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排水溝につまったスライムを日々かたづけるだけの底辺職、なぜか実力者たちの熱い視線を集めてしまう  作者: 北川ニキタ


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―04― MVP少女、参戦

 ギルドの扉を抜けると、ラグバルトの昼下がりの空気が肌をかすめる。

 わたし——リリア=ヴェルトは手にしたリストをぎゅっと握りしめ、受付嬢が教えてくれたほうへ足を踏み出した。


「ったく、ドブさらいなんか誰もやりたがらないって聞いてたのに、まさか先客がいるなんてね……」


 力を磨くため各地を回っているというのに、まさか旅の資金が底をつきかけるのは誤算だった。

 由緒あるヴェルト家の出身で、幼い頃からお金に困ったことなかったから、こんなこと初めてだ。


 ま、私の実力さえあればどうにでもなるか。

 だって、名門アストル学術院を首席で卒業し、あの世界的な武装バトル競技——騎襲闘技(チバルレイド)からプロスカウトを受けた身なのだから。

 騎襲闘技(チバルレイド)は世界中で人気を博している壮大なスポーツだ。チーム同士が武器を使い、実戦さながらの戦いを繰り広げる。その迫力は観客の心を掴んで離さない。リーグ戦ともなれば全国各地で熱狂の嵐が巻き起こるほど、誰もが熱中する競技だ。

 わたしは学生時代のリーグで華々しく活躍し、その才能を認められてスカウトされた。

 しかし……今はさらに高みを目指したくて、こうして世界を巡る旅をしている。


「ふん、ドブさらいだろうとなんだろうと、私の力さえあればたやすくこなせるはずよね。さっさと追いついて頼み込んでしまえばいいのよ」


 腕を伸ばして軽く背筋を伸ばすと、すぐに右足を一歩進め、呼吸を整える。高慢にも見えるしぐさかもしれないが、これは魔術発動前のルーティンでもある。


「――疾風(ブースト)


 刹那、両脚に集中した魔力が稲妻のように全身を駆け抜ける。

 わたしの得意分野である速さに特化させた魔術だ。

 普段はもっと派手な演出を入れるけど、こんな町中で大掛かりに光らせても迷惑になるだけなので、魔法陣の光は最小限に抑える。


 そして——視界が一気に引き延ばされたように感じる。

 両足が石畳を蹴り、まるで空をかける鳥のような加速を生み出した。わたし自身、周囲の景色が高速で後ろへ流れ去っていくのを見ても、ほとんど動揺はしない。これが、わたしの『普通』なのだから。


「失礼っ!」


 道行く人たちのざわめきや、悲鳴に似た声が少しだけ耳に入る。あちこちで商人が荷車を引いていたり、買い物客が立ち止まっていたりと障害物には事欠かない。それでも、わたしは進行方向を素早く見極め、身体を少しずつ傾けて進むルートを修正する。速度を落とす必要なんて、ほとんどない。


「ま、わたしほどの逸材ならこの程度簡単なんだけどね。さっさと見つけて、お仕事分けてもらいましょ」


 そう言い聞かせるように、さらに脚力強化の魔力を流し込む。わたしは空気抵抗の負荷を意識しながらスピードを上げ、まるで空でも飛ぶように石畳を駆けていく。

 チームバトル競技では、武器の扱いも得意だが、とにかく最も評価されたのはこの脚力だった。「リリアより速いのは世界中探しても十人もいない」とまで言われてきたのだから。

 とはいえ、そんな自分でも力を求めて旅をしている以上、こんなところで立ち止まっている暇なんてないのだ。



「ああ、悪いね。依頼なら、さっき来た方がすでに終わらせちゃったよ」


「ええ?」


 とっさに口から大きな声が漏れてしまい、わたしは慌てて背筋を伸ばす。住宅の玄関先で対応してくれた中年の男性は、まるで当たり前のことを言うように首を傾げるだけだ。

 いやいや、さっき来た方って……わたしがギルドで住所を教わったのはほんの十分前。それこそ誰でもやりたがらない汚れ仕事だというのに、もう片付けられたですって?


「ちょ、ちょっと待ってください。ほんの少し前に、ギルドから出てきた人がドブさらいを……もう、全部終わったんですか?」


「うん。下水についたスライムも全部取り除いて、湯の通りもばっちりだよ。さっきの方、すごく手際がよくてね。あっという間に終わらせて帰っちまった。次の依頼先があるってさ」


「……そ、そうですか」


 わたしは言葉を失ったまま、家の中に入れてもらう。もしかしたら、依頼人が勘違いしている可能性だってある。スライムが残っているかもしれないし、きちんと掃除されていない箇所があるかもしれない。

 男性に案内され、薄暗い下水路へ続く小さな通路を覗き込む。だが、そこにはまったくスライムの気配がない。むしろ新品同様とまではいかなくても、余計な汚れがしっかりと洗い流されているのが一目でわかった。


「え、本当に……完璧じゃない。手抜きなしでこんな短時間に……?」


 わたしはちょっとした衝撃を受けながら、静かにその下水路の中に手を伸ばす。ベタつきが残っているか確認しようとしたが、指にぬめりがつく気配すらない。

 これじゃあわたしが入り込む余地はない。


「お嬢さん、もう満足はしたかい? うちの下水ならもう完璧だし、済んだなら悪いけど奥へは入らないでくれな」


「は、はい。すみません、お邪魔しました!」


 玄関先に戻り、男性に頭を下げてから住宅を出る。腰に差した短剣が、無駄に揺れるだけ。どうやらここで働き口はなさそう。



 門戸を出たわたしは、一度深呼吸をして頭を冷やす。慌てたって仕方ない。もしかしたら、さっきの家が特別早く終わっただけ……かもしれない。

 セツって人が、わたしより速く回れるなんて……普通に考えたらありえないわよね。

 なにせ、私はアストル学術院を首席で卒業した身。騎襲闘技(チバルレイド)で実績を積み、脚力の高さは国でも指折り——そう言われてきたのだ。まさか自慢の速度を遥かに上回る人がいるなんて考えたくない。


 わかった、受付嬢が嘘の時間を言ったのだ。

 十数分前どころか、もっと前からセツはドブさらいを始めていたに違いない。


「……よし、とりあえず二軒目に行ってみよう。次こそは間に合うはず」


 再び呟いて、手元の住所リストを確認する。

 間違いなくここからいちばん近いところを次にまわるはずだし、わたしが疾風ブーストを使えば、いくら何でも先回りできるだろう……いや、してみせる。


 わたしは軽く膝を沈め、魔力を脚に注ぎ込む。周りの人々が驚きの声を上げる中、石畳を疾風のように駆け抜けた。



 そして到着した二軒目。落ち着いた外観の家だったが、扉を叩いて出てきた若い女性が、信じられない言葉を口にする。


「もう終わりましたよ? さっき来た方に全部掃除してもらって……」


「……う、嘘でしょ……?」


 思わず唇が震える。住宅の下水を見せてもらったところ、そこもやはり泥もスライムの痕跡など微塵も残っていなかった。

 どうにも納得がいかないまま外へ出ると、わたしは悔しさを拳に込めて地面を軽く殴るように叩いた。

 受付嬢に騙された?

 わたしが到着した時点で既に作業が完了してるなんて。もっともっと前からセツって人がドブさらいを始めてたに違いない……。



 三軒目も、四軒目も、そして五軒目も——結果はすべて同じだった。

 到着したときには既にドブさらいが終わっていて、わたしの入る隙などこれっぽっちもない。

 気がつけば六軒目、七軒目……。一般の住宅だけでなく、工場の排水路や、公共の下水、はたまた薬草を煮込む工房の廃液ダクトまで、ありとあらゆる場所に足を運んだ。

 しかしどこへ行っても、みな同じセリフを返してくるのだ。


「もうスライムは取り除いてもらった」


 数軒どころか、十軒、十五軒、二十軒……同じ結果が続く。リストを追いかけて走り回るわたしの脚力が衰えることはないと信じていたが、さすがに体力も魔力も限界が近づいてきた。

 街中をずっと疾風ブーストで駆けずり回るなんて、私生活じゃあり得ない激務だ。加えて、わたしは魔術だけでなく運動量だって膨大に消費している。昼食を食べていないせいで、お腹もすいてきた。

 だというのに、まだセツなる人の影すら見えていない。


「くっ……なんで……。こんなの……!」


 だからといって、引くに引けない。

 もしここで「もう無理」なんて諦めたら、自慢の脚力も学術院首席だった実績もすべて無意味になる気がしてたまらない。

 わたしは歯を食いしばり、住所リストに視線を落とす。まだ残りの依頼先はわずかにある。



 結局、二十五軒目も二十八軒目も、まったくセツに追いつけないまま終わっていた。

 そして、最後の三十軒目——ここでダメなら完全に打つ手なし。

 目の下にクマができそうなほど疲弊しながらも、わたしは容赦なく疾風ブーストを発動する。

 もう帰るお金も宿代も、ここで働けなきゃ手に入らないんだから……!

 ヘロヘロになりながら、どうにか三十軒目の工房へと到着した瞬間、ドアを開けて顔を出した職人の男から心ない言葉が飛んできた。


「悪いが掃除はもう終わったんだ。ついさっき、依頼を受けてくれた冒険者が出ていったところでな」


「……あぁ……」


 その場でがくりと膝をついた。

 脳裏をよぎるのは、受付嬢のやさしい笑顔。

 もしかして……騙された?

 セツの出発時間はもっと前だったとか、そんな裏があったに違いない。

 少なくとも、わたしがこの街を全力疾走してなお一度も姿を見ていないなんて、普通にあり得ない話だ。

 そこまで足の速い人間が存在するわけない。ガセネタをつかまされたんだ。


「——ふざけないでよ……! こんなの……こんなのって……!」


 わなわなと拳を握る。息は荒く、心臓がバクバクとうるさく脈を打つ。滴る汗を拭いもしないまま、わたしは湧き上がる悔しさに声を上げた。


「受付嬢……あの女が……騙したに違いないっ……!!」


 叫んだその瞬間、近くを通りかかった人々が驚いた視線を向けてくる。わたしは一瞬だけ気恥ずかしさを覚えたが、それ以上に悔しさが勝った。

 全三十件のドブさらい現場を回り切ったというのに、ただの一度もセツと遭遇できなかったのだ。


「くそっ……まさか本当に、わたしより速いわけ……ないよね。……ねえ?」


 心の片隅で、ありえない推測がちくりと刺さる。だが、そんなことありえるはずがない!

 はぁ……、もうへとへとだ。今すぐにでも宿に戻って寝たい気分。

 そう思考して気がつく。

 走り回ったのは宿代を稼ぐためだったんだ。


「あぁああああ!! それよりも今日の泊まるところどうしよぉおおおおお!?」


 そんな、わたしの絶叫がこだました。

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