新婚旅行――7
障子戸の向こうから聞こえる布擦れの音にドギマギしながら浴衣に着替える。
着替えを終えた俺は、一息ついてから玲那に尋ねた。
「玲那、着替えは終わったか?」
「はい。終わりましたよ」
「……本当だろうな?」
「どうしてそこで疑うんですか? わたしが嘘をついているとでも?」
玲那の声が若干の不機嫌さを帯びる。障子戸の向こうでは、玲那がぷくぅっと頬を膨らませていることだろう。
だが、俺は疑わずにはいられない。玲那の日頃の行いを思い返せば仕方ないのだ。
常々玲那は際どいほどのイチャイチャを求めてくる。だから、着替えが終わったってのが嘘で、障子戸を開けたら下着姿で俺を誘惑してくるんじゃないかって不安なんだよ。
ようするに、疑われるのは玲那の自業自得ということだ。
俺は半眼になりながら玲那に言葉を返す。
「自分の胸に手を当てて考えてみろ」
「……我ながら大きいです」
「そういう意味でなく」
「では、形状ですか? 感触ですか?」
「どっちも違ぇよ」
ズレまくった玲那の返答に、俺は目元を覆って深く嘆息した。
胸のサイズじゃないんだよ。かたちも感触も関係ないんだよ。全然まったく甚だ見当違いなんだよ。
どうして俺の妹は、なんでもかんでもセクシャルな方向に関連づけてしまうんだ……。
「心配しなくても、ちゃんと着替えは終わってますから。嘘だったら、わたしのこと好きにしてもいいですよ?」
「不安しかないんだが?」
発言がもうエロゲのそれなんだよあ。頼むからやめてくれ。疑心暗鬼に陥りそうだから。
げんなりしながらも、ここまで言うんだから流石に嘘じゃないだろうと判断して……というか、どうか嘘でありませんようにと神様に願いつつ、俺は障子戸を開ける。
俺の心配は杞憂だったらしい。浴衣姿の玲那がそこにいた。
本来ならば安堵する場面だろうけど、俺はただただ立ち尽くすことしかできなかった。
浴衣姿の玲那に見とれてしまったからだ。
「どうですか、お兄ちゃん?」
はしゃいだ様子で玲那がくるりとターンする。
浴衣の袖と襟下がひらりと翻る。
星空のような玲那の黒髪がふわりと踊る。
その様は『美しい』としか形容できず、俺の目は釘付けになった。
あまりの美しさに目を逸らせないでいる俺を見て、玲那がニマニマと笑いながら、腰に両手を当てて胸を張る。
「ふっふっふー。見とれちゃってるみたいですね。似合いますか? 惚れ直しちゃいましたか?」
「ああ、似合ってる。惚れ直さずにいられない」
「ほぇ?」
玲那に見入りすぎて呆けていたのだろう。俺はつい本音をこぼしてしまった。
素直に褒められるとは思ってもみなかったらしく、ドヤ顔を浮かべていた玲那はキョトンとした。
玲那が目をパチクリとさせる。純白の肌が見る見るうちに色づいていく。
髪の先を弄りつつ、モジモジとしながら、玲那が「あ、ありがとうございます……」とか細い声で言った。照れていると一目でわかる仕草だ。
や、やめろよ、玲那。お前、いつも平然とした顔でアプローチしてくるじゃねぇか。俺の理性を破壊しにくるじゃねぇか。こんなときに限ってしおらしくなるなよ。俺まで気恥ずかしくなっちゃうだろ。
全身がカッカと熱くなる。面映ゆさのあまり、俺は赤くなっているだろう頬をポリポリと掻く。
俺も玲那もなにも言えず、『花の間』に沈黙が訪れた。甘酸っぱく、むず痒い沈黙だ。
「き、着替えも終わったことですし、お茶で一服しましょう!」
「そ、そうだな!」
沈黙に耐えられなかったのか、玲那が、パンッ、と手を鳴らして提案する。同じく居心地の悪さを感じていた俺は、玲那の提案に即座に乗っかった。
玲那が電気ケトルでお湯を沸かし、茶葉を入れた急須に注ぐ。
一分ほど待ったあと、玲那が湯飲みに緑茶を注いだ。青々とした、芳しい香りが室内に漂う。
「ど、どうぞ」
「あ、ありがとう」
玲那が差し出した湯飲みを受け取る。
互いに先ほどの照れくささを引きずりながら、俺と玲那は、ふー、ふー、と緑茶に息を吹きかけて冷まし、湯飲みを傾けた。
甘さとほろ苦さが舌の上に広がる。心安らぐ味わいに、気まずさや照れくささが溶けていった。
俺と玲那は、ほぅ、と息をつく。
「やっぱり玲那の煎れてくれたお茶は美味いな」
「ありがとうございます」
玲那も照れくささから解放されたようで、穏やかに目を細めた。
気分をリセットした俺は、お茶菓子として用意された甘い煎餅を口にしながら、玲那に訊く。
「さて。これからどうしようか?」
「そうですね……せっかくですし、この辺りを散策してみませんか? お兄ちゃん、お散歩が好きですよね?」
「ああ。翔には『おじいちゃんみたいだね』って言われるけどな」
苦笑する翔の顔を思い出し、俺は肩をすくめた。
玲那が言ったとおり、俺は散歩が好きだ。晴れた空の下、行き先を決めずにぶらぶらと歩くのは、それだけで気持ちがリフレッシュされる。
歩いているうちに、いままで気づけなかった道を見つけることもある。そういう道に踏み入ってみるのも楽しいんだ。冒険してるみたいでワクワクするからな。
「知らない町を歩くのは散歩の醍醐味だしな。ぶらついてみるか」
「はい。わたしも楽しみです」
湯飲みを空にして、お茶菓子を食べきり、俺は立ち上がる。
俺に続いて立ち上がった玲那は、ご機嫌そうに鼻歌を奏でていた。
見るからにルンルン気分な玲那に、俺は首を傾げる。
「玲那って散歩が好きだったっけ?」
「好きですよ? 正確には、お兄ちゃんと散歩するのが、ですけどね」
玲那がスルリと俺の手を取った。
「好きなひとが楽しんでいる様子を、間近で見られるんですから」
そうすることが当たり前のように、玲那が俺と恋人繋ぎをする。発言の甘さと、繋がれた手の感触に、俺の胸が高鳴った。
毎度のことだけど、玲那にはドキドキされっぱなしだなあ。
体温が上昇するのを感じながら、俺は玲那の手を握り返した。