休日はもちろんふたりで――1
俺と玲那の結婚を機に父さんと母さんは引っ越し、相原家から車で一五分の位置にあるマンションで暮らしている。
そのため、相原家での家事は俺と玲那で行わなくてはならない。ふたり暮らしなのだから当然ではあるが。
休日の午前一〇時頃。俺はジャージに着替え、風呂掃除にいそしんでいた。
スポンジとスクラビン○バブルを相棒に、壁に付着した石鹸カスや、ゴムパッキンに発生した黒カビと戦う。
浴室は湿気が高いため、油断していたらすぐにカビが繁殖してしまう。こまめな掃除が欠かせない。
バスタブをスポンジでゴシゴシこすり、ふぅ、と俺は額の汗を拭った。
「父さんと母さんには頭が下がる思いだなあ」
俺たちの両親の仕事は、父さんが会計士で母さんがライターだ。
平日は、自宅で仕事ができる母さんが、休日は父さんが中心となり、毎日の家事をこなしていた。
俺も手伝いこそしていたが、自分たちだけでやらねばならないようになってから、家事の大変さと両親のありがたみを痛感した。
家事は想像以上に重労働だ。学業をこなしながらなので余計に疲れる。
「まあ、俺よりも玲那のほうが頑張ってるんだけどな」
ふたり暮らしがはじまった日、家事分担を決める話し合いで、俺は掃除、それ以外は玲那が担当することになった。
玲那曰く、
「古風かと思いますが、全面的に夫を支える妻になりたいんです!」
とのことだ。
父さん・母さんと暮らしていた頃から、玲那は積極的に家事に携わってきた。いま振り返れば、あれは花嫁修業のつもりだったのだろう。
玲那は、俺のために家事をすることに生き甲斐を覚えているらしい。
しかし、実際に家事をやってみて俺は思う。
「玲那の負担、大きすぎないか?」
掃除だけでこれだけ疲れるんだ。炊事・洗濯・買い出しまで行う玲那は、俺よりずっと大変だろう。
玲那は頻繁に甘えてくるし、『妹を甘やかすのはお兄ちゃんの義務』とも宣っている。
けれど――
「甘やかされてるのは俺のほうだよなあ」
情けなくて自嘲の笑みがこぼれた。
ひとつ嘆息して、俺はブンブンと頭を振る。
このままではいけない。玲那を支えられるようになると決めたんだから。頼れる夫になると誓ったんだから。
「家事分担について、もう一度話し合おう」
うんうんと頷き、「うしっ」と気合を入れ直す。
「とにかくいまは、自分のやるべきことをやるか」
俺は風呂掃除を再開した。
中華料理が俺の好みだからか、玲那はよく作ってくれる。
今日の昼食も中華だった。ダイニングテーブルには、大皿に盛られた青椒肉絲と、ふたり分の玉子スープ、ご飯が並べられている。飲み物はウーロン茶だ。
玲那が手ずから小皿に取り分けてくれた青椒肉絲を口に運ぶ。
ピーマンとタマネギがシャキシャキ、タケノコはコリコリと、抜群の歯ごたえを楽しませてくれる。ベチャベチャ感がまるでないのは、炒め方の妙だろう。
野菜の瑞々しい食感に続き、細切り豚肉のジューシーな肉汁が溢れ、オイスターソースをベースにしたタレと相まって口いっぱいに広がった。
相方は米以外に考えられない。ガツガツとご飯を頬張れば、口のなかで青椒肉絲とマリアージュ。まさに至福の味わいだ。
青椒肉絲 → ご飯 → 青椒肉絲 → ご飯とローテーションする俺を、隣に座る玲那が嬉しそうに眺めていた。
「夢中になってくれてますね。新妻冥利に尽きます♪」
「夢中にならざるを得ないだろ、こんなに美味いんだから。特に野菜の食感が堪らないな。家庭の料理とは思えないぞ」
「油通ししてますからね」
「油通しって、食材を油にくぐらせるアレか? 大変じゃないか? あれって揚げ物と同じくらい油を使うんだろ?」
「レンジを使えば簡単にできますよ? 使う油も少なくて済みますし」
「俺の妹の主婦力がスゴい……」
「主婦ですからね!」
「エッヘン!」と玲那が胸を張った。子どもっぽい仕草が微笑ましい。
玲那と生産者の方々に感謝しながら、俺は玉子スープで箸休めする。
ホゥ、と一息ついて、風呂掃除しているときに考えていたことを切り出した。
「なあ、玲那? 家事分担について、もう一回話し合わないか?」
「どうしてですか?」
「俺の担当が掃除だけなのに対し、玲那はそれ以外全部だろ? 玲那の負担が大きすぎると思うんだ」
「そんなことないですよ? もともとは全部請け負うつもりでしたから」
ウーロン茶が注がれたグラスを両手で包み込むように持ちながら、玲那が朗らかな笑みを浮かべる。
たしかに一回目の話し合いのとき、
「家事はわたしに任せてください!」
と鼻息荒く玲那は宣言していた。
「せめてひとつくらいさせてくれ」
と俺が言わなければ、玲那はすべての家事を担っていただろう。
「雨にも負けず風にも負けず、働く夫を献身的に支える。そういう妻にわたしはなりたいんです!」
「宮沢賢治か! けど、それは俺がお前を養えたらの話だろ? 経済力がない俺は『働く夫』ですらないんだぞ?」
「それならわたしが働きます!」
「お前は俺をヒモにする気か! 妻に依存するなんて完全にダメ夫じゃねぇか!」
「依存ですか……それも悪くないですね」
「常々思ってたけど、玲那ってヤンデレの気があるよな!」
額を覆い、深々と溜息をつく。どうやら玲那は、俺をヒモにしようと真面目に検討しているらしい。
なんて恐ろしいことを考えるんだ。俺にも男の意地がある。仕事も家事も妻に丸投げするような真似は、死んでもしたくない。
……まあ、いまの俺もほとんどヒモなんだけどな。
生活費は父さんと母さんに頼り切り。おまけに学校にも通わせてもらっている。自分の稼ぎはなく、家事の大半を玲那に任せ、俺がやっているのは掃除くらいだ。
考えれば考えるほど自分が情けなくなってきて、俺はもう一度溜息をつく。
「とてもじゃないけど、いまの俺を『頼りになる男』とは呼べない。経済力どころか生活力もないし、特別勉強ができるわけでもない」
普段は蓋をしている劣等感が、にじみ出てきた。