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23・遠征




 ひょんな非日常が過ぎ去れば、カトレアには主人の側で静かに働く日々が流れる。


「シエラ様。第二皇子殿下がもう少しでお戻りになられるようです」

「――! 分かったわ! ありがとう」


 冷たい飲み物を用意して執務室に戻って来ると、廊下で聞きつけた情報を伝えた。

 ルシウスの執務室に設けられた秘書専用の机に座ったシエラは、ぱあっと顔を輝かせて顔を上げる。

 裁判以降、第二皇子秘書という肩書きを与えられたシエラは正式に王城の一員になり、その働きに応じてきちんと報酬が支払われるようになっていた。

 元伯爵は虚偽を申告し、皇族を陥れようとした罪で爵位剥奪、死罪。夫人とその連れ子は国外追放。帝国に君臨する一族に歯向かおうとした罪は重かった。

 そうしてフロンターレ伯爵家の現当主はシエラになったが、良い思い出がない伯爵の領地は返上。シエラは爵位を持っているだけの令嬢になってしまったが、後見人として教皇が帰る場所を保証してくれたので、それでよかったのだと彼女は言う。

 今はこうして王城で生活しており、自分のできることをやってちゃんと評価されるのが嬉しいそうだ。

 誰も口に出しては言わないが、すっかり東の宮の女主人である。


 そして、その日。


「――ルシウス様っ!」


 シエラは魔物の討伐を終えて東の宮に帰ってきたルシウスの姿を見つけると、サァッと青ざめて彼の元に駆け寄った。


「……シエラ……」


 ルシウスは彼女の名前を小さな声で呟く。

 彼の使う氷の魔法は特別だ。

 古代に大陸全土を覆った「大いなる冬」を人の中に封じたと云われる力である。

 受け継いだものは、魔法を使えば使うほど身体が冷たく凍った感覚になる【冷障】を患い、最後は心臓が止まってしまう。

 夏なのに、ひとりだけ冬用の分厚い上着を羽織ったルシウスは、目の前に来たシエラを見て力が抜けたのか、彼女に身を任せるように倒れていく。


「殿下――」

「ルシウス様、しっかりしてください!!」


 側にいたゼノイスはシエラと目を合わせると、すぐに彼に肩を貸す。ふらふらのルシウスを支えて、部屋へと急いだ。


(……現場は、そんなに大変なのか……)


 城にいれば魔物になんて出会わないから、忘れがちだが、ここは人と魔物が生存を争う世界だ。

 カトレアは皇子の執事が指示を出しているのを横目に、シエラの後ろを付いて行き、ゼノイスの背中を見つめた。

 ここ一ヶ月、ルシウスは皇帝の命で支国を転々とし、魔物の討伐をしていた。彼が城を空けるのはいつものことのように思えるが、少し様子が違った。

 魔物たちの動きが荒れていて社会問題にまで発展し、天変地異の前触れなどと言うものも出てきている。帝国が誇る力の象徴として魔物を倒すためだけに各地を周り、慣れない土地で接待を受け帰って来るなんて、きっと疲れない方がおかしいだろう。

 ルシウスには代償の影響もあるが、彼がそれほど力を使ったとなると、その隣にいたと思われる近衛騎士も大変だったはず……。


(第二皇子が危ない目に遭う分、ゼノイスさんも危険に晒されるってことなんだよね……)


 ずっと前から分かっていたことだが、改めてそれを感じてカトレアはゼノイスを見つめる。

 彼女には、シエラのように身体を見ただけでゼノイスが傷付いていないのかなんて分からない。

 皇子の護衛として、獣だけではなく人にも気を配らなければならない近衛騎士は、主人がこんな状況なのに弱味を見せることは許されないはずだ。


(大きな怪我は、ない……みたいだけど……。ちゃんと休んでもらいたいな)


 部屋の中に消えていったゼノイスとシエラを見送り、彼女は廊下で足を止めた。

 カトレアはルシウスの寝室には入らない。彼の世話は彼に許された執事たちの役目なので、しばしの間自分は必要なくなる。専属メイドとして、主人の側で手持ち無沙汰に立っている時間にも慣れたものだ。

 この後何が必要になるのか考えながら、カトレアはシエラを待った。


「カトレア」

「お疲れ様です。トーマ卿」


 すると最初に部屋を出てきたのは、ゼノイスで。

 彼は廊下で待っていたカトレアの前で立ち止まる。


「ご無事で何よりです。お身体は平気ですか……?」

「大丈夫。あってもかすり傷くらいだから。カトレアも何かなかったか?」

「はい。こちらは特に変わりなかったです」


 ルシウスと打って変わってゼノイスは、疲労が見えなかった。むしろ戦場帰りで冴えてるようで、青灰色の目がぎらついている。元気そうでよかったが、いつもより圧が強い。


「トーマ卿も休める時に、しっかり休んでくださいね」


 ゼノイスはじっと彼女を見つめ、無言で頷いた。

 カトレアは自分の口元に手を当てて、耳を貸して欲しいとアピールする。察した彼は、そっと顔を寄せた。


「給湯室の上の棚に、薬とか差し入れを置いといたので、よかったら持っていってください」


 どうすればゼノイスに気軽に差し入れができるか考えた結果、生み出した案がこれだ。

 以前、ゼノイスも他の人が触らないだろうところに昼食を置いておいていたので、分かってくれるはず。

 話を終えて顔から手を離すと、ゼノイスは目を見張っている。


「……ありがと」

「いえ!」


 彼は短く礼を言い、執事がこちらに歩いて来るのを見て、その場を離れた。

 真っ直ぐ向かった先が給湯室だったので、多分受け取ってくれただろう。


(喜んでくれるといいな……)


 仕事中なので表情が緩まないようにしながら、カトレアはゼノイスの背中を見守った。











「――遠征に同行、ですか?」

「そう」


 ルシウスの治療を終わって、一度自分の部屋に戻ったシエラは、夕食の時間まで少し休んでいた。

 そしてカトレアは、自分の部屋に戻ったシエラにじっと見つめられる。告げられたのは、ルシウスと一緒に戦場に行きたいという主旨の言葉で。


「ずっと考えていたんだけれど、今回の件を見て決めたわ。……カトレアには先に言っておこうと思って……」


 シエラはどこか申し訳なさそうな声色だった。

 カトレアはシエラの専属メイド。常に主人を優先し、彼女に寄り添うことが求められる。シエラが行くというのなら止めはしないし、一緒に行くことになるだろう。そういうものだ。

 たとえルシウスが守っていようとも、女性ひとりを、男の職場に放り込むわけにはいかない。女性の騎士が付くかもしれないが、貴族のお嬢様が外出するのにお供をつけないのはよろしくない。

 カトレアが平民出身のメイドだと、シエラも知っている。誰かシエラと共に戦場に行く女性の側用人を選ぶとしたら、抜擢されるのはきっとカトレアだ。

 そしてこちらを窺うこの様子だと、シエラもカトレアに来て欲しいと思っている。


「私はシエラ様の専属メイドですから。お供いたします」


 カトレアは表情を変えず、いつものようにシエラに応えた。

 せっかく衣食住には何にも困らない王城勤務なのに、戦場に行くことになるとは。人生何があるか分かったものではない。

 内心ではそう考えもしたが――そこにゼノイスもいるなら、悪くはないと思えてしまった。

 我ながら単純である。


「本当にいつもありがとう、カトレア」


 その返事にシエラは心の底から嬉しそうに礼を言うものだから、カトレアは肩をすくめて笑った。


(そうと決まれば、色々と準備をしておかないと)


 討伐命令はいつも急に下される。

 皇帝のもとに寄せられた緊急要請の中で、難易度が高いものがルシウスに回されるのだ。

 なんだか最近は魔物たちの様子がよくないので、いつ呼ばれても出発できるように身の回りのものを整えておかなければ。


「ルシウス様が起きたら、わたしも行くってちゃんと伝えるの。聖女の力は肉体的な傷を治すのが難しいけれど、疲労回復はできるから。きっと少しは役に立てるはずよ」


 シエラは小さく拳を握って、自分を奮い立たせている。やる気に満ち満ちた表情だ。


「そこにいるだけでも、士気が上がりそうですが。……シエラ様は、魔物を見たことは、おありですか?」


 ふと気になって、カトレアは尋ねた。

 フロンターレ伯爵家は魔物があまり出ない場所にあったはずなので、シエラに耐性があるのか気になった。


「昔、一度だけ……。きっとルシウス様が行かなくちゃいけないところは、もっと酷いところなのだろうけれど怯んでいられないわ。……カトレアは大丈夫そう? 無理はして欲しくないのだけれど……」

「それなりに耐性はあるかと。実家は魔物の咆哮がよく聞こえてくるような田舎なので」

「え!?」


 驚いた反応をされて、カトレアはぴしりと顔の筋肉を固める。


(そ、そうだよね。普通びっくりするよね!)


 都の人がみせる普通の反応に、彼女は慌てた。


「家はすごく安全なところに建ってるので! ご心配なく! ただそんな所なので近くの町には狩人がたくさんいるし、父や兄も魔物を狩る仕事をしています。たまに父と一緒に狩場に連れて行かれたので、耐性はあるかと……」

「そうなの! それはすごく心強いわ!」


 シエラが上手く受け取ってくれて、喜んで見せるので、カトレアは胸を撫で下ろす。


「そう言えばわたし、カトレアの出身地を知らない」


 そして避けようとしたところをダイレクトに聞かれて、カトレアはギョッとした。

 どうせいつかはバレる時が来ると思っていたが、いざその時となると隠したくなる。悩んだが、城に仕える者として出生を言えないのは悪手だ。


「えっと……。北東にあるアイシャン山脈のあたりです」


 顔色を窺うようにして応えると、シエラは目を丸くする。


「アイシャン? ここから支国を三つ越えた、一部は強力な魔物たちの寝床で危険地区に指定されている、あの?」

「そうです。でも、山脈も広いですから。慣れれば自然豊かでいい所なんですよ」


 カトレアは少し大袈裟に笑ってみせた。


「……すごい田舎で、山で狩りをするような家で育ちました。帝都に住んでる人には驚かれる暮らしをしてたので、あまり人には言ったことがなくて……。ここだけの話にしていただけますか? もちろん必要な時には言ってくださって構わないのですが」


 カトレアは、困ったように尋ねる。


「わたしからは誰にも言わないから安心して!」

「ありがとうございます」


 シエラが頷いてくれるので、彼女は肩の力を抜いて苦笑した。





 

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