14・月と騎士
ほんの微かに音楽が聴こえてくる中。
カトレアは暖かい部屋で仲間たちと時間を潰していた。
今日の食事は豪華で、臭みのない柔らかい肉が盛られたプレートや、ぎっしり詰まったキッシュに、一口サイズの色んな種類のデザートまで。
「遅かれ早かれ、あのふたりは結婚すると思うわ」
「え、キャシーもそう思う!?」
「ええ。陛下が第二皇子に婚約者をつけなかったのは、聖女という存在があのお方に必要なことを分かっていらっしゃったからよ」
「きゃ〜! まさに運命の恋よね!? 私、あのおふたりの事、小説にでもしようかしら!!」
「声が大きいわ、ミレーユ。見つかったらどうなるか分かったものじゃないから、やめておきなさいよ……」
「タイトルは、『氷の皇子は聖火の乙女に解かされる』なんてどう!?」
「…………楽しそうで、何よりよ……」
メイドたちの楽しい話に耳を傾けていれば、時間はあっという間に過ぎていく。
祝い事があると、こうやって貴族に出されるものと同じものを食べることができるから、カトレアはたとえ自分の仕事とは関係なくても嬉しかった。
ただ――。今回は何となく、自分が祝いの席に出られないことが、気になって。
彼女はそっと、服の下に仕舞い込んだ指輪に手を当てる。
(かっこよかったな。……何も言えなかったけど)
ゼノイスの婚約者として居られるのは、きっと今のうちになのに。気の利いたひと言も言えないのが、少し寂しく思った。
「――あ。そろそろ一曲目が終わりそう」
「もうそんな時間? 聖女様は一曲だけ踊って戻ってくるのかしら……」
「カトレアはどう思う?」
自分に注目が集まって、カトレアは胸元から手を離すと話に混ざる。
「どうですかね。シエラ様は初めてのパーティだから、楽しければもう少し経ってから戻ってくるかもしれないです。……でも、第二皇子殿下が一緒なら早く帰って来そうな気はします」
肩をすくめると、皆同じことを思ったのだろう。そろそろ仕事の時間だろうから、最後に何か頬張っておこうと、スイーツに手を伸ばす。
カトレアも苦笑して、まだ温かいミルクティーに口をつけた。
「――ところで。カトレアは影の騎士と、どうなの?」
恋愛の話が大好きなミレーユに捕まった。
毎日変わり映えのない仕事をしているから、噂話が楽しいのは分かるが、痛いところを突いてくる。
カトレアは急に照準を合わされて、ぎくりとした。
「私たち以外、カトレアが本当に影の騎士と婚約してること、多分みんな信じてないよ?」
「それでいいんですよ……。恋愛にうつつ抜かしてるなんて言われる方が困ります」
「それは確かにそうかも。でも、私なら耐えられないよ〜! 全然会えてないじゃない! 毎日おしゃべりして、毎日好きって言われたい〜! カトレアはクールすぎるよ!」
ミレーユに悶えられて、カトレアは「ハハハ……」と乾いた笑いをこぼす。
(……はやく、シエラ様戻って来ないかな……)
どうやら彼女は婚約関係と恋愛をセットに見ているみたいだが、こちらはそういう仲ではなかった。言われたことを自分たちに当てはめようとしたら、顔が引き攣る。あり得ない。
「……トーマ卿はそんなタイプじゃないですよ。私が一方的に憧れてるだけで……」
「そう? わたし、彼があなたのことを見守ってるの、何度か見たことあるけど?」
「――――へ?」
キャシーに身に覚えのない話をされて、カトレアの表情が崩れた。
一体何のことだ?
彼女はぽかんと、キャシーを見つめる。
「気が付いてなかったの? 婚約する前から、影の騎士、あなたのことを目で追ってたし。この前も仕事終わりに外廊下を歩いてるところ、窓から見守ってたわ」
「――ま、待ってください。な、なんですか、その話……??」
仕事場では落ち着いていることがほとんどなのに、カトレアは珍しく取り乱した。
ミレーユが横で目を細めて口元に手を当てているのが、ちょっとうざったい。
「ぜったい、キャシーの気のせいですよ、それ……。あったとしても、私が婚約者として相応しいか、見定めてた、とか……」
「まあ、それは何とも言えないわね。ただわたしは見たことをそのまま言ってるだけよ」
しどろもどろになってカトレアが絞り出した言葉を、キャシーは簡単にそう言い切って来る。
によによ笑ってこちらの顔色を伺っているミレーユに、カトレアは居心地が悪い。
確かに昔から、彼を見つける度に青灰色の目が合って、挨拶をしていたが。まさか――。
カトレアはぶんぶんと首を横に振る。
気配に鋭い騎士様だから、こちらの視線にも気が付いていただけだろう。キャシーが見たゼノイスも、ただ単に知り合いが歩いていたのを見ただけ。偶然だ。
どんな事情があろうと、彼とは婚約しているだけで、結婚は約束していない。それだけの関係なのだから。――……多分。
◆
シエラが宴から戻って来たのは、カトレアたちが予想していた時間よりも遅い時間だった。
姿変わりなく美しいまま、行きと同じようにルシウスと一緒に。ルシウスはどこか不満そうだったが、彼女は明るい表情で帰って来た。
なんでも、エレオノーラ本人に捕まってしまったらしい。本日の主役に引き止められてしまえば、それはなかなか戻って来られないはずだ。
せっかく着飾ったのに、半日で外してしまうのは惜しいと思ってしまうが、シエラが部屋に入ると着替えが始まる。
「パーティは楽しかったですか?」
「……ええ、すごく……!」
「それはよかったです」
服を着替えて、ドレッサーの前に座らされて髪留めを外すシエラに問えば、弾んだ声が返って来た。
ルシウスの予定にはないことも起こったみたいだが、シエラがそう言うのだから良かったのだろう。彼女にとって、いい思い出になってくれたようだ。
「でも、たくさんの人に見られてて、少し疲れてちゃった……。慣れないことが多かったから」
シエラは金の髪を揺らして、眉根を寄せる。
きっと初めて表舞台に顔を出した聖女に、みんな興味深々だったのだ。簡単に予想がつく。
「今度、教会に行かないといけないかもしれない……」
彼女は困ったように小さく呟いた。
カトレアからすれば、それも予想の範囲内だ。
聖火を操り、あらゆる邪気を払う魔女はこの世の救い。神聖なモノや事象を奇跡と崇め奉る教会に、目をつけられないことのほうが無茶な話。
普通なら、聖女の居場所は王城ではなく、教会だろう。かつて聖女が見つけられた時は、そうだった。彼女たちの石像が教会には立っている。
ただ、聖女が教会で生活して、それがいい歴史を導いたかと言えば、残念ながら否。
帝国を維持するために必要な皇族に引き継がれる絶対的な力の代償を、唯一救える聖女。彼女たちはどちらも協力して統一された帝国を護るべきだったのに、全面的に敵対した。教会が聖女を囲い、皇族を制御しようとしたのだ。
結果、皇族は身を滅ぼしながら教会を制圧したが、多くの血が流れた。内紛をしている間に、魔物たちの大きな反乱があって被害が多数。治安も悪くなって、独立しようとする支国も出た。争いごとは増え、それを皇帝は自分の身体を凍らせながらねじ伏せる。
力の使い用に与えた神が怒ったのか、ついには「大いなる冬」と呼ばれる大寒波が押し寄せ、長い長い冬が大陸を覆い。とにかく散々だった。
そんなこんなで、教会との関係が綻びとなって色々起こったことがあるので、ここは慎重になるべきなのだ。
何せ、シエラはその混沌と冬の時代の後、初めて生存を確認された聖女なのだから。
「……何事も、シエラ様の御心のままを伝えるのが一番だと思いますよ。皆さま、ちゃんと応えてくださるはずですから」
カトレアはあまり乗り気でないらしいシエラに言った。無難な答えだと思うが、そこそこ真理を突いているだろう。シエラが――というより「聖女」が言うことは、分別のある者なら誰もが尊重するはずだから。
「そう、かしら……」
「はい」
カトレアは頷く。
シエラはまだ作法の勉強をしていて、ルシウスの秘書官にはなっていない。聖女としてここにいる。
そしてカトレアは、彼女が秘書になる必要はないと思っていた。そもそも、聖女を秘書にするという発想に驚きだった。平民の頭では全く思いつかない。
ルシウスは合理的に優秀な彼女を側に置いておきたいみたいだし、一瞬でルシウスを治すためだけに城に住むのが気掛かりなシエラも、何かしら仕事をしたいようで。
第二皇子の仕事は、軍事に関わることが多い。基本的に現場で自分が動き、その処理についてがほとんど。今まで秘書がいらなかったのだから、必要ないのではないかと頭をよぎったが、それは言わぬが何とやらだ。
「シエラ様。第二皇子殿下と、ダンスはいかがでしたか?」
カトレアは話題を変えた。
ダンスを教えたのが彼女なので、シエラもパッと表情を明るくしてカトレアを見る。
「ちゃんと踊れたわ! カトレアがたくさん練習に付き合ってくれたお陰よ。ありがとう」
「お役に立てたようで何よりです」
シエラは満面の笑みに、カトレアもホッとして胸を撫で下ろす。
相手がルシウスなので緊張してしまうのではないかと思ったが、ちゃんと楽しんで踊ることができたみたいだ。
「ダンスの会場は、本当にすごかったの。あれだけ人がいる中で、ぶつからないように踊れるのか心配だったけれど、ルシウス様のリードが上手で――」
それで楽しい記憶が蘇って来たのか、シエラは嬉しそうに今日あったことをカトレアに話し出す。
自分がいない間にどんなことが起こったのか、興味深く話を聞いていると、もう眠る時間で。
まだ今日という日が終わってほしくなさそうなシエラを微笑みながらベッドに誘導すると、カトレアはその日の仕事を終えた。
「明るいと思ってたけど、今日は満月だったんだ。気がつかなかったな……」
いつものように夜光石の灯りを持って外廊下を歩きながら、カトレアは空を見上げる。
時の流れを知らせる月の満ち欠けは、割と気にして見ていたのに。
どうやら、自分も新しい主人のもとで専属メイドとして働くようになってから、月を測る余裕もなくなっていたらしい。実家にいた時は毎日のように確認していたのに、随分と自分も変わったものだ。
そして、ふと。
彼女は同僚のメイドに言われたことを思い出す。
ぴたりと足を止めて、後にした東の宮と呼ばれる一棟を振り返った。
そんなはずはないだろうと、否定する自分に賛同しながらも、なんとなく気になって。
皇子とその騎士が住う建物を、目で登る。
窓はたくさんあるし、こちらからでは中まで見えない。
(……やっぱり、いないよね)
そう思って、カトレアは前を向き直す。
「――もし? そこのメイドさん――」
すると、初めて耳にする声が聞こえて。
彼女はギョッとして、再び後ろを見た。
建物を見ていて気がつかなかったが、すぐ近くに貴族らしき身なりの男がいた。
こんなところで使用人以外の人間に声をかけられたことに驚いて、心臓が跳ねる。不意打ちだった。
「驚かせてすまない!」
「――いえ。いかがなさいましたか……?」
今日城には、エレオノーラ姫の誕生日を祝うために招かれた一部の貴族や使者が泊まっている。
帝都から遠く離れた支国からやって来た者たちは、ここで一泊もてなしを受けるのだ。彼もきっとそのひとりだろう。
「夜分にごめんね。満月が映る美しい水の庭園を見ようと外に出たら、迷ってしまって。周りに声をかけれそうな人もいなくて困っていたんだ。案内をお願いしてもいいかな?」
「……かしこまりました。本館までご案内いたします」
「ありがとう」
それが本当のことかは分からないが、客人は客人がいるべき場所に戻っていただかねば困る。皇族の住まいでひとりでふらつくなど、不審者として扱われたいのだろうか。
とりあえず、本館で夜の番をしているメイドまで繋げればいいだろう。部屋に戻るまで、今日はもうしばらくかかりそうだ。
「この城は見かけによらず、入り組んだ作りだね。まるで迷宮みたいだ」
「……はい。建物から出ると迷いやすいので、お気をつけくださいませ」
ランプで先を照らし、カトレアは前を歩く。
適当に話しかけて来る男の話に応えて、人気の少ない廊下を進んだ。
「――ところで、君」
ずい、と。自分のすぐ近くまで出て来た男に、カトレアは嫌な予感がする。それを顔には出さないで、彼女は距離を取ろうと一歩踏み出した――が。
「やっぱり綺麗な瞳だね。道を聞けそうな人がいない中、こんな満月の夜に出会ったなんて。まるで月の妖精みたいだ。よかったら、お名前を聞いても?」
腕を掴まれて、今度こそカトレアは不審な顔で男を見上げた。
こんなメイドにそんな言葉を使ってくるとは、正気か。口説いているつもりなのかは知らないが、かなり女性の相手に慣れている様子である。自分の容姿がいいことを分かってやっているみたいだ。
「ああ、ごめん。ぼくの名前を言ってなかったね。ぼくは――」
「キュロス・オクターナ卿。こんな所までひとりで出歩かれるのは、あまり感心できませんね」
これを聞いたら自分も応えなくてはならない。
カトレアはこちらは無害ですよと言わんばかりに距離を詰めて来る男を観察しながら、面倒なことになりそうだと、どこか他人事のように突っ立ていた。
自分が聖女の側用人だと分かって話しかけて来たのか、と考えを巡らせていると男の言葉が遮られて。
正装姿のゼノイスが、冷たい眼差しで男を見据えていた。
「……それは申し訳ない。庭を歩いていたら迷ってしまって、彼女に助けてもらっていたんだ」
「騎士が案内しますから、誤解を招きたくなければお戻りください」
淡々と告げるゼノイスの後ろから、腰に剣を携えた騎士がひとり歩いて来る。キュロスは肩をすくめてカトレアを見た。
「どうやらここまでみたいだね。案内をありがとう、金の瞳のメイドさん。また会えたら、その時は名前を聞かせてね」
彼はそう言うと、カトレアの手にキスを落とす。男性貴族の嗜みだが、平民メイドにやられると結構驚くものだ。
「また道に迷われないことを祈ります。おやすみなさいませ」
カトレアは「もう会わないだろ」と言葉に込めて、後から来た騎士に連れていかれる男を見送った。
曲がり角まで行って、その姿が見えなくなると、カトレアと同じようにそちらを見ていたゼノイスが振り返る。
カトレアの前まで歩いて来ると、ランプを持った手とは反対側の彼女の手を取った。
有無を言わさぬ表情で、ゼノイスは無言のままカトレアの手を、手袋をしたその手の付け根でごしごし拭く。
「あ、あの……?」
「他に、何もされてないか」
戸惑っていると、彼はそう口を開いて。
カトレアは別に何もされていないよな、と困惑しながら「はい」と頷いた。
「その? トーマ卿はどうしてここに……?」
自分のことよりも、どうしてゼノイスが騎士を連れてここに来れたのかがカトレアには疑問で。
広く入り組んだ建物の中、どうして彼はオクターナがここにいることが分かったのか。不思議で仕方なかった。
思ったことをポンと口から出せば、ゼノイスは視線を逸らして手袋を外す。
「……窓から、あんたが男に話しかけられてる所が見えたから。こんな時間にひとりで出歩いてる外部の人間は危険人物かもしれないって、分かってるのか」
じっと、研ぎ澄まされたアイスグレーに瞳に射抜かれて、カトレアはぴくりと肩を震わせる。
初めてゼノイスに怒られて、急に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「……すみません。分かってはいたんですが、だからこそ放っておくこともできなくて……」
カトレアがシュンとして俯くと、ゼノイスはくしゃりと自分の髪に触れる。
「なるべく、これからは他のメイドと一緒に戻って欲しい。…………心配、した」
途切れながら放たれた最後のひと言。
ゼノイスは名状し難い、どこか悔しそうな表情を浮かべていて。弱気な声色に、なんだか胸が締め付けられた。
「……わ、わかりました!」
こくこくこく、とカトレアは小刻みに首をたくさん振る。そんな顔をされるとは思っていなかった。
「あの、気に掛けてくださり、ありがとうございます。少し困っていたので助かりました!」
自分を見かけてここまで来てくれたのだから、礼はちゃんと言わなくてはいけない。
カトレアは暗い面持ちの騎士に、努めて明るく礼を言う。
「それと、その……。今日の正装、とてもお似合いです。こんな事を今言うのは不謹慎かもしれませんが、会えて嬉しかったです……」
何とか雰囲気を変えたくて、言えなかったことを伝えて。
「おやすみなさい。よい夢を」
照れ隠しにその場を誤魔化すようにして、カトレアが夜の別れを告げれば。
ゼノイスは軽く握った拳で自分の顔を隠して視線を逸らす。
(……え?)
その変化に、カトレアは唖然とした。
彼女が手に持っている夜光石のランプは、彼の赤く染まった顔を照らしている。
瞬きひとつせずにそれに見入っていると、ムッとしたゼノイスに睨まれて。
いやいや、この空気は自分のせいなのか、とたじろぐと。
「居館まで送るから」
彼はいつもとは違って、投げつけるように言葉をこぼし。
おもむろにカトレアの手をさらって行く。
「へ……」
気がつけば先ほど手袋を外していたゼノイスの手が、自分の手を掴んでいて。
彼はこちらを振り返らずに居館に向かって歩き出すから、カトレアも慌てて隣を歩いた。
手を繋いでいるという事実に目を白黒させながらも、彼女はいつもは剣を握っている騎士の硬い手を恐る恐る握り返す。
すると、ぴくりとゼノイスの手も動いた気がしたので、ひよって力を抜くと。
「今日のパーティ。気が付いたら、あんたと一緒だったらって考えてた」
存在を確かめるように、ぎゅっと力を込められて握り直される。
まさかの反応に、心の中で悶える間もなく。
「いつか、ふたりで踊ろう」
それまで前だけを見据えていた青灰色の瞳が自分を映して。
「……よ、よろこん、で……」
今度はカトレアが赤面する番だった。




