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10・指輪



「お疲れさまでした。おやすみなさい、カトレア」

「はい。おやすみなさいませ」


 シエラの朝と夜の身支度などは、主人が安心できるようにカトレアが担当する。

 初日からさっそく教師もついて、充実した時間を過ごしたシエラはすぐ眠りについた。

 騎士ふたりに挨拶して、一足先に仕事は終わり。カトレアは使用人の泊まる居館へとランプを片手に歩く。

 昨日降った雪は、まだ残っていて。

 月明かりに照らされて白く光るのを見ながら、東の宮を出て、彼女は北東にある居館に続く外廊下を進んだ。


「……え?」


 そして、寒そうに腕を組み、背中を柱に預けた男を見つけて足を止める。こちらに気がついた彼は、パッと顔を上げて姿勢を正すと歩いて来て。

 

「トーマ卿……? どうしてこんな寒いところに??」


 ゼノイスがこんなところにいるなんて、考えもしなかった。カトレアは呆然として、まるで自分を待っていたかのように目の前に現れた彼を見上げる。


「お疲れ。何も言わずに待ってて悪い。少し時間、もらえるか?」


 それはつまり勘違いではなく、自分の事を待っていた訳で。カトレアは瞬きを繰り返した。

 主人の就寝を確認して居館に戻る使用人の数は少ないし、寝なずの番をする者たちは、本館に泊まるところがあるのでこっちには戻ってこない。

 今、そこにいるのはカトレアとゼノイスだけ。

 彼女が呆然として頷くと、ゼノイスが自分の外套を外してカトレアにかけた。


「着てて」

「……ありがとう、ございます」


 ゼノイスはカトレアが持っていたランプも自然にさらって、彼女を連れ出す。

 昨日のやり取りをちゃんと覚えてくれていたに違いなかった。それまでゼノイスが羽織っていた外套は温かくて、優しさが沁みる。

 外廊下を外れ、「水の城」と呼ばれる所以の水路が張り巡らされた王城の庭を歩いた。今は雪と氷のコラボレーションで、非常に神秘的な空間だ。


「どうされたんですか?」


 やっと足を止めたのは、針葉樹に囲まれた誰もいない水流だけが聞こえる静かな橋の上。驚きに金色の目を見開いたまま、彼女は尋ねる。仕事終わりを待たなくても、何か他に連絡を取ることは出来ただろうに。


「……これを早く渡したかったんだ」


 ゼノイスは橋の手すりにランプを置くと、取り出した小さな箱を開く。

 そこには銀色に輝く指輪が収まっていて。


「えッ!?」


 どう見ても、婚約指輪だった。


(早い。早すぎるよ!? え、昨日サイズを測って、今日!?)


 カトレアは指輪とゼノイスの顔を視線で往復する。確かに順序は交差してしまったが、それにしたって性急すぎないか。暇な時にでも適当に選んでくれればよかったのに。


「殿下に休みが欲しいと言ったら、今日ならいいと言われて作ってもらった。俺もあんたも城の外に出るのも休みも簡単に取れないだろうし、つながりの証明になる指輪は早く渡しておきたかった……。何店舗か回ったんだが、一番最初に見つけたデザインが似合うと思って選んだ」


 カトレアは差し出された箱を、両手で包むように受け取った。

 シルバーのリングに、青味がかった宝石が輝いている。メインの宝石は大きすぎず、それを挟むようなリングのデザインがシンプルで上品だ。


「これを、私に……?」


 憧れの人から初めてもらえるのが、自分を思って選んでくれた指輪だなんてことが現実なのか。

 こちらは彼に得になるようなことはまだ何もしていないのに、こんな素敵なものを貰ってしまっていいのか。

 カトレアはじっと指輪を見つめて、ゼノイスを見た。

 そして彼の不安に揺れる瞳とぶつかって、彼女は頭をよぎった雑念を一瞬で消し去る。


「すごく、嬉しいです。……ゼノイスさん、が私のために大切な時間を割いて、選んでくれた指輪。嬉しくない訳がないです……」


 カトレアは断言した。嬉しくないはずがない。

 そこに愛がないからか、嬉し涙は流せない。

 しかし、それでも心から嬉しかった。持てる限り、一生大事にしようと思った。

 愛おしさに目を細めれば。



「――よかった」



 ゼノイスが見たことのないような、とろけるような笑みを浮かべて。

 ひゅっと、喉の奥が音を立てる。


「オレがつけてもいいか?」

「へ……。あ、は、はい……?」


 ひとつ壁を取り払った初めて見る彼の表情に、カトレアは動揺した。

 そんなの、ずるいだろう。

 ただでさえ黙っていても男前でずっと眺めていられる騎士だというのに、無防備に微笑まれるなんて。それも、自分だけに向けて。

 これだから顔がいい男は、近寄り難い。

 心臓の音が早鐘を打ち、まるで自分のものではないみたいだ。


「こんな場所ですまない。本当は食事とか、夜景でも見て渡すべきなんだろうけど……」

「そんな! 雪も積もった幻想的な水の城の庭で、星もすごく綺麗な日に貴重な時間をいただいて……。第二皇子殿下の専属騎士であるトーマ卿が、私のために時間を設けてくださっただけでも十分なんです。自分の時間もほとんどないくらい、お忙しいでしょうに……」


 自分のために時間を使ってくれている。

 仕事一筋、主人一筋の騎士が。

 一部のメイドからは男色の妄想までされるほど、仕事熱心な彼なのに。

 手の中にあった小さな箱はゼノイスのもとへ帰り、指輪だけが彼の手に残される。

 かぽっと箱が閉まる音がして、それはゼノイスの懐にしまわれた。


「それはあんたも同じだろ。こんな時間までひとりで……」

「仕事ですからね。トーマ卿に比べれば、休憩時間もちゃんとあります。お互い仕事が優先でしょうから、無理だけはなさらないでください。あなたの負担になるのだけは嫌なので」


 カトレアは肩をすくめる。

 すでに不便をかけているのではないか、少し不安だった。この指輪が一体いくらなのかなんて野暮なことは聞けないが、高価なものに違いない。

 そんな彼女の表情を察したのか、ゼノイスは眉をしかめる。


「負担じゃない。――時間が空いたら会いに行く。迷惑じゃないか……?」

「もっ、もちろん! 仕事中でなければいつでも大丈夫ですよ。……その、婚約者なんですから!」

「……そうか……」


 ゼノイスが手を出した。

 カトレアはそっとそこに左手を載せる。

 薬指にスッと指輪が通って。

 ぴったり指に収まる。

 考えてみれば、指輪をつけるのはこれが初めてで。ゼノイスの手が離れていくのを感じながら、カトレアはじっとそれを見つめる。


「――綺麗」


 目の前に左手をかざし、星のように煌めく指輪に感動した。


「ありがとうございます――。絶対失くさないように、大切にします!」


 カトレアは改めて礼を述べる。

 シンプルなデザインなので、どこかに引っかかったりはしなさそうだが、仕事中に失くしたらどうしようか。部屋の鍵がかかる引き出しにしまって、毎日眺めるのがいいかもしれない。


「チェーンもあるから、なるべく肌身離さず持っていて欲しい。命の危険から一度だけ身を守る守護のまじないが掛かった魔石なんだ」

「魔石!?」


 ギョッとして、カトレアは自分の手を遠ざける。

 魔石はただの宝石とは違う。特別な力が宿った石だ。誰でも持っているだけで発動する魔石にもなれば、その価値は跳ね上がる。

 

「そんな貴重なものを私に!?」


 それは急遽見つけた都合の良い相手に渡すものじゃない。費用の使い所を間違っている。


「……嫌だったか? 一番いいものを渡したかったんだけど」

「嫌じゃないです! でも、こんな高価なもの、ただのメイドが持つには畏れ多いです!」

「――? オレの婚約者が持つんだから、妥当だろ?」


 何を言ってるんだ、と。

 当たり前のように言われて、絶句した。

 こちらの気も知りもしないで、無自覚に喜ばせることばかり言って――。


「……こ、後悔しますよ。いつか……」

「何もしないよりいい。相手があんたなら尚更」

「…………」


 それ以上はもう何も、彼を止める言葉など見つからなかった。





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