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11・ダンス



 シエラが城に来てから早くも一ヶ月が経過した。

 使用人のような振る舞いをみせていた彼女は、貴族の令嬢として必要な所作を学ぶこともしている。独学の知識は本当に自分の力だけで勉強したのか疑うほど十分なものだったが、令嬢としての教育を放棄されていたようで、礼儀作法を練習する時間が多く取られるようになった。


「1、2、3 ――。1、2、3――! はい。そこまで」


 そしてシエラは今、毎日のようにダンスの練習をしている。

 高いヒールを履いて、優雅にステップを踏むことは慣れないと難しい。まだふらつくところがあるが、少しずつ上達している。

 社交界のダンスは女性にこんな不利な履き物を履かせて踊らせるのだから、それは男性がリードするべきだろう。――そう考えていると小休憩になって、カトレアは飲み物を運んだ。


「どうぞ。果実水です」

「ありがとう」


 最近は言葉も大分砕けて来ていて、背筋もピンとしたからか、自信がついたように見える。食事の量もだんだん標準まで増えているし、体力の回復も早い。

 スゥッとガラスのコップに注いだ果実水を飲み干して、シエラはひと息吐く。


「基本のステップはものになって来ましたから、相手をつけて練習しましょう」


 ダンスの教師が、営業スマイルで彼女に告げる。

 自信溢れるあからさまな作り笑顔が、カトレアはあまり得意ではない。我の強そうな人だとヒシヒシ感じながら、それを横目に見守る。


「わたくしが男性のパートを踊りますから、一緒に頑張りましょう。姫様の誕生祭まであまり時間もないですし」

「はい」


 シエラは頷く。

 実はあと五日後に、彼女はエレオノーラ姫の誕生日パーティに出ることになっていた。

 聖女のエスコートはルシウスだ。提案した彼の様子を見る限り、ダンスもシエラと踊ってパーティ会場を後にすることだろう。

 本当はまだシエラを表に出したくない。

 彼の顔にはそう書いてあった。

 シエラはシエラで、皇子と踊るということに責任を感じているらしい。

 

「おかわりをもらっても?」

「はい、どうぞ」


 カトレアはメイド長に鍛えられた、お淑やかな三分咲きの笑みでコップに注ぐ。


「頑張ります。休憩はもう平気です」


 飲み終わると、彼女は夫人にそう言った。











「――ッ!」

「あら! ごめんなさい!」


 シエラが痛みに顔を歪めるのは、それで三回目だった。

 側で見守っていたヨハニスとヘイロンが、ついに殺気をまとう。


「本当にごめんなさい。わたくしの背が低いばっかりに、男性パートをヒールの高い靴で踊らなければならないせいで……」


 シュンと申し訳なさそうに謝る教師に、シエラは首を横に振る。


「仕方ないです。気にしないでください」


 シエラは女性の中では背が高い方だが、目立つほど高くはない。強いて言うなら、教師の彼女の背が低いのだ。シエラのことを支えきれていない。

 ――が。


(わざとだな、これ……)


 ダンスの教師を買って出たという、この夫人。

 今までは時間も迫っているし、厳しくなるのも仕方ないなと思って見ていたが、わざとシエラの足を踏んでいる。


(第一皇子派の人間だろうな)


 第二皇子の足を引っ張りに来たのだろう。

 氷血の死神の庇護下にあるシエラを攻撃するなんていい度胸だ。

 それまで黙って見ていた護衛騎士が動いた。


「よろしければ僕がお相手をしましょう」


 ヨハニスは笑顔だが、「代れ」と夫人に圧をかけている。

 しかし、夫人はそれに全く怯まない。

 困ったように頬に手を当て、上目を使う。


「わたくしもお願いしたいところなのですが……。聖女様のお相手を本番までに第二皇子殿下以外がするのは、初めて社交界に出るレディのためにも避けるべきかと思いまして……」


 カッと。火がついたように、シエラの顔が真っ赤に染まった。

 彼女が自分を救い出してくれたルシウスに好感を抱いていることは、側にいれば分かるもの。

 しかしそれを、こうしてダンスを教えるだけの教師に持ち出されるとは、シエラも本意ではなかっただろう。社交界に出るのも初めてなのだと、遠回しに子ども扱いして馬鹿にしている。

 粋な計らいだとでも言いたいのだろうが、余計なお世話だ。

 ただ、ヨハニスもシエラの反応を見れば、初めて踊る男性が第二皇子であることのほうがいいと思ったのだろう。ぐっと口をつぐむ。


(……乙女の純情を弄んで楽しむなんて最悪だな、このおばさん)

 

 主人がこんな目に遭わされて、黙っている訳にはいかない。カトレアはスッと前に出た。


「軟膏を塗りましょう。椅子に座ってください」

「……はい」


 その場の空気からシエラを抜き出すと、椅子に座らせて自分は跪く。


「じ、自分で出来るわ!」

「じっとなさっていてください。服が乱れますので」


 恥ずかしがる彼女を言い宥め、カトレアは夫人に踏まれて赤くなった足に薬を塗った。

 足を踏むことは仕方ないことなので、こうして薬の用意もある。だが、このままではすぐに薬もなくなってしまうだろう。


「初日でこんなに踏まれては、本番には真っ青になってしまいますね」


 カトレアは静かになった部屋で、嫌味のようにそう言った。


「ごめんなさい。わたしが下手だから……」

「いえ。シエラ様は下手ではありませんよ。ケリー夫人のお履き物が問題なだけですからね。足も痛むでしょうし、今日はこのくらいになさっては?」


 軟膏を塗り終えて、カトレアはシエラを見上げる。ここでハイと言ってくれれば、とりあえず今日のところは夫人から逃れられるだろう。

 しかし――。


「いいえ。ケリー夫人の言う通り、第二皇子殿下と踊るまでに最善を尽くしたいんです。続けます」


 シエラは打たれ強かった。

 彼女は椅子から立ち上がると、ケリー夫人に向かっていく。

 女同士の闘いが幕を開けようとしていた。シエラは我慢のできる人だが、この後どうなるかなんて分かっている。あまりにも不利だ。

 これはルシウスに報告する案件だろうな、と思いながらカトレアは騎士ふたりの顔色を窺う。

 今すぐにでも夫人を拘束しそうな目付きだったが、シエラに微笑まれて「待て」の状態だ。


「――分かりました」


 仕方ない。カトレアはあまり乗り気ではなかったが、口を開いた。

 それらしい理由を付けて、わざと下手くそな夫人と手を取ろうとするシエラの間を割って入る。


「私が踊れます。代わってください」

「――え?」


 シエラの差し出した手をとって、カトレアは夫人に言い放つ。


「メイドごときが一体何を!?」


 夫人はお怒りだが、自分のあるじが虐められているところを黙って見過ごすことは出来ない。これも仕事の内だ。


「夫人も慣れないダンスでお疲れなのでしょう。一曲、私がシエラ様の相手をする間にどうぞお休みくださいませ。見よう見まねのメイドごときがお相手で申し訳ないのですが……」


 下手に出てそう述べれば、どうせこいつも失敗してシエラの足を踏むだろうという目で、「わかったわ」と彼女は鼻で笑った。


「私と踊ってくださいますか。お嬢様」


 カトレアは戸惑いを浮かべるシエラに、緊張を溶かすために悪戯な笑みで手を差し出す。


「はい――」


 心配そうなシエラの手を握ると、カトレアは流れ出した音楽と共にゆったりリードを始めた。


「――!」


 踊り出せば、違いはすぐに分かる。

 シエラは驚いた顔で、カトレアの顔を見た。


「シエラ様はダンスがお上手ですね」


 熱い視線に、カトレアは照れ臭そうに微笑む。

 貴族出身のメイドたちのダンス練習に付き合っていたので、男性パートも女性パートも両方踊ることができた。平民の自分には必要ないものだが、偶にこうして誰かの役に立てるから、ダンスは楽しい。


「ここでターンです。――そう。爪先に力を入れて。下は向かなくていいです。メイドの足なんて、いくらでも踏んで構いませんから」


 シエラとはあまり身長が変わらないが、今はヒールで彼女の方が少し背が高い。

 それでもカトレアはリードに手慣れていた。

 どちらも大きなミスをすることはなく、ゆっくりと初々しいダンスを踊る。


「すごい。わたし、踊れてる……?」

「基礎のステップが完璧だからですよ」


 先ほどまで躓いてばかりいたのに、流れるように進んでいくのが嬉しそうだ。

 ただ、ちらりと見えた、椅子に座ってこちらを観察している夫人は、わなわなと肩を震わせていた。あちらは、とても楽しそうには見えない。


「平民ごときが、聖女様とダンスを踊ろうなんて烏滸がましいわ!」


 とうとう我慢ならなかったようで、夫人は音楽を途中で止めて立ち上がると、ズカズカ歩き出す。

 その剣幕に萎縮したシエラが肩を震わせるので、カトレアは迫ってくるおばさんから遠ざけるようにして彼女を背中に隠した。用があるのは自分だからだ。


「今すぐ、聖女様から離れなさい! 貴族の文化を盗むなんて穢らわしい平民が!! 身の程を弁えなさい!」


 振り上げたその手は、一体どうするつもりなのか。

 カトレアは瞬きひとつせず、夫人を見ていた。

 すぐに手を上げるとは、プライドが高い貴族の女も恐ろしいものだ。欲しいもののためなら、我慢なんてしたことがないタイプだ。指輪がたっぷり付いているし、爪も長い。叩かれたら痛そうだ。


「――な!?」


 しかし、その手はカトレアに届かない。

 突然現れた男に、その手を掴まれたからだ。


「口を慎め。殿下の御前だ」


 いつもより数段低い声で告げたのは、ゼノイスで。彼は酷く冷たい目で夫人を見下した。

 この男はどこから入ってきた?

 夫人の目はそう語って泳ぎ、開け放たれた窓にやっと気がつく。


「ちょうど横を通ったから様子を見ていたが、あまり穏やかではないみたいだな?」

「――だ、第二皇子、殿下!?」


 窓から顔を出すのは、第二皇子ルシウスで。窓の縁に肘をつき、その手に顎を乗せると彼は嗤った。


「平民出身のメイドですら見よう見まねでこれだけ踊れるのだから、お忙しい夫人の力はお借りしなくても良さそうだ」


 真っ黒な瞳が、夫人を凍らせる。

 

「で、殿下! わたくしは!」

「どうぞお引き取りを、夫人。――それともその足を使い物にならなくされたいか?」


 パキッと音がした。

 夫人の足元に、氷が張っている。

 物理的に、夫人の足が凍っていた。


「聖女の御足を何度も踏んだんだ。それくらいの罰があってもいいだろう」

「ヒィィイ!!」


 震え上がった彼女は足に氷がついたまま、その場を逃げ出した。

 こうなることは覚悟の上で、第二皇子の周りには首を突っ込んで欲しいものだ。見せしめに殺されなかっただけ、温情があったと考えるべきだろう。

 ルシウスは少し高さのある窓枠を軽々越えて、部屋の中に入って来る。


「――第二皇子殿下に挨拶申し上げます」


 カトレアは何事もなかったかのように、ルシウスにこうべを垂れた。

 背中に隠したシエラの元には、夫人が歩き出した時点で護衛騎士ふたりが駆けつけている。彼らもカトレアと同じく頭を下げた。


 つまり、ゼノイスが止めてくれなければ、護衛対象ではない自分は夫人に叩かれていたのかもしれない。


(お礼を言いたいけど、今はそんな空気じゃなさそう……)


 ちゃんとゼノイスに礼を伝えたかったが、ルシウスとシエラの会話を妨げるようなことはできない。婚約者同士が私情を挟んでいると思われても困る。

 カトレアはシエラとは反対側にいるゼノイスには視線を向けず、邪魔にならないよう、いつも通り気配を消して壁側にでも移動しようとした。


「……?」


 しかし、くいっと何かに引っ張られて、前に進めない。

 振り返れば、白いワンピースをシエラに掴まれていて。


「……ご、ごめんなさい。わたしのためにカトレアがあんな酷いことを言われて……」


 顔を真っ青にして、服を掴む手は震えている。

 異変に気がついたカトレアは、シエラの前に戻った。


「シエラ様、顔色が悪いです。私はなんともありませんから、どうか落ち着いてください」

「――わ、わたしのせいで……」


 ダメだ。聞こえていない。

 そう思ってシエラの手を取ったが、彼女の力は抜けていって。


「――シエラ様!」


 崩れ落ちる主人を、側にいたルシウスが受け止めた。


「ゼノ、医者を呼んで来い。シエラは俺が部屋まで運ぶ」

「かしこまりました」


 ルシウスは片腕で受け止めたシエラを横抱きにする。


「すぐに部屋を整えて来ます!」


 彼の黒い眼差しと目があって、カトレアは弾かれたように部屋を飛び出す。

 シエラの前であんなものを見せるべきではなかったのだ。

 廊下を走りながら、自分がしたことを後悔した。


 



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