―23― ガトーショコラ
訓練広場を後にしたオレは、シーナに腕をぐいぐい引っぱられながら街中を歩いていた。
傍目には「仲のいい恋人同士」に見えるかもしれないけれど、実際はそんな甘い雰囲気でもなんでもない。
なにせ、ついさっきまであいつは『講習会』と称して、冒険者たちを一方的にボコボコにしていたわけだし……正直、こんなやつと同類だと思われたら終わりだな。
「ねえダーリン、早く早くー。どこにあるの、そのスイーツ屋さん?」
「焦るなって。もうすぐだから。ほら、大通りを左に曲がった先だよ」
俺が示すほうへ駆け足で向かうシーナは、まるで子どものようにキョロキョロと店先を見回している。
少し前、リリアを連れて来たのもこの店だったな。まさか今度はシーナを連れて来る羽目になるとはなぁ。
そんなことを考えていると、奥まった通りに、可愛らしい木製の看板が見えてきた。
淡いピンクで塗られた文字で店名と書かれていて、甘い香りが玄関先からも漂ってくる。
「あっ、ここ? ふふーん、意外と可愛いお店ね! ダーリンもこういうキュートな場所が好きだなんて、かわいいところもあるじゃない」
「俺はただ、甘いものが食べたいだけだよ」
そう言って扉を開けると、いつも通りの甘ったるいバニラと焼き菓子の香りが鼻をくすぐる。入店するだけで、ちょっと気持ちがほぐれるのがこの店の魅力だ。
「いらっしゃいませ……あら、セツさん、こんにちは」
奥から顔を出したのは、店主のシルヴィさん。以前もお世話になった、朗らかで温かい雰囲気のお姉さんだ。
そのシルヴィさんの視線が、俺の隣で腕を組んでいるシーナへと移る。
「まぁまぁ、今日はまた可愛らしい子を連れてきたわね。前に来たときの女の子とは違うみたいだけど……ふふっ」
「あぁ、最近よくつきまとわれるんです。あまり気にしないでください」
シルヴィさんがクスッと笑うのを見て、俺は少しだけ苦笑いで返す。
「ふふっ、ごゆっくりどうぞ。今日はなにを選んでいくの?」
「実は、ちょっと新作が気になっていて……」
メニューが貼られたボードを眺めながら答えると、ちょうど目に入ったのが「柑橘とベリーの二層ムースケーキ」なる新作のポップ。瑞々しいフルーツがぎっしり詰め込まれていそうなビジュアルで、涼しげな見た目がそそられる。
「おお、よさそうだな……うん、これにしよう。ハーブティーは……柑橘系のミントブレンドをお願いできます?」
「もちろん! いつもどおり、少し爽やかな香りを強めにしておくわね」
シルヴィさんがメモを取っている間に、シーナは鼻を鳴らしながらショーケースを覗き込む。完全に目がキラキラしていて、ほとんど店の雰囲気に飲まれている状態だ。
「はぁ……どれもこれも美味しそう……悩んじゃうけど……! じゃあ、あたしはこの『濃厚ガトーショコラ』っていうのにするわ! ハーブティーは適当におすすめをちょうだい」
「ガトーショコラね、かしこまりました。ハーブティーはそうね、ちょっと深みのあるローズマリーとスパイスを混ぜたブレンドにしてみましょうか? 甘いチョコに合うと思うわよ」
「いいわね、楽しみ」
シルヴィさんが「はーい、それじゃ待っててね」と奥へ消えていく。
俺とシーナは店内奥のテーブル席に腰を下ろし待つことにした。
数分後――運ばれてきたのは、鮮やかな層が美しいムースケーキと、シーナのガトーショコラ。どちらも見るだけで食欲をそそる、甘美なビジュアルだ。
それに加えて、香り高いハーブティーがグラスに注がれて並ぶ。テーブルにふわりと立ち上る湯気が、爽やかなアロマを漂わせていた。
「おぉ……写真とか撮れたら最高だろうな」
一応、この世界にもカメラというのが存在自体はする。けれど、前世のときのようにコンパクトではないが。
そんなことをつぶやきながら、フォークを刺してムースケーキを一口すくう。上の層は爽やかな柑橘ムース、下の層はベリーの酸味が効いたピンク色のムース。口に含むと、それぞれの風味が重なり合ってさっぱりした甘さを作り出していた。
ん……美味いな。柑橘のほろ苦さとベリーの酸味がちょうどいい塩梅で混ざってる。甘すぎず、後味も軽やかだな。これならハーブティーと相性抜群だ。
ハーブティーを一口すすれば、鼻からすっとミントが抜ける。口の中に残ったムースの甘さを軽くリセットしてくれる感じがする。
「やっぱりここのスイーツは間違いないな」
満足気に頷いていると、正面でシーナが顔をとろけさせてガトーショコラにかぶりついていた。しっとり濃厚なチョコの塊にうっとりしている様子が、若干うざいほど幸せそうだ。
「わわ、なによこれ! チョコが舌の上でとろける……甘いだけじゃなくて、コクが深くて、ふわっと大人の苦みもあるわ……うんうん、あたしこういうの大好きよ!」
ぺろりと唇を舐めるシーナに呆れながらも、俺はムースケーキに集中しようとした。が、すぐにシーナの視線を感じてしまう。
「ねえダーリン、それも美味しそうじゃない? あたしにも一口ちょうだいよ。あ、こっちも食べたいんでしょ? 遠慮しなくていいんだよ?」
ニコニコ笑いながら言うシーナに、俺は言葉を濁した。
「いや……俺はこっちを楽しみたいから、そっちのは別にいいよ」
「えー、でも交換こしたら、両方の味を楽しめるじゃない! ほら、あーん」
そう言ったシーナは、フォークをこちらに向けるどころか、期待に満ちた瞳で口を開けて待っている。まるで幼児が「ごはんちょうだい」と言っているみたいだ。
……ああ、察するに「俺のムースケーキを口に運んでほしい」ってことか。正直、うざい……。
とりあえず無視して自分のケーキを頬張ろうとしたら、シーナはほっぺをぷくーっと膨らませて、拗ねた声をあげた。
「もう、ダーリンのいじわる。わざわざあーん、までしたのに。ケチ」
いや、ケチとか言われても。俺が注文した自分のケーキを食べるのに問題あるか? なんて思ってるうちに、シーナが「ふんっ」と上半身をぐっと乗り出してきた。
……パクッ。
――ん?
「おまっ、勝手に人のケーキを……!」
言う間もなく、俺のフォークに刺さっていたムースケーキが、シーナの口の中に消えていった。しかも、しっかり俺のフォークごとがっつりくわえている。
「んぅ……! ふふ、やっぱり柑橘系いいねぇ。おいしーい! しかもダーリンと間接キスになっちゃった……」
「なにが間接キスだよ」
人のケーキを堂々と奪い食うシーナに、さすがの俺も呆れてしまう。というか、地味にイラッとしてきた。
それでもシーナはニヤニヤと満足げ。舌なめずりまでしていやがる。
「はい、じゃあお返しに、あたしのガトーショコラも食べさせてあげる! ほら、あーんして?」
シーナは自分のフォークに濃厚そうなチョコをつけて、こっちへにじり寄せる。
「いや……俺、そのケーキ、前にも食べたことあるからいいよ」
「えー、無視するの? せっかくあたしが食べさせてあげようとしてるのに。うふふ、ダーリンのそういうつれないところも好きよ」
シーナはそう言って無理やりフォークを近づける気はなく、むしろ俺が断るのでさえ楽しんでいる。
そんなご満悦のシーナを横目に見ながら、俺はちびちびと残りのムースケーキを平らげていた。
食後のハーブティーの爽やかな香りが鼻腔をくすぐり、口の中の甘さを洗い流してくれる。
こういう小さな贅沢が、前世を社畜で終わった俺には何よりたまらないんだよなぁ。やっぱりここのスイーツは最高だ。シーナの過剰なテンションだけ――余計だが。




