ダーリン?」と小声で言いつつ目を丸くしていた。これはしっかりと訂正しておかないとな。この前なんて、リリアが俺たちを夫婦だと勘違いしていたし。


「レヤード、こいつはオレのことをダーリンだと言い張るただのストーカーだ。結婚なんてしてないから勘違いしないでくれよ」


「あぁ、そうなんだね。少し驚いたよ」


 レヤードは苦笑いしていた。一方、シーナは「ダーリンったらつれないんだからー。そういうとこも嫌いじゃないけど」とか言ってもじもじしている。

 うっ、レヤードにはオレの抱えている汚点を知られたくなかったな。普通に恥ずかしい。


「ともかく、せっかく淹れたコーヒー、飲もうぜ。ほら、シーナの分も用意してやるからさ」


 話の流れを変えるように、オレはサイフォンに溜まったコーヒーをカップに分ける。少しだけ黒い液体がとろりと糸を引くように注がれ、ふわりと香ばしい香りが部屋を包む。


「わぁ、いい匂いじゃない」


「うん、本当にいい香りだね。セツくん、さっそくいただいていいかな?」


「どうぞどうぞ。シーナも、おとなしく座って飲めよ。マジで変なことすんなよ」


「はーい。……ん、なかなかいい苦味してるじゃない。熱いけど、おいしいわね」


 シーナはまるで子供のように、カップの中をじっと見つめてから大きく一口すすり、「はふはふ」と舌先を出している。レヤードは鼻をクンクンさせながら香りを楽しみ、そっと口をつけて味わう。


「確かに、まろやかだけどコクもしっかりある。これも貴族たちにウケるだろうな。ああ、ちょうど持ってきたこのビターチョコケーキとも合いそうだ」


 レヤードが箱を開けて取り出したビターケーキを切り分け、俺とシーナの前にも置いてくれる。

 ぱっと見ただけで上質なチョコの香りが漂ってきて、コーヒーとの相性を想像するだけで唾液が湧いてくる。


「じゃ、いただきますか」


 フォークを入れると、しっとりとしたチョコが静かに割れ、ほんの少し金粉が舞った。口に含めば、苦みがガツンと来るが、その後に程よい甘みとリッチなコクが追いかけてくる。そこへコーヒーを合わせると、それぞれの苦みがふわりと昇華されて余韻に浸る感じだ。


「……うん、これはいいな。甘すぎないし、コーヒーの苦味とも衝突しない。それどころか相乗効果って感じがする」


「だよね。ああ、この組み合わせを貴族たちが知ったら、ますますコーヒーが盛り上がるかもしれないなぁ」


 レヤードの顔には明るい笑みが浮かんでいた。シーナも悪くないと言わんばかりにケーキとコーヒーを交互につまみ、ほくほくしている。

 こうして、俺とレヤード、そして絶界の魔女シーナまでもが、同じテーブルを囲み、静かにコーヒーを味わう。

 少し騒がしい気もするが、こうしてのんびり楽しんでいる時間は、オレにとって最高の贅沢なのかもしれないな。

 そう思いながら、一口、また一口。香り高いコーヒーをすするたび、心がほどけていく気がしていく。



 僕――レヤードはセツくんの家を出て、石畳の道をゆっくりと馬車の待つ場所へ向かっていた。傍らには、執事のベルトンが控えている。

 先ほどまでのコーヒー談義――そして、魔女シーナとの邂逅があまりにも衝撃的で、頭がぐるぐるしていた。


「殿下、ずいぶんと考え込んでいらっしゃいますね」


 控えめに声をかけてきたのは、僕の執事であるベルトンだ。

 彼は少し離れたところで馬車を待機させていた。魔導機関の車両も一部では普及しつつあるが、まだこの町には魔導機関のための路線が整備されていない。


「……ああ。まさか、絶界の魔女がセツくんの家にいるなんて思わなかった。しかも、護衛役がいない」


 ベルトンは周囲に人影が少ないのを確認すると、小さく息を呑んだ。


「護衛役……でしたか。確か、魔女を除けば世界最強との呼び名のある、あのお方ですよね」


「そう、魔女でなく魔女によって危険に合う人を護衛する存在だよ。名前は確か、エスティアだったと思う」


 僕は小声で答える。シーナにまつわる様々な噂は王都でも有名だが、その際、シーナと共に語られるのが、彼女を抑えるために存在する戦士の存在だった。

 そのエスティアは女性ながら、S級冒険者はもちろん、王国近衛隊以上の実力を持ち、魔女の番人としてシーナに常に監視、彼女の暴走をなだめる役目を担っていた……はずだ。


「絶界の魔女はまるで獣のように戦いに飢えていて、一度荒れだすと誰も止められない。僕も昔、王城近くで彼女が暴れたところを間近で見たことがある。あの時は……今の穏やかな雰囲気が嘘みたいだったよ」


 記憶が鮮明によみがえる。シーナは獣のように目を輝かせ、笑みを浮かべたまま、訳もなく地面をえぐり、衛兵たちを玩具扱いしていた。

 彼女の魔力の奔流は凄まじく、あたりの空間を無理やり歪めてしまう。周囲は見る見る凍てつき、立っているだけで肌を刺す冷気を帯びていたのを覚えている。

 あのとき唯一シーナのそばに踏み込んだのが、護衛役エスティアだった。王国では指折りの腕利き。

 そのエスティアでさえ、シーナを制するには相当な苦労をしていた――なので、当然のように常に側にいるものだと思っていた。


「なのに、セツくんの家では、シーナは護衛役もつけずにコーヒーを飲んでいて……それどころかダーリンなどと馴れ馴れしく彼にくっついていた」


 僕はため息交じりに言葉を継ぐ。


「そもそもF級のどぶさらい冒険者と、世界最強クラスの魔女があんなに近い距離で生活しているなんて誰が想像する?」


 セツくんからすれば『ただのストーカーだ』と言い放っていたが……いや、本当にそうだろうか。どう見てもシーナが懐くには、何か理由があるに違いない。


「殿下、ここで馬車をご用意しております。……ですが、その絶界の魔女がセツさまの家にいる理由というのは、やはり見過ごせませんね」


 ベルトンが低い声で言うと、僕は静かに頷いた。


「うん。あれだけの危険人物がどうしてセツくんの前では大人しいのか……謎が多すぎる。そういえば以前、巨大モンスターがラグバルトを襲ったときにも、絶界の魔女が加勢したっていう報告を聞いたけど、絶界の魔女が人助けをするなんてと驚いたよ。それも、もしかしたら、セツくんの影響かもしれない」


 いろんな考えが頭を巡る。彼は会う度に、なんらかのサプライズを僕に届けてくれる。


「殿下、これは見過ごせない案件ではございませんか? わたしたちのほうで、より詳しく調べたほうが良いのでは?」


 ベルトンが低い声で言うと、僕は横に振った。


「いや、僕なんかが探ったところで無駄骨になる予感しかしないね。うん、それにセツくんとはいいお友達でいたいしね」


「殿下がそのような謙遜をなさるとは。セツ殿はそれほどの人間なのですか?」


 ベルトンは不思議そうな表情で僕を見た。そんな彼の顔を見て、僕は少し微笑む。

 下手に探りを入れるより、セツくんと今の関係を大切にしたほうがいい気がする。


「ベルトン、王都に帰ったら絶界の魔女について詳しそうな人を一通りあたってみようか」


 ベルトンは「承知いたしました」と頷く。

 何も調査しないわけにもいかないと思って提案したものの、王都で聞いて回ったところで、セツくんとシーナの関係は簡単に解明できるものではないだろうな、と僕はどこか諦めにも似た予感を抱いていた。

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