―14― 狙撃
鳥のさえずりで目が覚めたのは、相変わらず昼過ぎだった。
昨日はリリアを軽く説得したあと、三十件のドブさらいをパパッと終えて、仕事した気分を存分に味わえた。
おかげで夜はぐっすり眠れたし、今朝は遅めに起きてのんびりしよう……と思っていた。
だが、起き抜けにそれを見てしまったせいでとそんな幸せな気分は一瞬にして吹き飛んだ。
「……え? なんで……?」
天井に仕掛けておいた侵入者用の魔術トラップ。念の為、仕掛けておいたらまさか本当に作動するとは。
そう、シーナがトラップに引っかかっていたのだ。
シーナは両足首から天井に吊され、身体は縄でぐるぐる巻き。完璧に動きを封じられた格好で、今まさに逆さまに宙づり状態だ。しかも、どうやら深い眠りの真っ最中らしく、「ダーリン……まだ……」なんて寝言を漏らしている。
時おり彼女が身をよじるたび、ギシギシと縄が軋んで小さくきしむ。落ちる心配は……まあなさそうだが、どう見ても危ない光景だ。
「…………はあ」
朝イチから最悪の気分。せっかく今日はスローライフを満喫しようと思ってたのに、妙なテンションになってしまった。
それでも、いつまでも逆さづりのままにしておくわけにもいかない。渋々、椅子を引き寄せて天井のトラップを解除し、丁寧にシーナを下ろす。
「ん……むにゃ……あ、あれ? だーりん? ……きゃんっ!」
シーナは着地と同時に目を覚ましたらしく、慌ててあたりを見回す。そして自分がぐるぐる巻きにされているのに気づき、ちょっと赤面しながら言い訳じみた声を上げた。
「いやぁん……ダーリンはこういうプレイが好みなのね。いいわ、わたしはどんなダーリンでも愛する自信はあるから」
「おい、勝手にオレを変態にするな。お前が勝手に不法侵入したからこうなったんだろ」
ぐるぐる巻きの縄をほどきながら、深いため息が出る。まったく、どうしてこうも懲りないのか。
ともかく、今のところ仕事に出るつもりはないし、このまま家でのんびり過ごしたい。そのためには、まずはこいつを追い出すことからだ。
「今日はゆっくりしたいんだ。だから、早くここから帰ってくれ」
「ええー、やだー! ダーリンと一緒がいいー! ダーリンと遊びたいー!」
どうやら帰る気はゼロらしい。
まあいい、今日は趣味に没頭するつもりだったし、邪魔さえしないなら放っておけばいいか。
さて、前世の名残でコーヒーの焙煎やら自家製パンやら、ちまちま凝る趣味はあるんだが、最近もう一つ新しく始めた遊びがある。それはガーデニングだ。
といっても本格的な花畑を作るほど大がかりじゃない。家の裏庭に、小さなプランターをいくつか並べて、ハーブやミニトマトを育てる程度。これが意外と楽しい。
「ダーリン、この葉っぱ、なんだかいい香りがするわね。薬草かしら?」
「そいつはバジル。前世……じゃなかった、あー、元々の知り合いから教わったレシピで、パスタやピザにも使える葉っぱだ。茎を切ってもちゃんと新しい芽が出てくるしな」
「へえ、いい香り! あたし、ハーブの類は毒草ばかり連想しちゃうから、新鮮だわ」
シーナは目を輝かせながら、プランターを覗き込む。彼女のような戦いにしか興味がないやつはハーブを気にすることはあまりないのかもしれない。
続いて、プランターの隣に吊るしてある苗を指差した。
「こっちの赤い実は?」
「ミニトマト。今ちょうど熟れ始めてきたから、収穫してサラダにでもしようかと思ってる。甘酸っぱくて美味いぞ」
「すごーい! 家庭菜園ってこういう感じなのね。ダーリンって意外と器用よね。流石あたしの好きな人」
とか言いながら、シーナは身をよじらせている。
リラックスして日光を浴びながら、時折水をやったり、土をちょっといじって肥料を足したり。そういう何でもない時間が、いまのオレには貴重だ。
効率ばかり求めるのもいいが、こういうゆっくり成長を待つなんてやり方も大事だなんて、前世のときのオレは知らなかっただろう。
「ねえダーリン、このトマトとバジルを使ってパスタかピザとか作っちゃったりしないの? あたし料理は得意じゃないけど、役に立つかはわからないけど手伝うわよ!」
「まあ、やるとしても夕飯かな。それまではコーヒーでも飲みつつのんびりするつもりだが」
「いいわねえ、そのコーヒーというやつまた飲みたいと思っていたの!」
珍しくシーナは上機嫌で、オレの趣味に興味津々な様子だ。いつもは押しかけがちで手に負えないが、こうやって落ち着いてくれているなら悪くはない。
さて、おかげで今日は静かな一日を過ごせそうだ。
◆
わたし――黒鴉は、セツの家の真正面にある古いアパートの一室を借り受けていた。
もちろん、住むために借りたわけじゃない。セツとやらの動向を監視し、確実に暗殺するためだけにこの部屋を借りたのだ。
ここならよく見える。
わたしはスコープを用いて、セツのことを観察していた。
彼は今、少女と共にガーデニングをしているようで、草木の手入れをしていた。あの少女との関係性はよくわからないが、特に変わった様子はない。
わたしの両腕には、遠距離狙撃用魔銃イクリプスがしっかりと抱えられている。
この魔銃は、撃つ前に魔力をチャージし、圧縮した魔力弾を放つ仕様になっており、旧来の詠唱や魔法陣よりも短い時間で強力な一撃を放つことができる。
銃身には精密な魔導刻印が施されていて、発射時には撃ち手の魔力が弾丸に瞬時に集約される。狙撃の専門家であるわたしが扱う以上、一撃で確実に標的を仕留めることが可能だ。
ただし、使いこなすためには繊細な制御が必要で、魔力の流れを乱せば容易に暴発するリスクもある。それでも、わたしはこの銃で数多の標的を仕留めてきた。
昨日は冒険者ギルドで新人冒険者を装い、セツについて聞き込みをした。しかし、得られた情報は拍子抜けするほど地味で、不評の声さえあった。
「あの人、ずっとどぶさらいばかりで、まともにモンスターと戦ってるの見たことないんだよね」
「あまり社交的じゃないし、地味だよなあ……」
「特にトラブルを起こしてるわけでもないが、まったくパッとしないよ」
その程度。
十年以上も冒険者をやっているのに、一度もランクアップしていない。周囲からは「他に才能が無いからどぶさらい専業なんだろう」などと言われているようだ。依頼人はあれこれ不安げだったが……これは完全に拍子抜けだな。
窓ガラス越しに向かいの庭を覗き込むと、セツはプランターをいじる少女と、まったりお喋りを続けているらしい。さきほどまでは葉っぱを摘んだり、土を混ぜたりしていたが、今はベンチのような場所に並んで腰かけ、何やら楽しそうに談笑している。
今はまだ、奴が少女と寄り添っているから、狙撃のタイミングが難しいな。
――が、よく考えれば関係ない。
むしろ、今なら少女以外に目撃者がいない絶好のチャンスとも考えることができる。あんな小娘に目撃されたところで大した支障はないだろう。
スコープをのぞき込むと、彼がちょうどミニトマトを摘もうとしているところが見える。
ここで確実に撃ち抜く。
わたしは狙撃銃イクリプスの引き金に指をかけた。
「魔弾生成開始――」
すると、銃の内部に魔力が吸い込まれていく。
無数の刻印が淡く光り、圧縮された魔力が銃身を軋ませながら満ちていった。
「完了」
すでに、銃身が小さく震え、限界まで圧縮された魔力がまるで火花のように漏れ出していた。
あと一拍。ここで放つ。
「射撃」
最後の声とともに、トリガーを深く引き切る。
強烈な魔弾が放出され、標的を一瞬で葬り去る――はずだった。
しかし――。
ゴンッ!
嫌な金属音が鳴り響き、イクリプスの銃身がまるで膨れ上がるかのように変形を始める。
「なっ……なんで……?」
視界を奪うほどの閃光と、凄まじい衝撃音。
ドォンッ!
爆発の衝撃で黒鴉の身体は後方へと吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「ぐはっ……!」
ごう音で鼓膜が痛み、耳鳴りがする。腕や腹部、顔には熱い痛みが走り、鼻先に血と焦げた臭いが入り混じる。
暴発が起きたんだとすぐに把握する。
「ど、どうして……っ……」
けど、ありえない。
なぜなら、わたしは一流の暗殺者だ。これまでこんなくだらない失敗なんてしたことがなかった。
倒れ込む視界の先に、バラバラになった銃の破片が転がっている。
今まで数多の暗殺を成功させてきた愛用の魔銃が、無残に破壊されている姿に頭が混乱する。
わたしにとっての初めての大失敗だった。
◆
「ダーリン、どうかしたの? 遠くなんかを見つめて」
庭でミニトマトを手にしたまま、シーナがオレの顔を覗き込んできた。
オレはというと、レンガ調や木造のアパートや戸建ての住宅がずらっと並んでいるのを見ていた。
少し面倒なことが起きたかもしれないな。とはいえ、気にするほどではないか。
「いや、なんでもないよ」
「ふーん……?」
シーナは特に疑問を思わなかったのか、大きく伸びをして笑顔を見せる。
オレも何事もなかったかのように肩をすくめた。
「休憩がてら、コーヒーでも淹れるか」
「やったー! あたしの分もお願いね、ダーリン!」
あぁ、と屈託のないシーナの声に応じつつ、家へ向かいつつ思った。
いや、なんでオレは当たり前のようにシーナを受け入れているんだ、と。
こいつはストーカーで不法侵入者だ。
今すぐ追い出すべき。
とはいえ、そこまで嫌な気分にならないのもまた事実だった。どうやらオレは誰かをもてなすのが案外好きなようだ。
オレが用意したものをなんでも肯定してくれるシーナを見るのは悪い気分ではなかった。あとはもう少し性格がまともになってくれたら、良き友人として仲良くやっていけそうではあるんだけどな。
まさかオレにこんな一面があるなんて前世では気がつかなかったな。




