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9.過去と見比べて

 男性に導かれてたどり着いた先で、ユーグ様はあっという間に問題を解決してしまった。新しい店を出す場所をめぐって二人の商人が揉めていたのだが、ユーグ様は双方の言い分に耳を傾けると、ためらうことなくすぐに解決策を出してしまった。


 リエル王国の法律については全く分からなかったけれど、ユーグ様が法を熟知していて、かつ人間の感情にも配慮した見事な采配を振るったことだけはすぐに理解できた。


 フィリベルト王子とは大違いだ、とこっそりそんなことを考える。フィリベルト王子は軍事の才だけはやたらとあるのに、政治についてはこれっぽっちも興味を示していなかった。それに、他人の感情を重視することもなかった。


 ぼんやりとそんなことを考えながら待っていた私のところに、ユーグ様が笑顔で戻ってくる。


「待たせたね、ロザリー。思ったほどややこしい問題でなくて良かったよ」


「無事に解決して、良かったです」


 つられて笑顔で答えながら、私は必死に言葉を探していた。彼が見事に揉め事を仲裁したことについて、何か声をかけたかった。素晴らしかったと伝えたかった。


 しかし、何をどう言ったらいいものかさっぱり分からない。彼の身分がばれないように大仰な物言いは控えなくてはいけないし、型にはまった言い方では私の思いが伝わらないような気がしたのだ。


 その点、フィリベルト王子は楽だった。「素晴らしいです」「お見事です」を交互に言っておけば、彼は大体いつも機嫌良くしていた。それが私の本心からの言葉かどうかなんて、彼にはどうでも良かったのだろう。彼にとって大切なのは、彼に称賛の言葉を捧げる者がいるかどうか、それだけだった。だから彼は、いつも大量の取り巻きを従えていたのだ。


 思い出に浸っていたせいか、どうやら私は難しい顔をしていたらしい。ユーグ様がかがみこみ、私の顔をのぞきこんでくる。長いまつ毛の一本一本が数えられそうなくらい、顔が近い。


「どうしたのかな。何か、君の機嫌を損ねるようなことでもあっただろうか」


「いいえ、そんなことはありません。少し、考え事をしてしまっただけで」


 困惑しながらも必死に首を横に振ると、ユーグ様はふふと小さく声を立てて笑った。私のすぐ近くで。


 彼の吐息がかすかに前髪にかかり、反射的にかっと頬が熱くなる。驚きのあまり混乱する意識の中、ふと口をついて出たのはこんな言葉だった。


「あ、あの、さっきの揉め事の仲裁、とても素敵でした」


 言ってしまってから頭を抱えたくなった。素敵でした、だなんて。きっとなれなれしいと思われたに違いない。あるいは、能天気だと思われたかも。いずれにせよ、この場にふさわしい言葉だとは思えない。


 ユーグ様は大きく笑みを浮かべると、あたふたとあわて続ける私の耳元に口を寄せて短く言った。


「ありがとう」


 穏やかな優しい声が、私の耳を軽くくすぐる。耳から顔までが一気に熱くなったのは、夕方に近づいてもなお強烈なリエルの日差しのせいではなかった。






 気づけば私は、王宮の前にかかる橋の前にいた。しかも何故か、ユーグ様に手を引かれている。


 まだぼんやりとしたままの頭で、何があったのか思い出してみる。


 無事に揉め事を解決した後、ユーグ様にささやかれたせいですっかり上の空になっていた私は、男性たちに見送られながら帰路についた。そこまでは何となく覚えている。


 夕方になってまた人通りが増えてきたので、はぐれないようにとまたユーグ様が手を差し出してきたのも思い出せた。ふわふわとした気持ちのまま彼の手を取り、引かれるまま歩き続けて、ここまで戻ってきた。ああ、やっと全部つながった。


「やはり、まだ足が痛むかい? 済まなかったね、不慣れな靴だということを忘れて遠出をさせてしまった」


 一通り思い出してほっと息をついているところに、ユーグ様の声が割って入った。


「はい、ご心配をかけて申し訳ありません」


 私たちが今もなお手をつないだままである理由がこれだった。慣れないサンダルで歩き続けた結果、どうやら靴擦れができてしまったらしく、次第に足が痛み始めたのだ。どうにかごまかそうとしたものの私の足取りは次第に重くなっていき、結局ユーグ様にばれてしまったのだ。


 そうしてユーグ様は、私が少しでも歩きやすいように、私の足取りに合わせてさらにゆっくりと歩いてくれたのだ。私の手を引いたまま。


「謝るのは私の方だよ。後でジネットに手当てしてもらってくれ。靴の方も、また衣装係たちに調節してもらった方がいいな。私の方から話を通しておく」


 そのまま王宮に入った私たちを、兵士たちが出迎える。ユーグ様はてきぱきと指示を飛ばして、衣装係に連絡を取っていた。


 いつかのお茶会のことが頭によみがえる。あの日も私は、足が痛くてたまらなかった。ずっと立ちっぱなしのまま、積極的に動き回るフィリベルト王子の後ろに付き従っていたせいで。


 けれどフィリベルト王子はそのことに気づきもせず、客とのお喋りに夢中になっていた。私は彼の婚約者として淑女らしく穏やかに微笑みつつも、心の中に隙間風が吹くような虚しさをずっと覚えていた。


 一方でユーグ様は、すぐに私の異変に気づいてくれて、手を差し伸べてくれた。このことだけではない。朝出会った時からずっと、彼は私のことを気にかけてくれていた。どうしてそこまでしてくれるのかは分からないけれど、裏があるようには思えない。きっと彼は、とても親切な、気配りのできる人なのだろう。


 リエルの人間が粗野で野蛮だと、そう思っていた自分が恥ずかしくなった。ユーグ様はフィリベルト王子よりずっと人間味あふれる、素敵な方だ。


「ロザリー、少し足を見せてもらえるかな」


 あまり嬉しくない思い出に浸ってしまっていたせいで、反応が遅れた。なんとユーグ様は言うが早いか私の傍にひざまずき、サンダルを脱がせて足を確認し始めたのだ。彼は靴擦れの具合を確認しているだけだと分かっていても、ただひたすらに恥ずかしい。


「これは、思ったよりひどくなっているね。仕方ない、部屋まで送るよ」


 送る? と私が首をかしげるより早く、ユーグ様は私をあっさりと抱え上げてしまった。両腕で私の背中と膝下とを支えるようにして、軽々と抱きかかえている。


「落ちないように、しっかりつかまっていてくれ」


 そう告げる声はとても近くから聞こえるし、体がどうしようもなく密着してしまっている。彼の体はとてもがっしりしていて固かった。こんな風に男性の体に触れたことなどない私にも、彼が意外と筋肉質であることはすぐに分かった。リエルの薄い衣越しに、彼の体温が穏やかに伝わってくる。


 不快ではない、むしろ心地良い感触ですらあったが、それゆえに余計に、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。恥ずかしくてたまらないのに、びっくりするほど嬉しくもあるのだ。


 嫌であったら拒否することもできたかもしれない。フィリベルト王子を相手にしている時のように、これが義務であるとはっきりしていれば、何事もなかったかのような澄ました顔で切り抜けることもできるかもしれない。


 でも今は、そのどちらでもない。ただひとつ分かるのは、ユーグ様は親切心からこんなことをしているのだということで、ならば拒絶するのは彼に悪い。


 結局私はがちがちに緊張したまま、ほんのり苦笑を浮かべたユーグ様に部屋まで運ばれてしまうことになった。ユーグ様の声に答えて中から扉を開けた時のジネットの顔は、しばらく忘れられそうになかった。

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