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5・第二皇子



(なんだろう。騒がしいな……)


 厨房まで皿を下げて、洗面器など必要なくなったものを片付けた帰り。

 本館が慌ただしいのを感じながら、カトレアは廊下を歩いていた。


「カトレア」


 すると前から歩いて来た同僚に引き止められて。


「リサ。どうしたの?」


 真っ直ぐなミルクティーブロンドの髪をまとめた美人で、意外に声が低くて落ち着いた印象を抱かせる彼女は帝国唯一の姫君、エレオノーラ付きのメイドだ。リサはとても仕事ができる尊敬している友人で、年も近く一番仲がいい。居館の部屋も同室だ。


「今日、第二皇子が帰ってくるそうよ」

「え……。雪が積もってるのに? こんな中?」


 小声でリサがそう言ったのを聞いて、彼女は目を見開く。パッとみただけでもかなり積もっていたはずだが、こんな銀世界の中を馬で帰ってくるなんて危ないことをするのか。


「そう。さっき連絡があったみたい。かなり力を使われて、昨夜の雪は第二皇子の影響かもしれないなんて噂が流れてるわ。あなたの対応している客人に会いに来るかもしれないから、心算はしておいた方がいいかも」

「……そうなんだ。ありがとう。助かるよ」

「ええ。カトレアのことだから大丈夫だと思うけど、くれぐれも気をつけて」

「うん」


 ふたりとも仕事中なので、話はそれで切り上げて互いに逆の方向へと歩き出す。


(雪を降らせるほど魔法を使ったって? 誇張だろうけど、それだけ厳しい戦場だったのかもしれない……)


 シエラを連れてきた翌日に、ろくに彼女と話もしないで側近だけ置いて、ルシウスはここを発った。

 北部のヒュードラシアで雪山の主が暴れたらしく、彼はいつものようにその加勢として駆り出された訳だ。

 ヒュードラシアまでは鉄道に乗って片道二日はかかる。それ以外の移動は馬だ。一週間が経つのでそろそろ帰ってくる頃だとは思っていたが、まさか今日だとは。

 こんな雪の降った直後でなくても、ゆっくり帰って来ればいいだろうに。いや、前までの彼なら、何かと理由をつけて城に帰るのを遅らせていたはずなのだ。それくらいは知っている。


(リサの言う通り、本当にシエラ様に会うために帰って来るんじゃ……?)


 カトレアは今までルシウスと関わるような仕事をしたことがなかったが、陰口ならたくさん聞いていた。複雑な立場にいる彼に関わると、自分の身も危ないことは使用人たちの中で共通の認識。面倒なことには巻き込まれたくないという危機感から、ルシウスに関する情報はすぐに広まった。

 今日の帰還についても、同じこと。


「まあ、でも。だからって、私が特別に何か準備することもないのかな……」


 カトレアは考えを巡らせながら部屋に向かう。

 連絡が来たのはきっと、雪掻きでもしとけということなのだろう。到着まではまだかかると見た。

 ルシウスは腫れ物扱いだが、別に狂人ではない。

 普通に仕事をしていれば首を切られることはないし、本当に気をつけるべきは彼を狙う外部の人間だ。萎縮して普段の振る舞いに支障が出るほうが悪循環。

 彼女はあまり深く考えることはやめて、主人の元へと戻った。


「おかえりなさい!」


 一体いつまでここにいるのか、分からない客人。

 それはすぐにいなくなるという意味ではなく、ずっとここにいるだろうという確信で。


(一応、伝えたほうがいいかな。第二皇子のこと)


 カトレアはシエラを見つめる。

 彼女が聖女の力を使えるところは見たことがない。しかし、どう考えてもシエラは聖女だとしか思えなかった。

 あの、人を寄せ付けないことで知られるルシウスが、家族に虐められて無名のお嬢さまをわざわざ城にまで呼んで囲うのだ。それで察せない方がメイドとして問題である。

 とすれば。ルシウスが生き延びるためには、彼女が必要で。シエラは何かしらの形で、ずっとここにいるだろう。客人相手に「専属メイド」として任命されて、裏の事情が透けて見える。

 正真正銘、シエラはカトレアが一番に優先しなければならない主人だった。


「今日はどうやって過ごそうか悩んでいたの。考えてみれば、ここに来たばかりの時はたくさん服や宝石まで用意していただいてしまって……」


 シエラは顔を曇らせる。


「シエラ様は第二皇子殿下の御客人です。当然準備するべきものですので、気に悩む必要は全くございません」

「そ、そういうものなのでしょうか?」

「はい。受け取っていただけないと、第二皇子殿下の名誉に関わります」


 突然の訪問者に慌てふためく中、どさくさに紛れ込むかのようにカトレアは専属メイドとして呼ばれて。驚く彼女がメイド長に言われたのは「お嬢様が快適にここで過ごせるように努めなさい。お金はいくらでも第二皇子殿下が払うそうだから」という簡潔で大雑把な仕事内容。

 貴人の対応は経験があったのと、姫付きのリサに助言をもらったので困らなかったが、こんなに裁量が大きなことは初めてだった。


 シエラはこの城に来た時、まともな服を着ていなかった。到着早々やったことはお風呂に入れて身を清めるということで。ここに来てから数日は、身の回りのものを揃えるので少しドタバタしていた。

 長くここにいることは何となく予想できたので、ちゃんと良いものを揃えられるように手配している。

 今日の装いも皇族には目をつけられない程度に控えめの服ではあるが、元の美貌もあって、来た時とは見違えるほど綺麗だ。いつ皇族とすれ違っても、恥ずかしくない。


「第二皇子殿下が今日中に戻られるとの連絡があったようです。気になるようでしたら、お礼は殿下に」

「えっ。今日帰って来るんですか? ルシウス様が?」

「はい」


 カトレアは動じることなく頷いた。

 集中しているのか、鍛錬の一環か。扉の横に立って目を閉じていたゼノイスが、反応するのが分かる。


「使用人たちが慌てて雪掻きに行ってます。東の宮もお迎えの準備で、少し騒がしいかもしれません」

「い、いえ! それは全く問題ないのですが……。どのくらいの時間になるのかしら……?」


 東の宮は、第二皇子の母親アナベルに与えられたもの。彼女はもう何年も前に死んでしまったが、彼が帰ってくるのはこの棟だ。

 城は皇帝の物。たとえ呪われた死神の住まいだろうと、どこであろうと毎日清掃をしている。しかし、戦場帰りのルシウスはあまり機嫌がよろしくない時が多いので、風呂やら医者やら着替えやら。不備がないかは入念に点検をする。


「今回の遠征はヒュードラシアですから、連絡が入ったとなると、電話が繋がるのは帝都最寄り駅からでしょう。駅から城までは少しかかりますので、早くても到着するのは一時間後かと」

「すごい。カトレアは何でも分かるのね」

「この城のメイドになって数年経ちましたから。ただの経験則ですよ」


 ここで働いていれば、誰だって気がつくことだ。

 シエラの純粋な瞳に見つめられて、カトレアは苦笑する。


「何か他に気になることはございますか?」

「……その、わたしは挨拶に出たほうがいいのかしら……?」


 そろそろ冷めてしまっているだろうティーカップを見つめてから、シエラはちらりとカトレアの顔を覗く。


「そうですね……。第二皇子殿下もお疲れでしょうから、挨拶は後日のほうがよろしいかと」

「わかりました。教えてくれてありがとう」


 ルシウスは討伐から帰って来ると、大抵数日自分の部屋から出てこない。

 ――しかし、今はシエラがいる。


「……お役に立てたのであれば、よかったです……」


 本当に挨拶が後日になるのかまでは、カトレアも読めなかった。


「じゃあ、今日は部屋でのんびりしていた方がいいみたい。……よかったら、話し相手になってくれませんか……? この城のこととか、色々知りたくて。カトレアのことも……」

「お望みとあれば、喜んで」


 カトレアは快く応えた。

 シエラがいつでも何かを口に入れられるように、休憩するソファーのローテーブルにはクッキーを常備。暖炉をつけたので給湯室でなくても、お湯をここですぐに沸かせるし、茶の葉などの準備は棚にいくらでもある。

 主人の暇つぶしに付き合うことこそ、専属メイドの役得。


「カトレアも座って、一緒にお茶しましょう! ゼノイスさんもよかったら……」

「オレは遠慮しておきます。気になるようなら話の間、外に出ていますが」

「い、いえ!! 大丈夫です! ここにいて下さい! ね!?」


 シエラはぶんぶん首を振ってから、最後にカトレアに同意を求めてくるが、苦笑するしかない。

 ゼノイスはこういう人なのだ。仕事であれば言葉を交わすが、必要以上に距離を詰める気がない。

 シエラ相手に限ったことではなかった。


「カ、カトレアは一緒に座ってくれますよね……?」

「シエラ様さえ許していただけるなら、大丈夫ですよ」


 不安げなシエラに逃すまいと、しっかり腕を引っ張られて。カトレアは勧められるままに、椅子に座ると彼女と向かい合った。


「ありがとう。いつかは、こうやって歳の近い女の子とお茶をしてみたかったの……。カトレアはわたしのひとつ歳上でしたよね?」

「はい。十八歳です」


 少しずつだが、言葉を崩してくれていてカトレアは安堵する。伯爵が再婚する前は、お嬢様として暮らせていたのだろう。素の話し方は、可愛いらしい棘のない気品のあるものだった。


「さっきお城に仕えてから数年経ったって言ってたけれど、いつからここで働いているの?」

「十三歳で城に入ったので、五年前になりますね」


 最初から城のことではなく、自分のことについて尋ねて来るシエラに、カトレアは何だか微笑ましい。興味津々で話を聞いているところを見ると、歳の近い女の子というより、友人と呼べる人が彼女にはいなかったのかもしれない。


「そんなに前からお城に? メイドにはどうやって?」

「珍しいことではありませんよ。募集があったので応募したら受かっただけです」


 帝国では男女問わず十八歳で成人だが、子どもでも十二歳から働き手として雇っていいことになっている。働き口を探していて、どうせ落ちるだろうと思ったが、応募してみたら受かったというだけだった。


「選考はどんなことをしたのか、覚えて?」

「字の読み書きと計算は、テストがありましたね。面接もしました。あとは、体力があるのか見るためだと思いますが、八分目くらいまで水を入れたコップを持って城の周りを歩いて何周かしましたね」

「そんなテストもあるの!?」


 こんなありきたりな平民の話で申し訳ないのだが、シエラはここ最近で一番遠慮が見えなくて楽しそうだ。


「……メイドには、体力も必要なのね……」

「はい」


 動いている時は、ほぼ立ち仕事になる。こうして座っていることのほうが珍しい。カトレアが肯定するのを見ると、シエラはクッキーに手を伸ばした。

 小さなひと口でもぐもぐと咀嚼する姿は、うさぎみたいである。


 その後も、シエラはカトレアの仕事について様々な質問をした。何時に起きて、どんな作業をするのか。使用人たちはどこに寝泊まりしていて、休みの時間はどれくらいで、仲間同士の仲は良いのかなど――。本当に色々と聞かれた。

 カトレアはカトレアで、その間彼女がどんなものが好きなのかをリサーチして。

 そうこうしている内に、あっという間に時間は過ぎていった。


「……もしよかったら、カトレアがどうしてこの城のメイドになったのか聞いても?」


 お茶を飲んでから一息おいて、シエラはカトレアの、よく見ると茶色ではなく金色の瞳を見つめた。


「単純にその時受けようと思っていた仕事の中で、一番お給金がよかったからですよ」


 包み隠すこともなく、彼女は応える。

 下世話な話で気を悪くするかもしれないが、平民にとっては仕事を決める上で一番気にするところだ。

 どんな反応をされるか、じっとシエラを見守っていると、彼女は身を乗り出して。

 耳を貸せということだと察したカトレアも、顔を近づける。


「……ど、どのくらい貰えるの……?」


 そして、小声で言われたことに、きょとんと目を丸くした。


「――もしかして、シエラ様。メイドにご興味が?」


 嫌がるどころか話を掘り下げてくる彼女に、カトレアはそう思う。


「本当に、カトレアは何でも分かっちゃうのね……!」


 図星だったそうで、シエラはびっくりした顔だ。


「まあ、あれだけたくさんメイドの仕事について質問されたら……」

「ご、ごめんなさい! そんなにわかりやすかったの!?」


 カトレアは姿勢を正して、肩をすくめる。

 シエラは恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「わたし、ずっと客人としてはここにいられないし、帰るところも、その……」


 ハハハ、と。言葉を濁してシエラは乾いた笑いを貼り付ける。

 たとえ家柄しか取り柄がなくとも、彼女はフロンターレ伯爵令嬢だ。令嬢たちの生活を全て理解しているわけではないが、美しいお嬢様だし、王子の紹介があればよい貰い手に恵まれるだろう。

 働かなくても生きていける手札があるのに。

 カトレアがそう思った時だった。

 ノックもなしに部屋の扉が開いていくのに気がついたのは――。


「今からでもメイドとして仕えることができないかな、なんて――」


 カトレアはすぐさま立ち上がるが、まだそれに気がついていないシエラは言葉を続けた。



「その必要はないな」

「――――え?」



 そして、聖女の話を遮ったのは、研ぎ澄まされた剣の艶めきを放つ銀髪に、黒曜石の黒い瞳を持った息を呑むほど美しい青年で。




「――ル、ルシウス様!?」




 グランヴェルツ帝国第二皇子。

 ルシウス・グランヴェルツが、そこにいた。





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