15*気がつけば
(ゼノイス視点)
第二皇子の近衛騎士として、ゼノイスはルシウスが他にパートナーがいようと何だろうと、何も関係なく、パーティに参加することが許される。
エレオノーラ姫の、十五回目の誕生日会。
例年通りルシウスの剣として、自分も正装に身を包み当日を迎えた。
だが、今回はいつもと違うことがある。
時間が迫って来ると、ルシウスはエスコートすべき女性を迎えに行った。いつもひとりで適当に参加していた彼が、初めて同伴者を連れてパーティに出ることになる。
聖女の部屋に辿り着けば、着飾って見違えるような伯爵令嬢がいて、ルシウスは言葉を失っていた。
ゼノイスはずっと近くで見ていたから分かるが、彼が何かに見惚れて足を止める姿など、これが初めての出来事だった。
確かに目を見張る容姿をしていたが、ゼノイスは普段と変わらぬ心情でルシウスを見守って。
ちらりと彼らの奥に見えた、自分の婚約者を捉える。
カトレアは今日もメイドの祝事用の服を着て、綺麗な姿勢で聖女の近くに控えていた。
彼女はこの後どこで仕事をするのか気になったが、何も知らない自分に嫌気が差して。
愛想が良く、仕事も一生懸命するカトレアだ。
ここにいる男からすれば、自分に身分がなくても付き合ってもらえるかもしれない相手で、いつその人柄に気が付かれてもおかしくない。
好きな人が出来たら婚約はなかったことにしていいと言った手前、じわじわと胸に広がる何かがあった。
しかし。
「――いってらっしゃいませ。よい夜を」
主人に向けて見送りの言葉をかけたカトレアに、そう言えば今まで一度も城で開催されるパーティの会場で彼女の姿を見たことがないことに気がついて。
何も後ろ盾のない、ただ雑務をこなすことだけを期待された平民のカトレアは、裏方にしか回されないと知る。
今まで全く気が付かなかったことに驚きながら、扉が閉まる向こうに彼女を見つけて。目が合ったような気がしたが、次の瞬間にはパタンと壁が出来ていた。
会場に着いてからは、ルシウスとシエラの周囲に気を配りながら、本当にカトレアがその場にいないことを確認して。
目に映る女性たちのドレスや装飾を見ては、カトレアに贈るならどんなものがいいだろうか考える自分がいた。
ルシウスに付きっきりの毎日で、稼いだ金は使い道なく貯まっていくばかり。
女性にまともに何かを贈り物をした経験はあの婚約指輪が初めてで、自分が選んだものを喜んでくれた時のことは印象に残っていた。
あの顔を見られるなら、また何か贈りたい。
そう言えば、彼女の誕生日はいつなのだろうか。
次に会った時、必ず聞こうと心に決めて。
カトレアとひとつしか歳が変わらない聖女が嬉しそうにパーティを楽しみ、ルシウスとダンスをする姿を少し離れた場所で見守った。
カトレアの指導が良かったのか、ルシウスのリードが良かったのか。聖女は無事にルシウスとダンスを踊り切って。
いつもマナーを無視して、スルーしていたダンスも悪くないなんて思いながら。本部で採用された騎士なら踊れて当たり前だと言われて、覚えたダンスも無駄ではないのかもしれないと。
当然のように、カトレアがその相手として頭に思い浮かんだ。
それはもちろん、婚約者なのだからパートナーが彼女なのは必然のことだと自分に言い聞かせて、どうしてそんな言い訳じみたことを考える必要があるのかと自問自答し。
一曲踊って帰ろうとしたルシウスたちが、エレオノーラに捕まったのを眺めた。
どうやらまだ、カトレアの元に聖女は戻れないらしい――。
*
会場から戻れたのは、最初のダンスを踊った一時間後だった。
ルシウスは聖女を部屋まで送り届ければ、すぐにそこを離れて自分の執務室に戻る。
「エレオノーラに掴まるとは思わなかった。お陰で面倒なやつも寄って来るし」
案の定、聖女とコンタクトを取りたがる人間を排除することは不可能だったので、まず対処しなければならなそうな教会について対策を練るみたいだ。
ルシウスはだるそうに上着を脱ぎ捨て、机に座る。
ゼノイスはその間、いつも通りルシウスの長机とは別に置かれたローテーブルで書面と向き合う。
側で立っているくらいなら討伐の事務処理を手伝えと、昔からルシウスに回って来る仕事を一部回されていた。
部屋には紙をめくる音がしばらく続いた。
護衛としての役割からは外れていると思うが、彼の言うことも分からなくない。
ルシウスは、この帝国で最恐だと言われている氷の魔法使いだ。
身体も成長して自立できるようになった今の彼より物理的に強い刺客など、この世に存在しているのか。――まあ、いないだろう。
万が一いたとしても、今この城にいる者で彼に敵う者は間違いなくいない。
「ゼノ。明日にでも大聖堂に潜って来い」
「また、急ですね」
沈黙の後、ルシウスが急に口を開いた。
ルシウスにとってゼノイスは、剣というよりかは絶対に裏切らない駒なのだ。
自分が自由に身動きが取れない時、情報を探りに行かせるような。
だからゼノイスは、なるべくルシウスの側にいるが、実は一緒にいない時も多い。第二皇子の顔として、単独で城を巡回した方が牽制になった。
「いつか言われると思ってただろ。出来ないとは言わないしな、お前」
「まあ、そうですね」
ゼノイスは平然と応えて、新しい書類に手を伸ばす。
ルシウスがこうして気楽に話せる相手も、彼くらいだった。
「もう下がっていい。明日の準備でもしろ」
「ありがとうございます」
ゼノイスは作業の手を止めて、机を片付ける。
時計の時間を見て、そろそろカトレアも仕事が終わる頃だなと考えてから、ルシウスの部屋を後にした。
自分の部屋に入ると、真っ直ぐ窓に向かって。
この部屋からは、大勢の使用人たちが泊まる居館まで続く外廊下が見える。
カトレアも毎晩ここを通っているので、今日もそろそろ時間だろうと思った。
すると彼の目に入ったのは、こちらを見上げるカトレアの姿――と。それを柱の裏から眺めている男。
この時間にひとりであんな場所に貴族の男がいるのはおかしい。思わず身を乗り出して、男が何者か目を凝らした。
その間にも男は動き出し、彼女に言葉をかけて。
カトレアが来た道を戻って男と共に行動することが分かると、ゼノイスは部屋を飛び出した。
頭の中で、あの顔は誰か思い出すと、騎士をひとり掴まえる。
あれは確か、南東の小国から来た使者だ。
何のためにカトレアに近づいたのか分からないが、印象は全く良くない。
客人は本館の一部に集めているはずなので、カトレアもそちらに向かうだろう。
道のりを予測し、早足で彼女の元を目指した。
そして見つけたのは、
「やっぱり綺麗な瞳だね。道を聞けそうな人がいない中、こんな満月の夜に出会ったなんて。まるで月の妖精みたいだ。よかったら、お名前を聞いても?」
貴族らしい飾った言葉をすらすら告げて、カトレアの腕を掴むその男で。
お前に教える名はないと間に割って入り、忠告で釘を刺せば、その男は最後の最後にカトレアの手の甲に自分の口を押し付けて。
それを見た瞬間、戦場で敵を前にして血が沸くような、あの感覚をより更に煮詰めたものが一気に自分を支配した。
二度とこちらを振り返るなと、ゼノイスは騎士に連れて行かせた男に殺気を放つ。
控えめに言って、魔物にでも食われて死んで欲しかった。
姿が見えなくなったのを確認すると、すぐにカトレアの手を拭く。
本当は今すぐ庭園の水で洗い流して欲しいが、冷たい水に彼女の手をつけるのは理性が止めた。
ここ数日で一番気分が悪く、ゼノイスは拭いた後の手袋も外す。
聖女がちゃんとベッドで横になるところを見てから仕事が終わるのは知っているが、やはりこんな時間に女性がひとりで歩くのは危なかった。
警備がされている城だから安全だということはないのだ。
彼女はまだ若く、そして立場も弱いメイドなのだから。
苛立ちに任せて、カトレアに自分が危ないことをした自覚があるのか問えば、彼女は怯えた顔つきで分かっていたが……と応えて。
全て分かった上で、それでも不審な人物をそのままにしておく事はできなかったと言う彼女を、騎士であるゼノイスは理解できてしまった。
絞り出したのは、他人に頼った妥協案。
毎晩迎えに行くとは約束できない自分が悔しかった。
それでもきっと、カトレアはこちらにそんな文句は言わない。気にしてすらいないかもしれない。
こっちは他の男に挨拶のキスをされたのを見ただけで、これだけ矮小な感情を抱いているのに。
少し強い物言いをしてしまったせいで、眉を下げたカトレアに、心配したんだと言えば。彼女はわかったと言って何度も頷いて。まるでこちらの暗い感情を払うかのように感謝を述べた。
「それと、その……。今日の正装、とてもお似合いです。こんな事を今言うのは不謹慎かもしれませんが、会えて嬉しかったです……」
そして、不意打ちにそんな事まで付け足すから。
――本当に。ずるいだろ、それは。
ゼノイスは制御が効かない己の感情を、手で隠すしかない。
会えて嬉しい? 自分に?
婚約者らしいことを、何もできていないのに。指輪を渡しただけで婚約者でいてくれと言っているような関係なのに。
いつもそうだ。
彼女はこちらを疑わない。
もうずっと前から、カトレアは一度もゼノイスを嫌がることも、貶し蔑むことも、媚びを売ることもしなかった。
普通、突然それまで関わりがなかった男から婚約してくれと言われて、その場で返事なんてできないだろう。
それなのに、尊敬だとか憧れだとか、そういう誠実な言葉を並べて。自分を信頼してくれているかのような反応をする。
まるで、彼女が見てきたゼノイスはそういう人間なのだと、遠回しに証明するみたいに。
今日もちゃっかり自分だけこちらを喜ばせるようなことを言って、言い逃げするつもりらしい。
ひとりで夜道を歩かないで欲しいと言ったばかりなのに。
色んな感情が入り混じった。
カトレアのことになると、自分でも知らない自分の感情に暴れられるから困る。
そしてそれを上手く表現できないなんてことも、子ども過ぎて思考を放棄したくなった。
しかしそれでも、せめてちゃんと伝えたいことは、簡潔にでも言わなければと。
今日のパーティで思ったことを、そのまま紡いで。
――いつか、ふたりで踊ろう。
仕事中、頭の端に追いやられた本心が、こぼれ落ちた。




