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21*失くしもの




 彼女を見つけたのは、炎上する荷馬車の目の前だった。


 王城までの帰り道をたどり、そこからそう遠くない範囲で馬車を探し。何か焦げ臭い匂いが薄っすら鼻腔をかすめるから、嫌な予感と共に高い場所へと登って。

 建物の屋根から見えたのは、煙が上る雑木林に囲まれた小道で、猿轡をかまされた焦茶色の長い髪を揺らす女性が、燃える馬車から逃げるところで。

 すぐにカトレアだと思った。

 奥にキラリと光るものが見えたと思えば、助けたい人目掛けて矢が飛んでいく。どう見ても危機的状況だった。普通に走っていては間に合わない。

 ゼノイスは普段は使うのを抑えている、影の魔法を使うと、大体の位置まで飛んだ。

 視認できた大きな影まで移動した時には、地面に倒れたカトレアに矢が迫っていた。



「カトレア!!」



 間に合わないと思った。

 影で移動する魔法は力の消費が激しいため、次の技を使うまでに時間がかかる。

 頼むから外れてくれと思いながら駆け出した。


 そして、不甲斐ない自分の目先で、カトレアは自分の力で身体を転がし弓矢を避けて。


 その直後、彼女の側にたどり着いたゼノイスは、カトレアを担ぐとすぐにその場を離れた。

 射手を捕まえようとは、微塵も考えなかった。

 近くの住宅街に紛れると、壁を背にして座らせる。

 背中で腕を縛られ、口にも拘束具をかまされて。

 服は焦げて、裸足の足は言葉にするのも痛々しい。目の焦点が合っておらず、ボロボロだった。


「カトレア! しっかりしろ!」


 声をかけて、すぐに猿轡を外した。

 いつも自分に真っ直ぐ向かってくる目線が、宙を彷徨っている。


「――ハァッ――っ。かっ、はっ、はっ」


 苦しかったのだろう。口からそれを取った瞬間、空気を求めてひゅうひゅう音を立てて彼女は息を吸た。

 しかし、どんどん呼吸は荒くなる一方で。

 目には涙を浮かべ、落ち着こうと必死に息を長く吐こうとするが震えて上手くできていない。パニックになりかけているのが、目に見えて分かった。

 苦しむ彼女が見ていられなくて、気が付けば身体が先に動いていた。


 カトレアの顔を押さえ、呼吸を奪う。


 金色の目が見開かれるのを間近に感じながら、数秒でいいから息を止めてくれと、小さな口を深く塞いだ。

 ほんの少しの時間だった。息ができないと、頭を振った彼女を離して。


「――もう大丈夫だから。ゆっくり息、吸って」


 何が大丈夫なんだよと自分を恨みながら、それでもカトレアが少しでも安心して欲しくて口は動く。

 乱れた髪の中の小さな顔に添えた手に、涙が触れるから。胸が締め付けられる思いで、今にも壊れてしまいそうな彼女の頬を撫でた。

 カトレアが泣いているところを見たのは、これが初めてだった。

 それまで霞んでいた金色の瞳が自分を捉えて。


「オレが分かるか?」

「……とーま、きょう……?」


 やっと彼女の声が聞こえた。

 吐息が混じりの小さな声で、呆然と名前を呼ばれる。


「助けに来るのが遅くなって、すまない」


 弱り切ったその声に、どうしてもっと早く助けに来れなかったのか、ひたすら悔やまれた。

 抱きしめるように背中に手を回すと、カトレアの身体が倒れてくる。彼女の荒い呼吸を聞きながら、短剣で縛られたままの手首の縄を切った。

 はらりと縄が落ちると、外そうと捻ったのか、血が滲みあざもできている。視線をずらすと右の上腕は射られた傷で、服が血に染まっていた。

 

「薬、飲めるか」


 身体を離すとポーチから水薬を出す。

 火事の煙を吸ったり、これが毒矢だったりした場合、早く応急処置をしなければ。カトレアは顔を上げると、水薬に手を伸ばす。しかし、その手は微かに震えていて。


「っ!」


 すぐに蓋を開けて、カトレアの口に薬を注いだ。


「――ゴホッ」


 ひと口目でむせてしまうが、飲み込んでもらわないと効果が出ない。少しずつ瓶を傾け、喉を湿らすように薬を飲ませた。辛いだろうに、ちゃんと応えてくれるカトレアに、どうしようもない気持ちになる。


「すぐ教会に連れて行く。あと少しだけ我慢してくれ」


 彼女が選ばなさそうな服の裾は燃えて、そこから覗く白い足は煤や血で汚れていた。自分の上着をカトレアの肩にかけると、彼女の背中ともも裏に腕を入れて抱き上げる。

 自分とは違う、女性の細くて柔らかい身体は力が抜けていて、腕と足がだらんと揺れた。

 このまま死んでしまうのではないか。

 焦る気持ちに蓋をして、カトレアを抱き直すと、教会を目指した。






 到着すると、騎士に抱えられた明らかに弱っているカトレアを見て、すぐに中へと通された。

 腕の傷を見た治癒師は、毒を抜かなければならないと言い。

 足の状態を見て、ベッドに寝かせるのは痛むかもしれないと思ったゼノイスは、カトレアを抱えた状態で椅子に座った。

 ひとりが腕を。後からやって来たもうひとりが足を。

 可能な限りの治癒の魔法をかけて、濡らしたタオルで汚れを拭うと薬を塗った。

 感覚が麻痺しているのか、カトレアはうめき声ひとつ上げなかった。


「あと少し遅かったら危なかったですよ。フグカブラの毒なんて。足も火傷に加えて、何かが引っかかったような切り傷が深くて――」

「…………」


 治癒師の説明を聞きながら、歯を食いしばった。


 ――どうして彼女がこんな目に遭わないといけない?


 この五年、ずっと離れた場所からカトレアを見ているだけだったが、真面目で優しい人だということは本能で察していて。

 誰かと時間を共有するなら、彼女だったらいいかもしれない。否、むしろもっと話してみたいと。

 争いとは無縁そうな、いつも朗らかな雰囲気をまとうカトレア。

 本当に何故、何も誰も故意に傷つけるようなことはしない温厚な彼女が、こんなボロボロにならなくてはいけないのだろうか。

 冷静になればなるほど、怒りが氷点下を突き抜けていく。

 すると、それまで動きを見せなかったカトレアが頭を離したから、我に返った。


「カトレア……?」

「…………とーまきょう……」


 カトレアの金色の瞳が自分を見上げる。


「どうした? どこか痛むか?」


 彼女の言葉をひとつも聞き逃してたまるかと、じっと耳を澄ませれば。彼女は毒を抜いたばかりの手で、ゼノイスの胸元を掴む。


「――さいばんは? シエラ様はご無事、ですか?」


 一番に尋ねられたのは、自分のことではなく裁判や厳重に守備を固められた聖女のことだった。

 ゼノイスは目を見開いた。

 どうして、最初に聞くのが他人の心配なんだ――。

 服を掴む力が強くなるのと一緒に、心臓を掴まれている気分だった。腕の中のカトレアを、ゼノイスの片腕は優しくしっかり抱きしめて。


「大丈夫だから。今は自分の心配をしてくれ……」


 自分の顔を隠すように、カトレアの額に乗せた。

 

「本当に危なかったんだ」


 理性が傷ついた彼女にあまり触れるなと歯止めをかける。頭を離してカトレアの表情を窺うと、みるみるうちにその目に涙が溢れて来て。



「ぅ、ごめんなさい、ゼノイスさん。だいじにするって言ったのに、もらった指輪なくしちゃいましたっ……」



 絞り出すように、彼女はそう言った。

 新人の騎士ですら、戦場で受けた死への恐怖に胸を貸すことだってあるのに。

 カトレアはそれを誤魔化すように悔しさに唇を噛み、涙を堪えようとして喉を震わせている。

 恐怖を感じている暇もないくらい、追い詰められていたのかもしれない。


「き、気が付いたら服も違うし、知らないところにいるし、なにもできないしっ。グスッ。殺人犯がどうたらとか聞こえてくるし。助けが来たかと思ったら、馬車に火をつけられて、足も手もしばられてるのに脱出しないといけないし、出たら出たで矢が飛んできて……」


 ひとつひとつ。自分がされたことを並べていくのに相槌を打って、彼女の髪を耳にかける。見つけるまでの間に、カトレアがどんな気持ちになったのかを考えて苦しくなった。


「――助かっても、私が誰かを殺した事になっていたら。ゼノイスさんにもう、あ、会えないと」


 しゃくり上げて、カトレアはそう告げて。

 そんなことまで考えていたのかと。

 自分の名前が出て来て、何かが喉をつっかえた。


「……分かってる。カトレアは何も悪くない。みんな無事だ」


 カトレアは安堵の表情を浮かべ溜息を吐くと、そのまま目を閉じて気を失った。


「……疲労で気を失ってしまったみたいですね……。ベッドに運びます。着替えも必要でしょうから、少しお待ちを。その間に簡単に手続きを――」


 落ちないように抱き止めたが、目を閉じてしまった彼女にさあっと血の気が引く。

 自分の腕の中で力尽きるカトレアを見て、生きた心地がしなかった。









 カトレアは服を着替えて他の傷の手当てを受けると、個室に運ばれて真っ白なベッドに寝かされた。


「裁判は勝訴、殿下と聖女様は無事に城まで戻られました。トーマ卿はしばらくメイドの側に付くようにとのことです」

「……分かった」


 他の騎士に連絡を受けて、ゼノイスは頷く。

 彼女を教会まで運ぶ自分の姿を見ていた騎士が気を回してくれたおかげで、側を離れずに済んでいた。


 事件があった後だが、カトレアがいないまま裁判は行われ、結果は勝訴。

 城の中で一番聖女の側にいたカトレア。前もって受けていた長時間に及ぶ事情聴取の記録があったので、質疑応答は出来なかったが、それで全ての疑問を賄えていた。

 想定通り自分達が行ったことを、証拠がないからとルシウスやその手下がやったことだと伯爵家は訴えたが、聖女本人はそれを否定。彼女は洗脳されているなどと騒ぎ出したそうだが、あり得ない。

 裁判官が買収されていたり、薬で正常でなくなっていたりと様々な可能性をすべてを考慮し、厳正な法廷を準備したのだ。

 国宝の「真実の鏡」が正常に使用されれば、ルシウスが負けることはない。


 判決の結果は最初から分かっていたことだった。

 実にくだらない茶番である。

 そして、法廷に立ったメイドが本物だと信じきっているところで油断させて聖女暗殺を企むのも、心の底から笑えない所業だった。



「……カトレア」


 ふたりきりになった部屋。

 ベッドの側に置いた椅子に座り、あどけない顔で寝ているカトレアの名前を呼ぶ。

 婚約を頼んでからしばらく経つのに、最初に彼女の名前を書くのが、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。


 ――もしあの時、カトレアの急所に矢が刺さっていたら。自分が助ける前に、息絶えていたら……。

  

 そう考えて、ゾッとした。

 無理だ。これ以上は考えたくない。自分がどうなっていたかなんて、想像も付かなかった。――思考が逃げる。

 まだ彼女の好きな事も、食べ物も、場所も、色も、花も、服も、宝石も、何もちゃんと知らない。

 今になってカトレアのことが頭を埋め尽くし、それが全て泡のように消えていたかもしれないと胸が空く。


 ずっと彼女の優しさに甘えていた。

 そして、自惚れていたのだと思う。


 全然嫌がる素振りを見せないから、もしかしたらカトレアは自分を好きでいてくれているのではないかと。ずっとこのままでいさせてくれるのではないかと――。

 一回だって、彼女から恋愛対象として好きだとは言われたことがなかったのに。

 優しさ故の厚意を好意と履き違えていた。

 今更そんな事に気が付くなんて、本当にバカだ。


 カトレアが目を覚ますまで、ゼノイスは片時も彼女の側を離れなかった。











 夜になって、夏の月がカトレアを照らす。

 いつもの制服をきちんと着こなし、隙がない雰囲気とは違った。首筋から鎖骨が見えるゆったりした服に、波打つ柔らかい髪が広がり。彼女がまだ十八歳で、二十にもなっていない花盛りの若い娘であることを意識させられる。

 もう五年も前からカトレアのことを知っているはずなのに、まるで知らない一面を突きつけられた気分だった。

 目を逸らし、少し離れた場所で全く眠気が来ない夜を過ごす。

 そうして数時間すると、彼女はパチリと目を開き。


「――! いっ……」


 ゼノイスも、その変化に気が付いてそちらを振り向けば、すぐに起きあがろうとして痛みに声を上げた。カトレアは枕に頭を戻して、自分の手を見つめる。


「そうか。私、教会に運ばれて……」


 状況を把握して、彼女ははぁと息を吐く。


「……目が覚めたか」

「っ!?」


 自分の存在に気が付いていないようだった。

 ゼノイスはカトレアが目を覚ましたことに安心して、静かに声をかける。

 驚かせてしまったみたいだが、こればかりは仕方ない。


「トーマ卿……。もしかして、ずっといてくださったんですか? お仕事は……?」

「しばらく側にいる。気にするな」


 椅子から立つと、ベッドに座ってカトレアの額に手を伸ばした。先ほどまで、熱が出ていた。


「まだ少し熱っぽい。痛みは?」

「……ちょっと、腕と足が……」


 静かな空間で、カトレアの声が部屋に染み込んでいく。

 今すぐにでも治癒師を呼びたいところだが、彼らの力も無限ではない。渡されていた薬を取ろうとして前を向き直すが、彼女の動く気配がして。

 起き上がろうとする背中を支えた。


「トーマ卿」

「ゼノイス」


 いつも通りに自分を呼ぶカトレアに、名前を告げる。本物の彼女にだから、呼んでもらいたかった。


「……ゼノイスさん」


 ただ名前を呼ばれただけだが、それが特別なことだと今ならもっとよく分かる。

 噛みしめるように頷くと、カトレアは真摯にゼノイスを見据えて。


「ありがとうございます。助けてくださって。何とお礼を言えばいいか……」


 そこにはもう、腕の中で泣いていた娘はいなかった。

 そして教えられるのだ。ああ、やっぱり彼女は自分との間にきちんと一線引いている、と。

 いつ離れても自分の力だけでちゃんと立って歩けるような、甘えを許さない距離で。

 婚約者なのに、見知らぬ怪我人を助けた時のような礼を告げられる。

 そうさせている自分が悔しかった。

 彼女を助けるのは当たり前だ。どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだと、もっと早く助けに来いと怒っていい。

 それなのに彼女は首を横に振ると、困った顔をして覗き込んで来る。


「そんな顔しないでください。私はゼノイスさんに助けてもらえて嬉しかったんですから。颯爽と駆けつけてくれた影の騎士様、かっこよかったです」


 あんな事があったのに、笑っていて。

 生きていてくれたことへの感謝と労いを、額のキスに落としていた。




 話が区切れると、薬を飲むために軽く何か食べた方がよいと提案した。

 普段ならやらないが、リンゴの皮を剥いて小さく切って。毒見をしてからカトレアにリンゴの刺さったフォークを渡そうとしが、手首に巻かれた包帯をみて、その下の傷を思い出し。

 それを口元に向ける。

 髪を耳にかけながらカトレアは躊躇なく、小さな口にリンゴを収めた。

 たったそれだけのことなのに、ドキリと心臓が痛くなったことを自覚して。

 口に手を添えるとにっこり笑い、上機嫌なカトレアが――カワイイ、と。

 初めて彼女に対する感情が、心の中でどこかにぶつけたい言葉になった。


 リンゴを食べてるだけなのに、なんでこんなにカワイイのかよく分からない。

 こっちの心情など知らずに、カトレアは一緒に食べようと言ってくるので、同じフォークで自分と彼女を行ったり来たり。

 考えてみれば、こんな夜にふたりでいるのも初めてで。それは怪我人相手に思うべきことではないが、彼女から向けられる騎士で真摯な自分への信頼が分厚すぎた。

 どこまでなら、触れることを許されるのか。

 そんなことを頭の端で考えながら、シスターに言われたことが記憶によぎり、ゼノイスはそっとカトレアの髪に触れた。

 綺麗な髪なのに。偽物相手に理性を失って、すぐ手を出したせいで証拠を消すために火を放たれた。


「髪は伸びますから、別にいいですよ。いつも結んでますし。それに、髪を下ろすと誰か分からないって言われるので」


 悔やんでいると、彼女の言葉に引っかかって。


「……誰に?」

「え? それは居館住みのメイドに……?」


 反省が吹っ飛んで、代わりに口からそんな疑問が飛び出た。

 カトレアのことを知ったフリをしていた自分に呆れるしかない。





 そうして月が見守る夜の中。

 平民にも貴族にもなりきれない自分だが、大事にすると心に誓って、彼女に婚約指輪を返したら。

 カトレアは目の前で自分が贈ったそれに口付けて。




 ……果たして、彼女を離してやれるのかと。




 ゼノイスは、好きな人ができたら婚約を破棄していいと言った過去の自分を、多分今までの人生で一番恨んだ。


 





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