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12・メイドの努め



「私の越権行為が招いたことです。申し訳ございません」


 深く、深く頭を下げて。

 カトレアはベッドに眠るシエラを見守るルシウスに謝罪を口にした。

 医者は心労が祟ったようだから、しばらくすれば目を覚ますだろうと言った。

 生意気なことをして、家族から虐待を受けていただろうシエラの心の傷をえぐるという愚かなことをしてしまった。ルシウスの大切な人をこんな目に合わせてしまって、氷漬けにされるくらいで許されるだろうか。

 ルシウスは七年前、東の宮で好き勝手していた使用人たちに証拠を突きつけ、全員容赦なく氷で貫いている。


「事情は分かっている。お前は専属メイドとして主人を守るという義務を果たしただけだ。頭を上げろ」


 しかし、死神と名高い第二皇子から告げられたのは、死の宣告ではなかった。

 カトレアは言われた通り、恐る恐る頭を上げる。


「俺がいない間も、気を回して上手くやっていたことは聞いてる。ちゃんとシエラに仕えているから、彼女も今回のことに心を痛めたんだろう。お前にいなくなられるとシエラが悲しむ。それを忘れるな」

「……はい。肝に銘じます」

「今後もシエラを守るためなら、手段は問うな。後処理は俺がする」

「かしこまりました」


 意志の固いルシウスと視線が交わり、カトレアは今度は強く応えて再び頭を下げた。

 第二皇子と直接こんな言葉を交わすことになるなんて、想像もしていなかった。血も涙もない人だという印象が強すぎたし、この数週間、シエラから歩み寄ろうとしても、突き放すようなことを言って明らかに距離を置いていた。

 しかし、今回のことで彼はちゃんとシエラを大切にしていることをカトレアは知った。こんなメイドひとりくらい、簡単に首を刎ねることができるのに。そうしなかったのだから。

 シエラが目を覚ましたら、彼女に礼を言わなければならないだろう。死神の第二皇子が丸くなったのは、きっと聖女が見えない傷を癒やしているからだ。


「……ゼノイスが選ぶだけのことはあるな。最初にシエラを迎えた専属メイドがお前でよかった。誰に指名された?」

「恐縮です……。任命はメイド長からでしたが、それ以上のことは分かりません。お年が近いのと、長期休暇の後だったので配属になったのかと」

「なるほどな。運が良かった」


 ルシウスはそう言うと、視線をシエラに戻す。


「今日はもう下がっていい」

「はい。失礼いたします」


 シエラとルシウスを残し、カトレアはそっと部屋を出た。どうやらルシウスはあのままシエラの部屋で仕事をするらしい。彼には彼で執事とメイドがついているので、後のことは何とかなるだろう。

 扉が閉まったのを確認すると、彼女は大きな溜息をこぼす。


「長い溜息だな」

「緊張したんだろ? お疲れさま。今日は活躍だったね」

「……滅相もない。出しゃばりました。次からはシエラ様を驚かせない方法で上手くやります」


 外に出ると聖女の護衛騎士ふたりがすぐに話しかけてくれて、カトレアはふるふると頭を横に振った。ルシウスは本来、平民の自分が口を聞けるような相手ではないはずなのだ。身分が違いすぎて少し話をしただけでも、生きた心地がしない。


「何だか物騒だな。よくやっただろ?」

「ああなると、僕たちも手を出し辛いから助かったよ。お嬢さんより僕たちのほうが反省するべきだから、あまり気負わなくていい」

「……ありがとうございます」


 護衛の前で言うようなことではなかったみたいだ。カトレアは苦笑して、励ましの言葉に礼を言う。


「これから、どうするんだい? 僕たちはいつも通りここにいるけど」


 時刻は午前十時半。まだまだ外は明るい。

 シエラがいつ目を覚ますか分からないから近くにいるべきだが、ルシウスに下がれと言われれば、それまでだ。


「とりあえずダンスルームに戻って片付けを。その後は控室に居ようかと」

「分かった」


 カトレアはそう言うと、部屋から離れた。

 シエラが起きれば、東の宮の使用人室に繋がっている呼び鈴を鳴らしてくれるだろう。内職をしながら待機しているメイドが反応できる。

 掃除用具を持つと、ダンスを練習していた部屋に入った。

 置きっぱなしだった飲み物や薬をまとめて椅子も元の場所に戻すと、最初にゼノイスたちが入ってきた窓枠を拭く。あまり汚れていなかったが、足をかけた場所なので念入りに擦っておいた。それが終わるとモップを持って、ツルツルの床を磨く。

 音楽のない静かな部屋で、カトレアは黙々と広々とした開放感のある部屋を往復していた。

 窓側から出入り口の方に向かって、拭いた後を汚さないように移動して三分の二を過ぎた頃。

 

「ランベル」


 開けたままにしておいた扉から、名前を呼ばれて彼女は顔を上げる。


「トーマ卿……」


 ここにいるということは、彼もきっとシエラとルシウスの空間から追い出されてしまったのだろう。

 チェーンに通してネックレスとして持ち歩いている婚約指輪を貰って以来、予想通り、ふたりの休みが重なることはほぼなかった。出かける事はおろか、お茶も食事もしたことがないし、この距離間なのでリサのように手紙のやり取りをすることもない。

 仕事終わりはどちらも空いた時間があるが、この気温なのと、逢引きしていると噂を大きくされるのは都合がよくないと考えたので、遠慮していた。

 とどのつまり、指輪を持っていることくらいしか変化はなく。仕事仲間としての関係性しか築けていなかった。

 ゼノイスはルシウスに絶対の忠誠を誓った専属の騎士だ。彼の部屋もルシウスと同じ階に設けられ、何よりも主人を優先する。

 なかなかふたりで会えないのは、当然のことだった。


「それが終わったら一緒に昼、食べないか」

「すぐに終わらせます!」


 だから食事の誘いに、カトレアは勢いよく頭を振った。

 小走りでモップを滑らせ、滑らかなターンを決めて、残りの三分の一を終わらせる。テキパキと掃除用具をまとめた。あとは階段下の倉庫にこれを仕舞い、グラスを下げればいい。


「片付けるんだろ。オレも行く」

「え。でも……」

「往復する手間が省けるから」

「ありがとうございます」


 待っていたゼノイスはモップを持ってくれた。

 掃除の道具を持たせるのは気が引けたのだが、彼の言う通りなのでカトレアは素直にお願いする。

 彼女は空いたグラスと水差しが載ったトレーを持ち、一緒にホールを出た。


「……さっき、どうして男性パートを踊れたんだ?」


 歩き始めると、ゼノイスが不思議そうに尋ねる。


「や、やっぱり見てたんですか? 拙いものをお見せしてしまい恥ずかしいです……」


 あまり褒められるようなものでもないので、カトレアは恥ずかしかった。見られたくなかった、とその声色が語っていたので、ゼノイスはきょとんとする。


「なんで? かなり上手かったけど? 男性パートであれだけリードできるなら、女性側も上手そうだな。どこかで踊ったことがあるのか?」

「……いえ。貴族出身のメイドたちの練習に付き合った時に覚えただけなので。私が社交界で踊る事はないですよ」


 カトレアは苦笑する。

 遊びで覚えたようなものだ。実家に戻って久しぶりに社交パーティに出ることになったから、ダンスの練習に付き合ってくれと言われない限り、踊る事はない。

 ゼノイスは「そうか」と短く呟いた。









「あまりゆっくりはしていられませんよね。昼食、急いでもらってきます」


 先にゼノイスが道具を片付けて、次に給湯室で洗い物を終えたら。カトレアは側でじっとこちらを見つめる彼に言った。

 従者たちは仕事の時間がバラバラなので、空いた時間に作り置きを食べるのが普通だった。カトレアも隙を見ては、給湯室や使用人たちの控室に顔を出して何かを口に入れる。

 姫付きのメイドをしているリサも、専属で主人に仕えることになると、なるべく側にいなくてはならないから何事もタイミングが大切だと言っていた。

 ゆっくり食べていられるかは主人次第。

 簡単に片付けができるので、昼食はホットサンドやサンドウィッチが定番だ。

 お茶は給湯室でも淹れられるとして、食事は厨房まで取りに行かねば。

 

「もう、もらってある。この棟の一階はあまり使われてないし、隣の控室でいいか?」


 作業を終えたのを見て、ゼノイスはカトレアの隣に立つと頭上の物置きに手を伸ばした。引き戸を開けて包みを取り出すと、視線を彼女に落とす。

 間近にアイスグレーの瞳があって、カトレアは無言で首肯した。シンプルに距離が近い。


「か、果実水が余ってるので、準備しますね」


 彼のことになると、いちいち反応してしまう自分が最早悔しかった。

 カトレアは心中悶えながら飲み物を準備して、給湯室とセットになっている使用人の控室に移動する。

 小さな机を前に、ゼノイスの斜め隣に座った。


「いただきます」


 彼が果実水に口をつけたのを見てから、カトレアは持って来てもらったサンドウィッチをかじった。


「うん。おいしい!」


 毎日パンに何かを挟んだメニューが出るが、毎回中身が豪華で飽きさせないし、味は言わずもがな。

 カトレアが食べる姿を見て、ゼノイスも皿に載せられたパンを掴んだ。男らしいひと口で、自分と同じものを食べているのに小さく見える。


「何か付いてるか……?」


 気持ちのよい食べっぷりだな、と考えていたら手が止まっていた。

 勘違いしたゼノイスの、片手で口元を拭う仕草が目に毒すぎる。

 カトレアは我に返ると、小さく手を振った。

 

「あ、いえ。さっきはケリー夫人のことを止めてくださり、ありがとうございました!」


 それらしい話題に変えて、彼女は苦笑する。

 すると、ゼノイスはその時のことを思い出したのか、顔をしかめて。

 

「間に合ってよかった。あんな女の言うことなんて、気にしなくていいから。殿下も別に怒ってない。……あの腕、折っとくべきだったな」

「お、折る? 騎士様のお力を振るうまでもないですよ。助けていただいたお陰で、何もされませんでしたし。大丈夫です、あれくらい」


 機嫌の悪い客人の世話をして八つ当たりされる時や、身分のあるメイドからお姫様気取りで雑用を押し付けられることに慣れてしまったので、あれくらい可愛いものだ。そんなことを毎回気にしていては、身が保たない。

 物騒な言葉が聞こえてびっくりしたが、カトレアはジョークだろうと思ってさらりと流した。


「平民のメイドがどんなことを言われるかなんて、ここに入る前から分かっていることですから」


 淡々と告げて、食事を続ける。

 給与がいい分、それなりの面倒もある仕事だということだ。五年働き続けている彼女にとっては許容範囲である。

 全く気にしている様子がないカトレアを、今度はゼノイスが見つめた。


「……何か?」


 ごっくん、と食べていたものを飲み込むと、彼女は首を傾げる。


「いや。オレもそう思ってたから。身に覚えがある話だと思って」


 ゼノイスの気さくな笑顔に、意識を持っていかれそうになるが、カトレアは耐えた。

 本気で惚れ込んだら、ストーカーになる自信しかない――。

 なけなしの理性を持って、カトレアは沼の深淵から帰還すると己のハートを取り戻す。


「――トーマ卿も昔は爵位持ちではなかったですもんね。本当に尊敬してます。私には絶対できないことなので」


 そう言って、果実水を仰いだ。胃からでも頭を冷やさねば、やっていられない。


「……あんたは初めて話した時から、オレのことを『トーマ卿』って呼ぶよな」

「――?」


 流れが変わって、カトレアは話の続きを待つ。

 騎士という時点で自分より身分が上の彼に、敬称を付けて呼ぶのは当たり前のことだ。


「五年前だから覚えてないか……。あの頃はまだ入団したばかりで、ただの人殺しだなんて言われてたのに、初めてそう呼ばれたから驚いたんだ」

「もしかして、騎士団本部の食堂で一緒にお昼ご飯を食べた時のことですか?」


 あの時のことはよく覚えている。

 ゼノイスと初めてちゃんと話したのだから、忘れる訳がない。

 騎士たちの食事の時間が終わって、仕事を終えた人から食堂で賄いを食べてたら、彼が来て。

 慌てて廊下に出て行ったゼノイスに声をかけた。

 ここぞとばかりに自己紹介をした記憶がはっきりある。


「懐かしいですね」


 あの時はゼノイスが去った後、あいつはやめておけと他の使用人に言われたものだ。

 危ない男に刺激を感じるのは、若さ故。傷つきたくないなら、側で見てるだけにしろ。とまで言われた。

 本城とはまた毛色が違って楽しい職場だったな、と思いながら懐かしさに目を細める。


「――覚えてたのか?」


 すると、青灰色の瞳を大きく見開いたゼノイスが、身体ごとこちらを向いて。


「騎士様と一緒の席で食事をしたのは、あれが初めてですから。覚えていますよ」


 カトレアはこくんと頷いた。

 ゼノイスが自分の過去を今も気にして、令嬢との婚約を避けて来た話を思い出して、彼女は言葉を続ける。


「トーマ卿。絶対、昔の噂なんか気にすることないですよ! トーマ卿のことを理解してくださる素敵な方は、きっといらっしゃいます」


 平民のカトレアと結婚すれば、ゼノイスの子どもは爵位が持てない。

 名誉貴族にまで成り上がった彼のことを支えてくれる令嬢と結婚して、裕福な暮らしをした方が、相対的に幸せな人生を過ごせるだろう。

 ここにひとり、ときめかされている娘がいるのだから、ゼノイスが魅力的なことは間違いない。



「少なくとも私はあの頃から、同じ平民なのに自分の才能を驕ることなく、騎士として努力していて強い人だなぁと憧れてました! 昔からかっこよかったので、大丈夫です!」



 だから自信を持つべきだ、と。

 カトレアははにかんだような笑みを浮かべた。

 ――そこで話の切れ目を狙ったように、コンコンコンと壁を叩く音がして。


「カトレア、食事中にごめん――」

「ミレーユ。どうしたんですか?」

「……ちょっと、ドレスのことで……」

「分かりました。少し席を外しますね」


 カトレアは同じく聖女の身の回りの世話をしているメイドに呼ばれ、ゼノイスに軽く会釈して外に出た。


 だから、彼女は知らない。




「――――っ、……は??」




 その後、ひとり取り残されたゼノイスが困惑した様子で、熱が集まった顔を手で抑えていたことを。





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