表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

23/33

涼太の今

 事情を知っている翔はもちろんだが、事情を知らないチームメイトも俺を責めなかった。


 俺がミスしたのは、決勝戦とスポーツ科の相手に対する緊張のせいだと捉えられたらしい。むしろ、それまでの試合での健闘を(たた)えてくれた。


 みんなの気遣(きづか)いがありがたくあり、同時に、泣きたいくらい自分が(あわ)れだった。





 帰宅後。なにをやる気も起きず、俺は()雑巾(ぞうきん)みたいにリビングのソファに寄りかかっていた。


 あれから手の震えは収まっていない。一向(いっこう)に収まる気配がない。


 震える手に目をやって、俺は自嘲(じちょう)をこぼす。


 情けねえ……頼りになる夫になるって約束したのに。


 なんだよ、この(てい)たらくは。なにがトラウマを乗り越えるだ。無力すぎるだろ、俺。


 天を(あお)ぎ、目元を(おお)う。そうしなければ、涙をこぼしてしまいそうだったから。


「いつになったら克服(こくふく)できるんだ……」


 なんの()しにもならない弱音と溜息(ためいき)が、無意味にこぼれた。


 自分に失望していると、誰かが隣に座る気配がした。見ると、そこにいたのは当然ながら玲那だった。夕飯の下ごしらえをしていたみたいだが、あらかた済んだらしい。


 俺が口を開くより先に、玲那はニコッと笑みを浮かべた。


「お兄ちゃん、耳かきしてあげます」

「…………は?」


 出し抜けがすぎる。


 まともな反応ができずにポカンとしていると、玲那が綿棒(めんぼう)を取り出し、てちてちと自分の太ももを叩いた。


「どうぞ」

「……まさかとは思うけど、『膝枕してあげます』とか言わないよな?」

「膝枕してあげます」

「言いやがったよ、一言一句違(いちごんいっくたが)わず!」


 自分の顔が熱を帯びるのがわかった。


 玲那が着ているルームウェアはラフなもので、ボトムスが大変短く、太ももの大部分が(あら)わになっている。処女雪(しょじょせつ)みたいに純白の肌や、カモシカのようにしなやかな脚線美(きゃくせんび)が、大胆にさらされているんだ。


 その状態で膝枕されたらどうなるか? 答えは、『裸の太ももに頭を乗せることになる』だ。


 でででできるか! 服の上からでも恥ずかしいのに、(じか)に乗せるなんて(もだ)()にしてしまうわ!


 どうして耳かきを提案したのかはわからないが、なんとしても断らなくてはならない。現時点で理性が危ないのだから。


「え、遠慮(えんりょ)しておく」

「わたしとお兄ちゃんのあいだに遠慮なんていりません」

「けどな? その……玲那は気にならないのか?」

「なにがですか?」

「いや……直に乗せちゃうのがさ」

常日頃(つねひごろ)より初夜を望んでいるわたしが、この程度(ていど)でためらうとでも?」

「説得力がスゴい!」


 なおも玲那はニッコリ笑ったまま、てちてちと自分の太ももを示していた。


 玲那は俺を想ってくれているし、尽くしてくれている。けど、少々頑固(がんこ)な部分もある。俺に甘えたがるときは、その頑固さが顕著(けんちょ)だ。


 どうやら今回も頑固を発揮(はっき)させているらしい。そして、頑固モードになった玲那は説得できない。俺が玲那に甘いから。どうしても折れてしまうからだ。


 今回も同じで、俺は根負(こんま)けするしかなかった。


「……じゃあ、お言葉に甘えて」

「はい♪」


 渋々(しぶしぶ)とした口調を(よそお)っているが、俺はほんのちょっと……いや、かなりワクワクしていた。許してくれ。俺も男なんだ。好きな女の子の膝枕に期待しないわけがないんだ。


「し、失礼します」


 ドキドキしすぎて敬語になりながら、玲那の膝に頭を乗せる。


 フニ


 直後、左側頭部(ひだりそくとうぶ)が幸せな感触に包まれた。


 や、柔らかっ! 肉付きが悪いとか玲那は(なげ)いてたけど、全然そんなことない! それに(あった)かいし、いい匂いするし……女の子ってスゲぇ!


 感動していると、玲那が俺の頭にそっと手を()えた。


「では、はじめますよ。痛かったら教えてくださいね?」


 耳のなかを覗きやすいようにするためか、俺の頭の位置を調整して、玲那が耳かきをはじめる。


 綿棒が優しく耳のなかをこする。ちょっとこそばゆいが痛みはまったくなく、ただただ心地(ここち)いい。


 ああー……気持ちいいー……。


 気づけばドキドキは収まっていた。いまはただ、身も心も(やす)らぎに包まれている。愛情に(あふ)れた耳かきと、温かくて柔らかい膝枕、キンモクセイみたいな玲那の匂いに癒やされて、眠気さえ生まれてきた。


 女性の母性的な優しさや包容力に、赤ん坊のように甘えたい――そんな願望を(あらわ)す『バブみ』という用語がある。


 俺にはピンとこない概念(がいねん)だったが、いまならわかる。俺は玲那にとてつもない『バブみ』を感じている。ぶっちゃけオギャりたい。


 耳かきが終わったのか、耳の穴から綿棒が抜かれた。


 名残惜(なごりお)しさを感じていると、そっと俺の頭が撫でられる。


「大丈夫ですよ」


 優しく優しく(いつく)しむように、玲那が俺の頭を撫でる。


 俺はハッとした。いつの間にか手の震えが止まっていたからだ。


 どうやら玲那は、傷ついた俺の心を癒やすために、耳かきと膝枕をしてくれたらしい。


 バスケのことに触れず、トラウマに触れず、ただ頭を撫でているだけなのは、俺に嫌な思いをさせないためだろう。


 俺に詳しい話をさせたら、どうしてもそのときのことを思い出させてしまう。トラウマを乗り越えられなかった情けなさを、反芻(はんすう)させてしまう。そうさせないために、玲那はなににも言及(げんきゅう)することなく、俺の心を優しさで癒やそうとしてくれているんだ。


 玲那の温もりに包まれ、俺の口から言葉がこぼれた。


「……ありがとな、玲那」

「いいえ?」

「あと、ゴメン。いつまでもトラウマを引きずっていて」

「トラウマができたとき、普通、人間は逃げます。怖いんですから当然です。二度と味わいたくないんですから当然です。でも、お兄ちゃんは立ち向かってるじゃないですか」


 なおも優しく、玲那が俺の頭を撫でる。


「お兄ちゃんは引きずっていません。戦っているんです。とても勇気のいる選択です。簡単にできることではありません。何度も言いますが、お兄ちゃんは、お兄ちゃんが考えているよりもずっとスゴいひとなんですよ?」


 ジン、と胸が温かくなり、視界が(にじ)んだ。


「……妹を甘やかすのはお兄ちゃんの義務だったっけ?」

「はい。その通りです」

「悪いな。甘やかすどころか甘えてしまって」

「おや? お兄ちゃんは知らないんですか?」


 玲那がクスクスと笑みを漏らす。


「お兄ちゃんを甘やかすのは妹の権利なんですよ?」

「俺が『義務』で玲那は『権利』か……妹ってのはズルいな」

「その通りです。妹はわがままなんです。大好きなひとと大好きなことをしたくて仕方がないんです」


 ですから、お兄ちゃん?


「甘えたくなったらいつでも言ってくださいね? お兄ちゃんに甘えるのも、お兄ちゃんを甘やかすのも、わたしは大好きなんですから」


 俺はなにも答えなかった。言葉にする必要がないと思ったからだ。


 (あん)(じょう)、玲那は答えを求めなかった。俺の答えは、口にせずとも伝わったのだろう。


 膝枕も耳かきも気恥(きは)ずかしいが、たまにはしてもらうのもいいかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ