涼太の過去
人間は言葉では嘘をつけるが、行動では嘘をつけないらしい。
その通りだと思う。
「私は一流大学の法学部に入り、弁護士の資格を所得します! 冤罪被害者をひとりでも減らしたいんです!」
そう口にするのは簡単だ。
だが、宣言しながら受験勉強に精を出さず、友達とゲーセンで夜遅くまで遊んでいたとしよう。
そのひとは、『弁護士になる』と口で嘘をつけたが行動では嘘がつけず、『友達と遊びたい』願望に負けたことになる。『冤罪被害者を減らしたい』と言ったのは、『そのほうがカッコいいと思われるから』――つまりは『見栄』であり『建前』だ。
行動は『本音』の表れだから、偽ることができない。
逆に言えば、『建前』である言葉はいくらでも偽ることができる。
言葉は『建前』で、行動こそが『本音』。
残念ながらあの頃の俺は、そのことに気づいていなかった。
俺がバスケをはじめたのは小一からだ。地元のミニバスチームに加わり、小六まで腕を磨いた。
自画自賛になるが、結構な実力者だったと思う。実際、ミニバスの県大会で何度も優勝し、全国大会でもベスト8に入った経験がある。
その頃の俺は希望しか持っていなかった。
将来はプロになるんだ。NBAでプレイするんだ。あの超人たちと肩を並べ、オールスターゲームに参加してやるんだ。
そんなキラキラした夢を抱き、青い野望に燃えていた。
中学生になった俺は、当然バスケ部に入部した。
そのバスケ部にはエースを務める三年の先輩がいた。
先輩は俺のことを知っていた。ミニバスの全国大会を観戦していたらしい。
「頼もしいルーキーだな。期待してるぞ。俺を追い抜くくらい活躍してくれ」
先輩の言葉に俺は奮起した。なにしろチームのエースからの激励だ。
先輩の期待に応えるべく、俺は猛練習した。
俺が力をつければチームも強くなる。俺の活躍はチームへの貢献になる。
そう信じて疑わなかった。
中一の夏。インターハイ予選の初戦。俺は一年ながらスタメンに選ばれた。
ポジションはシューティングガード。俺を激励してくれた、エースの先輩が務めていたポジション。
俺は先輩を追い抜くくらいに成長していたんだ。
試合でも、ひとりで三〇得点という大活躍。次の試合からもスタメンで出場してほしいとコーチに頼まれた。
嬉しかった。誇らしかった。
ちゃんと成長し、活躍し、チームに貢献できた。
俺は先輩の期待に応えられたんだ。
「お前、なに活躍してくれてんの?」
体育倉庫に呼び出された俺は、開口一番、先輩にそう言われた。
先輩は憤怒が込められた目で俺を睨み、憎しみに顔を歪めていた。
わけがわからなかった。
俺は先輩の望み通りに活躍した。期待に応えた。なのに、なぜ恨まれなくてはいけないんだ?
「調子に乗ってんじゃねぇぞ、一年風情が。身の程ってのをわきまえさせてやるよ」
その日から、俺へのイジメがはじまった。
先輩は頭がよかった。
証拠にならないよう決して暴力を振るわず、罵声と中傷で俺を精神的に追い詰めていった。
先輩は顔が広かった。
先輩の仲間もイジメに加担し、俺の友達に圧力をかけ、俺が孤立するように仕向けた。
なぜ俺はイジメを受けないといけないんだ? 俺は活躍したのに。期待に応えたのに。チームに貢献したのに。
いまの俺ならわかる。俺は勘違いしていたんだと。
先輩が俺を激励したのは、『先輩らしい言動で尊敬を得ようと思ってのこと』だった。
つまりは『見栄』であり『建前』だ。
先輩が俺へのイジメをはじめたのは、『俺がポジションを奪い、自分に恥を掻かせたから』だった。
それが『本音』だ。
言葉は『建前』で、行動こそが『本音』。
残念ながらこのときの俺は、そのことに気づいていなかった。
イジメを受けてようやく気づいた
俺は青く、幼く、無垢で、素直で――どうしようもなく愚かだったと。
その頃にはもう、手遅れだった。
俺は不登校に陥った。
先輩やその仲間たちに遭遇する可能性が怖くて、外出さえできなかった。ただ部屋に籠もっていた。
事態を重く見た母さんは、引っ越しを提案した。この場所にいる限り、俺の心が安まることはない。いつか壊れてしまうと判断したのだろう。
たしかに俺は壊れる寸前だった。母さんが引っ越しを提案してくれなければどうなっていたか、考えるだけでゾッとする。
引っ越しに伴って俺は転校。一ヶ月半後になんとか復学できた。
だが、俺の心には癒えない傷が残った。バスケができなくなり、活躍することを恐れるようになった。
もし自分が活躍したら、また妬みを買うんじゃないか、またイジメを受けるんじゃないかと、恐ろしくて堪らなくなった。
それでも俺は、バスケを諦めきれなかった。コートでプレイする高揚感を、シュートが決まったときの爽快感を、ゲームに勝利したときの達成感を、どうしても忘れられなかった。
だからいまでも、ミニバス時代からの日課だった早朝ランニングを続けている。
なんとかトラウマを乗り越えられないかともがき、少しずつ回復はしているが、それでも克服には至っていない。
イジメから三年以上経ったいまでも、俺はトラウマに苦しめられている。