19・救出
男たちは自分を解放すると言った。
だから、その時が勝負だ。
硬い木でできた馬車の中で、横たわったまま。
カトレアは考えることをやめてはいなかった。
誰かが狙われていることを伝えるのは難しいが、諦めて罪を着させられるのは、ゼノイスの名誉のためにも避けたい。
犯人は自分ではなく、被害者であることを証明するために行動するべきだ。この男たちに解放されて、ここから逃げ出しては相手の思うツボ。
何とか上手くやって、男たちをこの馬車に閉じ込めたい。
(拘束さえ解いてもらえれば、相手、できるかな)
カトレアは身体の調子を確かめる。
起きたばかりの時は気が付かなかったが、どうやら薬のせいで力が上手く入らなかったみたいだ。
今は瞼も重たくないし、思考も鮮明。
手と脚にも、ちゃんと力が入りそうだ。
体術は得意ではないのだが、急所を蹴るくらいならできるだろう。
弱っているフリをして中まで誘導し、縄を解いてもらったら、ひとつ暴れしてみよう。
カトレアはそうと決めると、体力温存で大人しく寝ていた。
すると突然、「グワァ!!」と男の悲鳴が上がって。
(――え?)
カトレアは不穏な声に、目を開ける。
助けが来たのか?
そう思って起き上がり、御者が見える小窓をそっと覗けば。
「油を注いで火をつけろ。急げ」
それまでいなかった男が指示を出し、馬が嘶くのが聞こえて。
カトレアは声を殺して、すぐさま元の体勢に戻って、意識を失っているフリをする。
ガタンと音が聞こえたかと思えば、小窓からさっきの男がこちらを見て。
「……気のせいか」
「この位置からだと、弓が届きませんね」
「どうせ焼け死ぬだろう」
そんな会話が聞こえて来る。
カトレアはどうか意識があることに気が付かないでくれと、心の中で祈った。
そして、とぷとぷと水の音が聞こえたら、周りが静かになって。
小さく木が割れるパチパチという音が鳴り出す。
(うそ、でしょ!!)
本当に、火をつけられた。
木製の荷馬車なんて、すぐに燃える。
カトレアはゾッとした。
酸素がなくなれば意識を失い、そのまま焼け死ぬ。
覚悟を決めると、息を大きく吸い込んでから、自らまだ小さい炎に足を伸ばして縄を焼いた。
うまく燃え移ってくれたおかげで、軽傷で済みそうだ。ぶちぶちっと、焼けたところから縄をちぎって起き上がると、燃えて弱っていそうな面を思いっきり蹴り破る。
「……っ、」
息が保たなくて、軽く煙を吸った。狭い空間では煙のまわりが早い。すぐに炎は燃え広がっていて、今にも服に火がつきそうだった。五回ほど木の壁を蹴り、最後に体当たりすると、身体が宙に浮いて地面にべしゃりと落ちた。
腕は縛られたままだったので、受け身は取れなかった。
「――ひゅうっ。は、は……」
冷たい空気を吸おうとするのに、猿轡が邪魔でうまく吸えない。苦しくて涙が滲んだ。
「んっ!?」
しかし休む間もなく、弓矢が飛んで来るので、地獄である。
すぐ顔の横に突き刺さった矢を見て、カトレアは転がった。
ちゃんと、馬車が燃えたか確認している者がいたのだ。かなりの徹底ぶりである。杜撰な雇われ兵がやることではない。
矢の角度から射ってきた方向を確認すると、カトレアはすぐに立ち上がってその場を逃げ出した。人がいるところに出なければ、殺される。
途中で矢が腕を掠めるし、足は痛いし、地面に落ちた時に打った肩も痛いわ、服も髪も焦げている。
死神と聖女の近くにいると、こんな事に巻き込まれるのかと、カトレアは愚痴りたかった。
日々命を狙われる皇子にだけは生まれなくて良かったと、脳は現実逃避を始める。
息が切れるが、上手く呼吸できないのが辛い。
急に視界が回って、カトレアは自分が転んだことに気がつく。
このまま死ぬのだろうか、と。
聖女付きのメイドがひとり死んだって、まあ、城の者たちからすれば儚き犠牲で終わるのか。
カトレアは、ぼやけていく視界の中で、顔だけ動かして後ろを確認する。
あともう少しずれないと、馬車を壁に出来ない。
(――あー、ダメかも)
そう悟った時だった。
「カトレア!!」
自分を呼ぶ声がして。
彼女は最後の一踏ん張りで、もう一度身体を転がした。
間一髪で、矢がいた場所に刺さる。
本当にもう、散々な日だ。
次は多分、もう避けられない。声がした方を見上げると、遠くから聞こえたはずの声の持ち主が、自分のすぐ側に跪いている。
こちらは呼吸をするのでいっぱいいっぱいで、誰が来たのかまで気にする事ができない。
そう思っていると、うつ伏せになっていた自分の腹に手が回され担がれる。苦しさが増したが、すぐにその場から移動させられると地面に下ろされ、壁にもたれ掛かった。
「カトレア! しっかりしろ!」
そう声をかけられ、猿轡が外される。
「――ハァッ――っ。かっ、はっ、はっ」
自由になった口でひゅうひゅう息を吸うが、どんどん苦しくなる一方で。目に涙が溜まった。過呼吸だと自分で気がついて、ゆっくり息を吐こうとすると、身体が震える。
(くる、しぃ……。おちつけ、おちつけ)
何とかしないといけない。
カトレアは自分を落ち着かせようとするが、上手くいかず。どうしていいのか分からなくなって、パニックになる一歩手前。
目の前の彼に、大きな両手で頬を挟まれた。
下を向きたいから離してくれと首を振ったが、――唇を押し当てられて、息が止まる。
(……???)
一瞬、何をされたのか分からなかった。
苦しさを奪っていくように、口を塞がれる。
少し長いキスをされて、次は「息がしたい」と頭を振ると顔が離れていく。
「――もう大丈夫だから。ゆっくり息、吸って」
顔に添えられた手に、涙を拭われる。
カトレアの滲んだ視界は涙に洗われて、黒髪に青灰色の瞳をした騎士と目があった。
「オレが分かるか?」
カトレアはずっと自分を呼んでいたのが、ゼノイスだとやっと認識する。
「……とーま、きょう……?」
掠れた声で、呆然と名前を呼んだ。
「助けに来るのが遅くなって、すまない」
彼は悲痛な面持ちでそう言って、腕の縄を解く。
カトレアは夢見心地で、ゼノイスの肩に額を置いた。涙が頬を伝い、呼吸はまだ口でしていて風が鳴る。疲労のせいか頭がぼんやりしていた。
赤くなった彼女の腕を見て、ゼノイスは顔を歪ませた。
「薬、飲めるか」
ゼノイスは身体を離すと、カトレアの状態を見て、冷静にポーチから水薬を出す。毒をもらっていた場合、時間が勝負。カトレアはなんとなく頷き、解いてもらった手で水薬を持とうとするが、すでに手が震えていた。痺れもある。
「っ!」
それを見たゼノイスは、すぐに蓋を開けて、カトレアの口にそれを注ぐ。
最初はむせてしまったが、何とか少しずつ飲み込んだ。
「すぐ教会に連れて行く。あと少しだけ我慢してくれ」
ゼノイスは自分の上着をカトレアの肩にかけると、彼女を抱き上げた。
身体から力が抜けていて、カトレアの腕と足はぶらんと揺れる。されるがまま、彼女はゼノイスの身体に頭を寄せた。
帝国騎士のエリート様は流石の身体能力で、ゼノイスは飛ぶように街を駆ける。
道がないところも簡単に飛び越えて、治癒師がいる教会に一直線。
到着すると、カトレアはすぐに中へと通された。
意識はあるが、自分の身体が自分のものではないみたいにだるい。何も言葉を発する気にならず、カトレアはゼノイスに抱えられたまま、彼の太ももに座って治療を受ける。背面から受けた腕の矢傷が、手強い毒をもらったらしく、ずっと彼に支えられたまま治癒師の力を当てられていた。
「あと少し遅かったら危なかったですよ。フグカブラの毒なんて。足も火傷に加えて、何かが引っかかったような切り傷が深くて――」
「…………」
あれやこれやと薬や魔法をかけてもらうと、すうっと治療が身体になじんで、ぼんやりとしていた思考がだんだんと動き出す。
カトレアはゼノイスに任せていた頭を離した。
「カトレア……?」
「…………とーまきょう……」
カトレアは彼を見上げる。
「どうした? どこか痛むか?」
側で自分を見守る彼の名前を呼ぶと、ゼノイスは不安そうな顔で彼女のことを見つめた。
カトレアは毒を抜いてもらったばかりの手で、彼の服を掴む。
「――さいばんは? シエラ様はご無事、ですか?」
思考回路が整理されて、カトレアは大切なことを思い出した。まず最初に言わなければならないことだったと、ゼノイスの服を掴む力が強くなる。
腕の中のカトレアを、ゼノイスはしっかり抱きしめて。
「大丈夫だから。今は自分の心配をしてくれ……」
自分の頬を、カトレアの額に寄せた。
「本当に危なかったんだ」
彼が今にも泣きそうな顔をしているのに気がついて、カトレアは鼻の奥がツンとした。
ゼノイスがこんな声と顔をするくらい、自分は危なかったのかと、それまで必死だった理性が解けていく。
じわりと涙腺が緩んだ。
「ぅ、ごめんなさい、ゼノイスさん。だいじにするって言ったのに、もらった指輪なくしちゃいましたっ……」
ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
怖かったとか、そういう感情は通り越し、巻き込まれてしまったのが悔しくて。
声は震え、涙が止まらない。両手で拭うが、次から次へと流れてくる。
「き、気が付いたら服も違うし、知らないところにいるし、なにもできないしっ。グスッ。殺人犯がどうたらとか聞こえてくるし。助けが来たかと思ったら、馬車に火をつけられて、足も手もしばられてるのに脱出しないといけないし、出たら出たで矢が飛んできて……」
ひとりでは消化しきれない出来事を、恨みつらみで並べていく。
駄々っ子のようにやられた事を報告して、自分が果たして悪かったのかと疑問をぶつける。まるで子どもだった。
「――助かっても、私が誰かを殺した事になっていたら。ゼノイスさんにもう、あ、会えないと」
しゃくり上げて、カトレアはそう告げて。
ぐっと身体に回った手に力がこもる。
「……分かってる。カトレアは何も悪くない。みんな無事だ」
みんな無事。シエラも自分も助かった。
罪を着せられることもなく、ゼノイスの隣にまだいられる――。
頭のどこかでこの事を確かめるまで、意識を飛ばしてはいけないと思っていたのだろう。
カトレアは安堵の溜息を吐くと、そのまま目を閉じてカクンと力尽きた。




