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8*理由

(ゼノイス視点)



 ――死神の影。

 それがゼノイス・トーマにつけられた「影の騎士」という二つ名の由来だった。


 彼の生まれは貧困街。

 病気だった母親を亡くしてからは、気がつけばひとりで薄暗い路地を彷徨い、腹を空かせて生きていた。父親のことは顔どころか安否も知らない。彼に手を差し伸べるものはいなかった。

 森に出れば食べ物がタダで採れると知っていたが、都を守る壁の外は魔物がいる世界。

 飢えて死ぬくらいだったら、外の世界を見てみてから死のう。そう考えて実際に外に出ると決めたのは、確か七歳くらいの時で。


 ゼノイスは自分に戦う才能があることを知った。


 最初は食料の調達だけをしていたが、次第に素材を売ることを覚え。身体ができてくるとギルドで依頼をこなすようになった。

 ゼノイスは身寄りがない孤児だ。生活費を稼ぐだけでもひと苦労。追い出された母親と住んでいた部屋を買い戻すためには、仕事を選ばずに金を稼いでいた。が、虚しくもその前に木造の家屋とその一帯は火事で消えてしまった。原因は、タバコの不始末だったらしい。

 その頃には、帝国では金がモノを言うことを彼も十二分に理解していた。貧しい環境は不幸を生む。だから、ゼノイスは働くことは辞めなかった。


 そして、十六歳の時。

 彼はお忍びで市井に下りていたルシウスに出会った。目当ての賞金首を探していたら、いかにも良いところの御坊ちゃまなオーラを放っていたルシウスがそいつに絡まれていたので、遠慮なく身柄を拘束して。「こいつはもらうな」と告げて、その場を去ろうとしたら。

 騎士になって自分の剣にならないか、と。

 この国の第二皇子だと言う銀髪に黒目の少年に手を差し伸べられた。

 きっとこのまま適当に武人として金を稼いで生きていくなら。自分のことが欲しいという呪われた皇子の側で仕事をするのも、悪くはないかと。

 ゼノイスはその手を取った。


 そうして、騎士になることを決めたが、すぐにルシウスの騎士になれる訳ではないそうで。

 彼は実力で騎士団に入団した。

 それからの日々はルシウスに言われていたので覚悟はあったが、面倒なことは多かった。

 どこの馬の骨かも分からない平民が帝国騎士団の本部に採用される。どうせ使い捨ての駒だろうと思う者はまだマシだが、騎士としての誇りがどうちゃら、こうちゃら。なんて難癖つけてくるのは煩わしくて。

 金の亡者の人殺し。

 そう呼ばれて、しばらくは大層な志や身分をお持ちの騎士たちにいびられた。まあ、どれも受け流していたが。

 そんな周りの評価よりも、貴族どころか平民としても素養が欠けていたので、実技以外で身に付けなければいけないことが、ゼノイスにとっては試練で……。



「――五年前か……」


 カトレアが去った後、彼は呟く。

 あの頃、カトレアは騎士団の本部周りで雑用をしていた。

 朝はいつも服が溢れかえりそうなほど積まれた籠を持って移動するところをよく見かけて。かと思えば、昼になると食堂で給仕。それが終われば掃除をして、洗濯を取り込んで、夕食の準備。

 自分より若い娘が真面目に働いているのが印象的で、ゼノイスは初めて彼女を見かけた時から仕事熱心なメイドだと認識していた。


 ――そんな彼女と初めて言葉を交わしたのは、もう五年も前の話になるのか。


 ゼノイスは時の流れを感じて、目を閉じる。

 カトレアと初めて会話らしい会話をした時のことを思い出していた。


「覚えてないだろうな――」


 先輩騎士に押しつけられた荷運びを終えて、時間を確認せずに食堂の扉を開けば。

 すでに食事の時間は終わっていて。

 前の方の席で、仕事を終えた使用人たちが数人、食事をしていた。

 バツの悪い顔で部屋に戻ろうと廊下に出たら、少女の声に呼び止められて。

 それが、焦茶色の髪をいつもきちんとまとめて、人一倍仕事が早くて気が利くという新人メイドのカトレアだった。

 彼女は「賄いでよければ準備しますよ。私もちょうど今から休憩で」と言って。

 微塵も嫌な顔を見せず、わざわざ廊下に出てまでそう告げて笑うカトレアに釣られて食堂に戻ると、ふたり分の食事を用意して使用人たちからは距離をおいた後方の席に座った。

 当たり前のように一緒に座る彼女に、自分のことを知らないのかと疑問に思えば。


『カトレア・ランベルと言います。騎士団本部に配属された下っ端メイドなので、遠慮なく呼んでください、トーマ卿』


 カトレアは分かった上で、引き止めたのだと知って。ここで初めて自分を尊重する言葉を聞いて、ゼノイスは胸が詰まった。当時はその苦しさに首を傾げたが、多分あれは、嬉しかったのだと思う。

 ちゃんと向かい合った彼女の大きな瞳は、よく見れば茶色ではなく金色で。城に入ってから見たものの中で、一番綺麗だった。


 あれから落ち着いて話す機会はそうなかったが、彼女は目が合うといつも必ず何かしらの形で挨拶をしてくれるようになって。

 それが、五年後の今も続いていた。

 たかが挨拶だが、「金の亡者の人殺し」から「影の騎士」に自分の立場が変わっても、何も態度が変わらないカトレアはゼノイスにとっては特別で。

 だからだろう。

 自分がもし婚約するならどんな人がいいか考えた時、真っ先に浮かんだのがカトレアだったのは。


 ゼノイスは閉じていた目を開き、自分より小さくて細い彼女の女性らしい手を思う。


「まさか、本当に許可してくれるとは思わなかった……」


 自分に女性の友人がほぼいないから、カトレアしか浮かばないのだという自覚はあった。

 しかしそれでも、何となく彼女なら自分との婚約を嫌がらずに、受け入れてくれるのではないかという期待があって。

 何の因果か聖女のメイドになったカトレアが、実際に近くで仕事をする姿を見れると、やはり好感しかなく。そう思ってしまえば、カトレア以外に婚約を頼みたい人などもう考えられなくて。

 悩んだ末に、ついに言ってしまったら、急に断られることに怖気付き。

 情けなくも、言ったことを取り消そうとすれば――。

 


『い、いえ! 私なんかでよければ喜んで!?』



 彼女の肯定する言葉が、それを遮った。

 空耳だと、思った。

 しかし、確かにカトレアは婚約を認めてくれて。世辞だろうが、自分と婚約することが光栄だなんて言うのだ。

 昔から騙されないように鍛えられた観察眼が正常に作動してくれていれば、断ろうとする素振りは全くなかった。――それどころか、彼女はむしろ自分を卑下して離れてしまおうとするので、苛立ちすら覚えて。

 今まで自分に向けてくれたものは、カトレアにとってはきっと当たり前のこと。メイドがすべきコミュニケーションの一環だとは分かっている。

 しかし、その、何年経っても変わらない彼女の笑みを見て、いつの間にか安心しているやつがいるのに。本人はそれを知らないのだ。

 こちらは稀有な存在に感じていても、愛想の良い彼女からすれば、大勢のうちのひとり。

 それが、五年という月日が経っても決して縮まることはなかった、カトレアとの距離だった。


 そして今は――。


「婚約者、か」


 あれだけ面倒だと思っていた婚約を、その彼女と約束した。

 主人であるルシウスが懸命に探し続けていた聖女と婚約するつもりは毛頭ない。そろそろ帰って来ることは思っていたが、今朝カトレアに話をできたのは運が良かった。

 あの機会を逃していたら、きっと自分は彼女に婚約を提案することはなかっただろう。そんな確信があった。

 ルシウスが遠征から戻って来たので、牽制役のゼノイスは彼の隣に戻る。聖女には明日から、戦場でルシウスに生かされ忠義を感じている有能な騎士たちが、ちゃんとふたり体制で付く手筈だ。


「指輪、買いに行く時間をもらわないとな」

 

 自分の主人とカトレアの主人の関係なら、顔を合わすことは以前よりかは増えるはず。




 ゼノイスは握ったままだった針金の指輪を、潰さないようにそっとポーチにしまった。







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