―32― 刻環の賢者
エリリオン共和国――。
比較的温暖な気候と豊かな耕作地を有することで知られる国だ。
国政形態は大統領制を敷き、貴族制度が色濃く残る周辺諸国とは一線を画している。国民の教育水準が高く、古くから「魔術の理論化」に熱心に取り組んできた背景もあり、国際魔術協会の本部のひとつがこのエリリオン共和国に置かれている。
そんなエリリオン共和国の首都・リヴェスタンは、今日、例年以上の熱気に包まれていた。華やかな街路には多くの国民が集い、中央広場には特設ステージが建てられている。そこで執り行われるのが――
「新たなる賢者の誕生を祝う式典、でございます!」
司会役が声を張り上げ、その声は魔導拡声器を通じて広場中に響き渡る。
――賢者。
それはこの世界で最高峰の名誉だ。
魔術を発展させる偉業を成し遂げた者に与えられる称号であり、かの「魔術の父」賢者エベラスの時代から、顕彰制度として続いてきた歴史あるもの。
賢者と魔女は、表面的には魔術界における至高の称号とされている。
しかし、魔女がその〈規格外の戦闘力〉で周囲をおびえさせる存在だとすれば、賢者は〈新たな理論や発明によって魔術界に多大な恩恵をもたらす〉――いわば『創造の象徴』である。
会場の観客席を埋め尽くす人々の前に、エリリオン共和国の大統領アマレス・エヴィルがゆっくりと歩みを進めた。まだ若い大統領だが、優れた政治手腕で国民の支持を得ている。金色の大統領徽章が胸元で輝き、ステージ中央の特設壇上に据えられたマイクへと向かう。
「皆さま、本日はようこそお集まりくださいました! 本日、わたくしどもエリリオン共和国並びに国際魔術協会は、新たなる賢者を迎えるという栄光の瞬間を迎えます!」
広場中から、大きな歓声がわき起こる。
照りつける夏の陽光の下、無数のフラッグがはためき、人々の期待感が最高潮に高まっていた。何しろ「賢者の称号」が授与されるのは数年ぶり。そんな大偉業を成した天才がどんな人物なのか、皆が興味津々なのだ。
大統領の声を合図に、ステージ脇の一角から姿を現したのは、どう見ても二十代そこそこの若い女性だった。茶髪をすとんと下ろし、長袖のシンプルなローブを身につけている。華やかな場でありながら、彼女の装いは地味とさえ言えた。
しかし、その登場だけで会場は大きく沸き立った。
「あんなに若いのに、本当に賢者だって……?」
「確か、有名学院の出じゃないらしい。すごいな……」
さまざまな囁きが広場を飛び交う。確かに、名だたる名門学術院を出ていない者が賢者に選ばれるなど、前代未聞だった。
若い女性が壇上へ上がると、大統領アマレスが厳かに言葉を紡ぐ。
「フィネア=エルストラ殿。あなたは、この世界の魔術理論において偉大なる貢献を果たされました。――『魔導刻印』を発展させ、その独自の術式を『刻環融合のアーティクル理論』へとまとめあげた功績は、今や世界中の魔道具に革命を起こしています。精巧な魔導武器はもちろん、日常生活を豊かにする魔道具の開発までもが飛躍的に進化した。まさに魔術界の大きな転換点です。これに伴い、あなた様に『刻環の賢者』の称号を授与いたします」
その言葉を受け、満場の拍手。連なる大歓声の中、フィネアが顔を上げる。彼女の胸には、まだ混乱と戸惑いが渦巻いていた。
(……どうして……どうして、こうなってしまった……)
賞賛を浴びるたびに、心がちくりと痛む。
そう、実のところ、彼女の提示した魔導刻印の新たな理論――『刻環融合のアーティクル理論』と呼ばれる新理論――は、あくまで『ある男』の言葉をなぞってまとめただけだった。
(まさか、セツくんの言われた通りに発表したら、賢者にまで選ばれるなんてぇええええええ!!)
そう、彼女の得た功績は全部、一人の男によってもたらされたものだった。
◆
オレの名前はセツ。
万年F級のどぶさらいしかしない冒険者だ。
異世界に転移してから「できる限り地味に静かに暮らしたい」という思いを抱き、できる限り目立たないように生きている。
そんなオレの家のリビングに、ある日、訪ねてきたと思ったら、すぐさま妙にきっちりとした正座をする女性が目の前にいた。
彼女の名は、フィネア=エルストア。
今や「賢者」の称号まで得てしまった超有名人――と、世間的にはなっている。
「セツくん、お願いだから……このまま世間を騙し続けるなんて、もう無理です! 賢者なんて大層な肩書き、流石に荷が重すぎますってば……!」
フィネアは泣きそうな顔をしながら、オレのリビングの床でべったりと両膝をついて、まるで土下座寸前という感じだ。
いや、彼女がこうなってしまう理由は、オレにもよーく分かっている。何しろ、ここに至るまでの経緯を作ったのはオレだからな。
「……はぁ、そんなに騒ぐなよ。ほら、ソファにでも座れって。床に正座してても落ち着かないだろ」
オレがため息交じりに言うと、フィネアは「ありがたく座らせていただきます……」とブツブツ言いながら渋々立ち上がる。
「セツくん……ほんとに何とかしてよ。わたし、もう毎日胃が痛くて痛くて……」
テーブルのほうへ促すと、フィネアはうなだれながら、「賢者フィネア様」と大仰に呼ばれるようになった自分の境遇をぼやき始める。
そう、そもそもの始まりは、オレが「どぶさらい用に開発していた魔術理論」をちょいと研究し続けた結果、「魔導刻印を誰でも使いやすくする新理論」を編み出してしまった……というところにある。
これさえあれば、魔術を発動するための下準備——魔導刻印が驚くほど簡単に作れるようになる。
当然、魔導具の大量生産がぐっと楽になるわけで、世間に広まれば、安価で作られた便利道具が街中にあふれて、巡り巡ってオレの生活の質が向上する。
「でも、オレの名前で公表すると、絶対に面倒くさいことになるのは目に見えていたからな」
そこで思いついたのが、「他人の名義で理論を公表してしまおう」という計画だった。
オレがあらかじめレポートや理論書を仕上げ、あとは誰かが「これ、わたしの研究成果です!」と胸を張ればいい。
「で、その『誰か』として白羽の矢が立ったのが……フィネア、お前だった。覚えてるよな」
オレは改めてコーヒーを淹れながら、隣でしょんぼりしているフィネアを見やる。
彼女は、いわゆる「転移直後」からの知り合いだ。
昔、オレが魔術入門書をチラ読みしていたときに偶然出会い、そこそこ魔術に興味があるらしい彼女にコツを教えたり、逆に異世界の常識をいろいろ教えてもらったり……そんな腐れ縁で、一応オレとしては信頼できる相手だった。
だからこそ、あのときオレは彼女に言った。
「お前の名前で研究発表してくれよ。それで得られた報酬は全部もっていっていいからさ。別に悪くない話だろ」
――うん、当時はそんなふうに交渉したはず。
それでフィネアは了承したと。
「……だってこんな簡単なことでお金もらえるなら、別にいいかなって思ったんだもん。でも、まさかこの発表のせいで、賢者まで選ばれてしまうなんて流石に想像できませんよ!」
フィネアは涙ながらに抗議する。
まぁ、流石に当時のオレもここまで大事になるとは思ったもいなかったな。まさか、このことが発端で賢者に選ばれるなんて流石に想定外だった。




