イチャつきたい欲増加中
玲那との結婚生活がはじまって一〇日目。二年三組の教室に激震が走った。
「熱海さん、わたしもご一緒して構いませんか?」
俺と昼食をとっていた翔のもとに、玲那がご飯をともにしようときたからだ。
翔がポカンとしている。
クラスメイトたちが愕然としている。
俺はこっそり溜息をついた。
「どうされたんですか、熱海さん? 目の前にUMAが現れたような顔をしていますが」
「い、いや、僕と相原さんは接点がなかったから、そんなこと言われるとは思ってなくて……」
「たしかに、熱海さんとはお話ししたこともありませんでしたね。けど、ずっとご飯をご一緒したいと思っていたんです」
いつも浮かべているアルカイックスマイルを崩し、玲那がニコッと笑う。
「「「「「「なにいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!?」」」」」」
「「「「「「きゃあぁあああああああああああああああああああっ!!」」」」」」
男子が驚愕の叫びを、女子が黄色い声を上げた。
色めき立つ教室のなか、玲那が不思議そうに首を傾げる。周りがなぜ騒いでいるのかわからないのだろう。
クラスメイトたちが大騒ぎするのも無理はない。玲那の『ずっとご飯をご一緒したいと思っていた』発言は、恋心を匂わせるに足るものだから。
彼ら、彼女らは、玲那が翔に恋していると勘違いしてるんだ。
学校一のイケメンと、『深窓の令嬢』の恋愛スクープだ。食いつかずにはいられないだろう。
教室内がてんやわんやするなか、俺だけは真相を察していた。
翔はだしに使われたんだろうなあ。
プロポーズを成功させるために父さんと母さんを味方につけ、日々、熱烈なアプローチをしてくる玲那が、俺以外の男を好きになるなんてありえない。自意識過剰だと呆れられそうだが、純然たる事実だ。一〇〇〇パーセントありえない。
それに……玲那は他人に興味がないからな。
つまり、『翔と一緒にご飯を食べたい』というのは口実。玲那の真の目的は『俺とご飯を食べること』だ。
俺たちはなるべく学校で関わらないようにしているけれど、玲那のイチャつきたい欲は増加中。ルールに反してでも俺の側にいたいと思っている。
だから、玲那は翔のもとを訪ねたんだ。大抵、翔は俺と昼食をとっているから。
よくそんなにも頭が働くよなあ。流石は南陵一の才媛だ。思考力の使い道が激しくズレている気はするが。
机に肘をつき、騒ぎまくるクラスメイトたちを傍観していると、翔が身を乗り出し、俺に耳打ちしてきた。
(ねえ、涼太? 相原さん、いきなりどうしたんだろう? まさかとは思うけど、僕が好きってことはないよね?)
(ありえん。思い上がるな)
(辛辣!!)
ギロリと睨み付けると、翔が涙目になった。
(妹さんが大切なのはわかるけど、トゲトゲしくないかな!?)
(ああ?)
(ほら! ヤクザの親分みたいな目をしてるじゃないか!)
(失礼な。ひとをなんだと思っているんだ。俺は別に怒ってないぞ?)
(そ、そう……ならいいんだけど……)
(ただ、バレずに殺れる方法はないか考えているだけだ)
(僕たち友達だよね!?)
翔が、ガーン! の擬音が似合う顔をする。俺は、はぁ、と嘆息した。
心配するな翔、冗談だから。八割くらい。
しかし、ここまで自分が苛立つとは予想だにしなかった。
翔のことはもちろん友達だと思っているし、玲那が翔に好意を抱いている可能性が、万に一つもないこともわかっている。
それでも嫉妬してしまう。翔にヤキモチを焼いてしまう。そんな自分に嫌気がさしてしまう。
器が小っちぇなあ、俺。
「コソコソとなにを話されているのですか?」
三度、溜息をついたところで、耳打ちする俺と翔に、玲那がズイッと顔を近づけてきた。
「「「「「「「「ぎゃあぁああああああああっ!!」」」」」」」」と、ホラー映画でも観てるのかとツッコみたくなるような歓声が教室を揺らす。玲那が翔に急接近したからだろう。みんな、恋の行方(誤解)に興味津々なんだ。
弾かれたように、翔が玲那から距離をとる。
「な、なんでもないよ!」
「はあ、そうですか」
玲那はそのままの体勢で首を傾げ、俺に小声で訊いてきた。
(どうしたのでしょうか、兄さん? 熱海さんの様子がおかしいです。クラスのみなさんも正気とは思えないほど騒いでいますが……)
(それはな、玲那。お前が翔を好きなんじゃないかと、みんな勘違いしているからだ)
玲那がピタリと動きを止めた。
(…………はあ?)
玲那がゆっくりとこちらを向く。
俺は背筋が凍るかと思った。不愉快を通り越して殺意すら宿していそうな顔を、玲那がしていたからだ。とてもじゃないけど『深窓の令嬢』が見せていい表情じゃない。
サイコパスみたいな玲那の目に頬を引きつらせながらも、俺は説明する。
(よ、ようするにだな? お前が翔とご飯を一緒に食べたがったり、急に顔を近づけたりしたことで、翔に好意があるんじゃないかと思われたんだよ)
(ふーん……そうですか)
俺から顔を離し、玲那が姿勢を戻した。
いまだに男子たちは頭を抱え、女子たちはキャイキャイはしゃいでいる。
玲那が口を開いた。
「――勘違いされているようですが」
玲那が発した声は穏やかなものだったが、騒がしい教室でもよく通った。
クラスメイトたちが静まり返る。玲那の声が絶対零度の響きを持っていたからだろう。
彼ら、彼女らに、玲那がアルカイックスマイルを向けた。普段と変わらないようで、なぜだか雪女を連想させる笑顔を。
「わたしは熱海さんを好いてはいません。勘違いしてはいけませんよ? 熱海さんに失礼ですから」
「「「「「「「「ひゃ、ひゃいっ」」」」」」」」
クラスメイトたちが青ざめ、ガタガタと震えながら、コクコクコクと頭を振る。
温度を取り戻した笑みで、「よろしい」と言うように玲那が頷いた。
「では、お食事にしましょうか」
「そ、そうだね」
口元をひくつかせて、翔が弁当箱を取り出す。
玲那は(尋常じゃないくらい怯えていた)生徒のひとりから椅子を借り――俺の隣に腰を落ち着けた。
目を丸くする俺に、玲那が微笑みを向ける。ほかの誰にも見せない、温かい微笑みを。
「お隣よろしいですか? 兄さん」
隣に座ってくれたことが、親愛に満ちあふれた微笑みが、ささくれ立った俺の心からトゲを抜いていく。
「ああ」
微笑みを返すと、玲那が机の下でこっそり俺の手を握ってきた。
ギュッとわずかに力が込められる。「大丈夫ですよ? わたしが好きなのはお兄ちゃんだけですから」と伝えるように。
下手をしたら、俺と玲那が手を繋いでいるのがバレてしまう。俺たちが愛し合っていることがバレてしまう。
それでも俺は、玲那の手を握り返してしまった。
どうしたものかなあ、と俺は苦笑する。
俺のイチャつきたい欲も、玲那に劣らず増加中らしい。