―20― 後悔させてやる
胃がキリキリ痛む。
ガルド、ユージン、フローラ、レオン――BランクやAランクだっていうのに、シーナには歯が立たなかった。
拳だけで全部を受け止め、見事にカウンターで沈めてしまうなんて、ホント現実離れにもほどがある。
「さて。あなたはどうするのかしら。逃げる? それとも、やる?」
シーナがわたしの正面に立ち、軽く首をかしげながら微笑む。
その表情には、ほんの少しだけ期待が混ざってるように見えた。まるで「もっと遊んでほしい」と言わんばかりに。
「……逃げるわけないじゃない」
わたしはわずかながら震える脚に魔力を注いだ。
さっきの4人みたいに、ちんたら真っ向勝負しても勝てるわけがない。だったら――最速で、死角を突くしかない。
「スピードで出し抜く。……それしか……ない! 疾風」
次の瞬間、わたしは一気に踏み込む。
自慢の脚力をさらに極限まで高めて、視界の端すら流れ去るスピードに加速する。まるで風になったみたいに地面を蹴り、側面から背後へ回りこむ。
「――ここっ!」
正面に注意を引かせつつ、さらに加速し、シーナの背中へ到達。絶好の位置だ。
これならいける。この一瞬での奇襲なら、さすがのシーナさんでも――
「甘いわね」
低く冷たい声が背後で響いた。瞬きする暇もなく、わたしの両腕をがっちりと掴むシーナの細い指。いつの間に振り向いたのか、まるで最初からそこにいたかのように。
「――――っ」
え、とか、あ、とか言葉も出ない。ものすごい力だ。強化しているわたしの腕を、いとも簡単に固定してしまう。
「残念。いくら速くたって、動きが単純じゃね」
そう言った瞬間、ものすごい衝撃が胴体に走った。
蹴られたのか、殴られたのか、わからない。とにかく全身がしなるように弾かれ、視界が一気に翻る。
ドガァンッ……!
――気づけば、わたしは地面に叩きつけられていた。痛い。呼吸が苦しい。口から空気がすべて吹き飛んだみたいで、肺がうまく動いてくれない。
「がはっ……う、ぐ……」
なんとか身体を起こそうともがくけど、腕も脚も力が入らない。
これが……「本物」か。BやAランクの冒険者が束になってかかっても、ほんの数分で全滅させられるなんて。
ふと、立ち上がろうとするわたしを見下ろして、シーナはわざとらしくため息をついては嘲笑しながら口を開く。
「実はあなたのこと自己紹介する前から知っていたのよ。そういえば、ダーリンが食事しているときに話していたなって。最近、どこぞのリーグのMVPだったと吹聴している女の子に迷惑してるって。これってあなたのことでしょ」
シーナのいうダーリンってのが誰のことかわからないけど、いろんなところで吹聴していたのは確かだから、そのうちのだれかに聞かれていたんだろう。
少し前の自分とはいえ、今となっては恥ずかしい思い出だ。
否定もせずに黙って聞いていると、シーナはわたしを指先で示しながら、あからさまに軽蔑するような口調で言葉をぶつけてきた。
「だから、少し期待してたんだけど、あなた意外と根性ないわね? こんなんで音を上げちゃうなんて。まさかMVPとかいう触れ込みは、大げさなホラ話じゃないでしょうね?」
うっ……!
言い返したい衝動をぐっとこらえ、わたしは黙って拳を握りしめる。
以前なら、あっさりふざけんなと反抗していたはず。だけど今のわたしは、そんなことがどれほどみじめなものだったか痛感している。ここで挑発に乗ったらシーナの思うツボだ。
けれど彼女はさらに畳みかけるように、口元を歪めて言葉を重ねる。
「しかも、なんとか学術院の首席だったって自慢してたんでしょ? だったらこの程度、楽勝じゃないの? ――おかしいわねぇ。口ほどにもないって、こういうときに使う言葉かしら」
「くっ……」
ぐっと奥歯を噛みしめる。逃げてはいけない。自分を戒めるように繰り返す。
彼女は明らかわたしを挑発している。ここで挑発に乗るのは負け……頭ではわかっている。
だけど、彼女の言葉は一つひとつ心を刺す。今のわたしの弱さをえぐり出して、嘲笑うように突き刺してくる。
「それとも、あんたの才能ってやつはそこまで大したことなかった? 首席だとかMVPとか、お飾りだったとか? 可哀想に、それでも自分じゃ気づけなかったんでしょ? いまさら知っちゃったわけね。あはは、みじめだねぇ」
シーナはその場で肩をすくめ、わざとらしくクスクス笑い声をあげる。凍りつくような侮蔑を含んだ視線がわたしを射すくめた。
「こんなんでよく自慢しながら表を歩けたね。傑作だわ。たとえばさ、あんたが必死で足掻いても、あたしの指一本に勝てる気がしないんだけど。ねぇ、実際そうじゃない?」
「…………」
頭の奥で警鐘が鳴る。冷静になるんだ、リリア。こんな挑発に――
いままでのわたしなら、たしかに簡単にキレて突っ込んでいた。だけど、そのたび痛い目を見てきたし、学んだはず。
……そう思っていたのに、シーナはさらに追い打ちをかけてくる。
「自慢してるわりには、本当はどこでも中途半端で、誰からも期待されなくて……。そんな惨めな負け犬が、強者を気取るなよ」
バチンと頬を打たれたような、鋭い痛みが胸に走る。
指先が震えているのを自分で感じる。腹の奥底に、ぐつぐつ煮えたぎる何か――怒り、悔しさ、そして情けなさ。
抑え込もうとしても、シーナの言葉は止まらない。
「だんまり決め込むしかないってわけ? あはっ、しょうがないわよね。まともに反論する力もないんでしょ? そりゃそうだ、あたしの足元にも及ばないんだから」
「……っ、うるさい……」
限界だった。ぐっと唇を噛み、血の味が広がる。こんなふうに言われっぱなしは耐えられない。
わたしは痛む体に鞭打ち、脳裏でせめて一発でもと渇望する。逃げ出すように生きてきた過去を、今ここで払拭したい――その思いがついに堰を切ってあふれ出した。
「いい加減にしろって言ってるのよッ!!」
声を張り上げた瞬間、全身の痛みを忘れるほどの怒りの熱が燃え上がる。まるで足枷が砕けたかのように、身体が軽く感じる。
叩きつけるように足を踏み込み、わたしは残されたすべての魔力を両脚に注ぎこむ。
「こっちだって、なけなしの誇りで踏ん張ってるのよ! ――絶界の魔女、あんたなんかに負けっぱなしで終わるわけにはいかないッ!!」
自分の怒声に合わせて、視界が一気に加速する。さっきと比べものにならないほどの速度――自分でも驚くくらいだ。これは、怒りが引き出した底力?
どうせ届かないかもしれない。それでも構わない。今はこの拳に、すべてを込めてぶつけるだけだ。
わたしはまっすぐシーナへ突進し、吼えるように叫ぶ。
「――後悔させてやるォッ!!」
シーナはそれを見て、にやりとうれしそうに微笑んだ。
それでも、わたしはもう止まらない。挑発に乗ったのだ。血が煮えたぎるほどの怒りをぶつけるために。
◆
オレ――セツは、大きな怒号とともに砂埃が舞い上がり、訓練広場が一瞬静まり返った……ような気がしたけど、正直どうでもいい。
ひらひらと飛ぶ蝶を見送ったあとは、ベンチに腰かけてぼんやり空を仰いでいる。ゴタゴタが終わったら、できるだけ早く帰りたい。ガーデニングの世話が待っているからな。
「……あー、ミニトマト、今日あたり食べ頃だったかな。夕飯に使うかどうか……」
そんなことばかり考えているから、視界の端でどれだけ激しい攻防が繰り広げられても、まったく興味が湧かない。
「はぁ……せっかくの平和な休日が、なんでこんなことに……」
シーナが一方的に参加者をしばいてることくらいはわかる。あとは適当に終わってくれればいいんだけど。
遠くでまたどかん、と鈍い音が響いた。どうやら激しい一撃が飛び出したらしい。
「――まあ、がんばれよ、みんな」
心の中でそっとエールを送りながら、オレはため息をつく。帰りの段取りばかりが頭を巡っていて、戦いの詳細なんか正直、まったく見ていなかった。
そんなこんなで、オレはただただ眠気をこらえながら、訓練広場の熱気とは無縁の場所で、ぼんやりと時間が過ぎるのを待っていた。




