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―01― これが底辺の仕事

 生きるっていうのは、いかに面倒なことから上手に逃げるか——オレはずっとそう思っている。


 なにしろオレには前世の嫌な記憶がある。

 というのも、毎日こなしていた単調な業務を「どうにか効率化したい」と思い立ち、独学で覚えたプログラムを組んでこっそり自動化していたんだ。


 最初は誰にも言わずに使っていたけれど、ある日それがバレてしまった。すると同僚たちから「じゃあこれもあれも自動化してよ」と次々に依頼が殺到。


 もともと少し楽をしたかっただけのオレなのに、その結果、会社中のあらゆる業務を自動化することになってしまった。

 しかも、本来の業務も同時にやらなくてはいけなく、結果、毎日夜遅くまで残業するはめに。

 しかも、プログラムが完成したとしても、その場でお礼を言われるだけで、実績として評価されるわけではなかった。


 ……結果、過労と人間不信でおかしくなってしまい暴走トラックの存在に気がつかずそのまま撥ねられて、人生終了。


 そして目が覚めたら、こんな異世界に転移していた。

 同じ苦しみはもうごめんだ。だから俺は決めたんだ。

「今度こそ、自分の能力をうかつにバラさない」って。


 何かを効率化するにしても、周囲には絶対悟られないようにしよう、と。

 その一環として、俺は地味な冒険者をやっている。


 せっかく魔術の素質があったから、こっそり独学で色々試してはいるけど、あくまで「誰にもバレない範囲」で、だ。華やかな魔物討伐なんて面倒ごとに首を突っ込みたくない。

 大きな功績を上げれば、また誰かに目をつけられて「君、凄いじゃないか! じゃあもっとできるよね?」と依頼されるのがオチだから。


 結局、俺が選んだのは、排水溝につまった泥やゴミ、そしてなによりスライムを取り除く仕事――通称、ドブさらいの依頼ばかりを請け負う万年F級冒険者というポジションだ。

 ドブさらいはもっとも人気もないうえに報酬は安いが、基本的に危険はいっさいない。

 汚いし体力仕事で割に合わないと多くの人が敬遠するが、俺にはこの仕事がちょうどよかった。



 今日も昼前までぐっすり寝てしまったオレは、ゆっくりと朝の支度を整え、固めのパンを一枚かじる。

 前世の反省から最低限の健康管理だけはしているが、朝食を用意するのはどうしても苦手だ。


「さて、今日もドブさらいの仕事をぼちぼちやりますか」


 ざっと服に着替えて家を出ると、いつもの日課である冒険者ギルドへ向かう。

 といっても、オレのギルド通いなんて、夢見がちな冒険者としての壮大な目的があるわけじゃない。

 単純に、多少のお金を稼ぐためだ。

 オレのような面倒なことからは逃げたい人間でも、食べてはいかなくちゃならないからな。


「……ここを通ったら、数秒は短縮できるかもな」


 前世から変わらぬ「効率好き」な精神が顔を出し、つい路地に足を踏み入れる。障害物もなく、結果的に五秒ほどは早くギルドに着けた。まさに塵も積もればの幸せだ。

 ギルドに着いた頃には、すでに昼が近い。


 そんなささやかな喜びに浸りながら到着した冒険者ギルドは、ちょうど昼を少し回ったところだった。

 ご想像の通り、ここでは早朝から来ないとまともな依頼はとれない。魔物討伐とか、華やかな依頼は全部朝イチで埋まってしまう。

 まあオレには無縁の話だ。

 早起きは面倒だし。


「お待ちしてましたよ、セツさん。今日もドブさらいの仕事、ですよね?」


 そう言いながら、彼女は束になった依頼書を次々と渡してくる。

 すべて「泥撤去」「スライム詰まり」「溝の掃除」といった地味な作業の依頼。いわゆる汚れ仕事だ。


「他の人が嫌がる仕事を、いつも引き受けてくれて助かります! 最近は大雨が続いたせいで、溝にスライムが詰まって大変みたいです」


「いえ、これが一番慣れてるだけなんで」


 正直、オレからすれば溝につまったスライムを除去する仕事をみんな嫌がる理由がわからない。

 だって、スライムは一番弱い魔物。

 つまり、もっとも倒すのが簡単というわけだ。

 オレからすれば、倒すのが面倒な他の魔物を汗水流してまで討伐したいと思う他の冒険者のほうがよくわからない。


 こうして三十件ほどの溝浚い依頼をまとめて受け取り、ギルドを後にした。



 一軒目に向かったのは、ギルドから北へ少し進んだところにある家。ここもご多分に漏れず、雨水や生活排水、そしてスライムで溝が詰まり、悪臭がするからなんとかしてくれという内容だった。

 玄関で声をかけると、出てきたのはいかつい雰囲気の中年男。オレに顔を向けて、いかにも面倒くさそうにこう言う。


「……あんたがドブさらいに来たのか。待ってたぞ。早いとこ片付けてくれ」


 態度はそっけないが、まあ仕方ない。

 ドブさらいなんてF級仕事だし、どのみちオレもそれで食ってる側だから何とも思わない。むしろ下手にペコペコされるよりはラクでいい。


「はいはい。どのあたりが詰まってます?」


「家の裏手の排水口だ。ちょっと見に行けばすぐ分かる。水がまるで流れやしないんだよ」


 案内された先は、案の定ドロドロの泥とゴミが排水口を塞いでいて、鼻を刺すような臭いを放っていた。

 こういう臭いをスライムが好むんだよな。そうやって集まってきたスライムのせいで、よりつまりが加速するっていう。

 ほら、じっと観察すると、微妙にうごめく粘液を見つけることができる。


「じゃ、ちゃっちゃと終わらせますか」


 そういって、オレの仕事は始まった――。



「詰まりはこんな感じでした。はい、こいつが原因のスライムですよ」


 オレは瓶の中で弱々しく動くスライムを見せる。すると相手は目を丸くして、驚いたように声を上げた。


「え、もう終わったのか? まだ数分しか経ってねえだろ? 本当にやってくれたのか?」


「見ればわかりますよ。排水、ちゃんと流れるようになりましたから。確認してみてください」


 半信半疑だったようだが、男が排水口を覗き込むと、そこには泥一つ残っていない綺麗な状態が広がっていた。

 そりゃそうだ、もう十年以上この汚れ仕事ばかりやっているオレにとって、これくらい時間をかけずに処理できるのは当然だ。


「す、すげえな……。正直、ドブさらいなんてしょぼい仕事だと舐めてたが、こりゃ助かる。ありがとうよ」


「どういたしまして。じゃあ、ギルドに依頼完了の報告だけお願いします」


 そう言って、オレは家を後にする。

 感謝の言葉ももらえてありがたい。どぶさらいの仕事なんて、感謝すらしない客がほとんどだからな。



 依頼の場所をサクサク回り、あっという間に受けた三十件の作業が完了。

 日が暮れるよりもずっと前に終わってしまった。

 うん、前回よりも十秒ぐらい効率的にできたかな……。

 たかが十秒。されど十秒。


 十年以上、ドブさらいをやり続けているだけあって、極めすぎてもうほとんど改良する余地はないけど、それでも毎日少しでも効率化できるよう意識だけはしている。


「さて……今日もとっとと終わったな。お腹も空いたし……行きつけの店に直行するか」


 オレが向かうのは、街の大通りから少し外れた場所にある酒場。

 昼下がりでも開いていて、軽食や酒を楽しめる庶民的な店だ。地味な冒険者でも浮かないし、誰にも干渉されないのがいい。


 ガラガラッ……と古びた扉を開けると、ちらほらと他の客が席についている。でも満席には程遠い。やっぱりこの時間帯は、みんな魔物討伐やらなんやらで忙しいんだろう。

 カウンターの奥から出てきたのは、どっしりとした体格に大らかな笑顔が似合う女将さん。彼女が俺を見るなり手を振ってきた。


「おや、セツじゃない。今日も早いわね。あんた、もう依頼を終えてきたのかい?」


「まあ、ドブさらい専門ですので、すぐ終わっちゃうんですよ」


「はは、相変わらず、働き者ね。でも大助かるよ、そういう仕事を誰かがやってくれないと街も大変だからね」


 軽妙に言いながら、女将さんは慣れた手つきでビールを注いでカウンターに置く。

 俺はその冷えたマグカップを手に取ると、一気に喉を鳴らして流し込んだ。涼やかな苦味が身体に染みわたって、疲れが吹っ飛ぶ気分になる。


「ぷはぁ……やっぱり労働後のビールは最高っすね」


「でしょ? はいはい、つまみの燻製肉もあるから、ごゆっくりどうぞ」


 カウンター席に腰かけ、軽く小皿に盛られた肉をつまむ。

 ドブさらいの仕事は地味に体力を使うんだよな……と言っても、俺の場合は魔術をこっそり使ってるから、実のところそこまで疲弊するわけでもない。


 それでも仕事を終えた後に飲むビールは、やっぱり格別に美味い。前世でさんざん疲れ切って死んでしまったオレだからこそ、こんなふうに「上手く逃げつつそれなりに仕事して、それからゆっくり休む」……この日常がいとおしくてたまらない。


「そういやセツ、旦那が心配していたわよ。いい加減、どぶさらいを卒業して、もっと稼ぎのいい仕事をすべきなんじゃないかって」


「まあ、効率化がモットーなんで。面倒な魔物討伐より、ドブさらいのほうが楽なんすよね」


「ふふっ、それ、普通の冒険者が聞いたら目が点になるわね」


 女将さんはおかしそうに笑って、俺のマグカップにビールを足してくれる。琥珀色の液体を眺めながら、オレは心底幸せだなと思う。

 こうして毎日少しだけ働いて、誰にも目をつけられず気軽に過ごせるなら、オレはそれで十分だ。前世のように頑張りすぎて、過労に追い詰められるなんてもうごめんだからな。


「さて、今日もいい一日だったな。これからも、こっそり稼いでのんびり生きるか」


 そんなことを思いながら、オレはマグカップを口に運ぶ。

 地味だけど、これがオレの理想の生活。小さな幸せが何よりも大切だと思い知らされたからこそ、そう素直に感じるのだ。

 そして一口、また一口。労働後のビールほど、旨いものはない。


 こんな地味な生活を一生続けること――それがオレの願いだ。

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