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5.鮮やかな衣をまとって

「私の服、ですか?」


 思わずそう聞き返すと、ユーグ様はおかしそうに笑いながら説明を始めてくれた。


「ああ。さっきから気になっていたのだけれど、君のその服だと、ここは暑いだろう?」


 そう指摘されて思わずぎくりとした。淑女らしく澄ました顔をしてはいるけれど、確かに暑い。暑くてたまらない。


 リエルは我がデルトよりずっと気温が高く、じっとしていても汗がにじみ出てくる。王宮の建物がやたらと開放的な作りになっているのは、風通しを良くして暑さを和らげるためなのだと、今の私にはよく理解できていた。


 首元に張り付く髪を払いながら、自分の姿を改めてじっくりと見る。私が着ているデルトのドレスは、上半身はぴったりと体に沿っていて肌を覆い隠し、腰から下はたっぷりとした布が幾重にも重なった長いスカートになっている。普段着より上等の、あちこちにレースがたっぷりとあしらわれた優雅なものだ。


「……はい、確かに、暑いです」


 恥じらいながらそう答えると、ユーグ様はまた楽しそうに笑い、自分の着ている服を指し示した。


「こちらではこういった、ゆったりとした服が主流なんだよ。でないと、暑くてやってられないからね」


 ユーグ様の服は、さっきの若者やマルセル様と同じような、鮮やかに染められた布を肩にかけて腰帯で留めたものだった。その下のズボンもゆったりとしたもので、よく見ると足元は革のサンダルだ。


「使者として若い女性が来ると聞かされていたから、いくつか服を用意しておいたんだよ。君さえよければ、そちらに着替えるといい」


「お気遣い、ありがとうございます。喜んで着替えたいと思います」


「当然のことだからね、気にしなくていいよ。せっかくだから君には快適に過ごして欲しいんだ。それに、こちらの文化を知ってもらうのにはちょうどいい」


 そんなことを言いながら、ユーグ様は私をある部屋に連れてきた。そこにはすらりと背が高く、ほっそりとしていながら肉感的な美女が、人懐っこい笑みを浮かべて立っていた。色の濃い金髪を複雑な形に結い上げて、そこに大きな赤い花を挿している。


「あなたが使者さん? あらあ、すっごくかわいい子ですね。ユーグ様もそう思いませんか?」


「ジネット、軽口はそれくらいにしてやってくれ。彼女はそういうのに慣れていないみたいなんだ。父さんと話していた時も、目を丸くしていたし」


「はいはい。私はジネット、ここの女官長を務めているの。どうぞよろしく」


 その言葉に、また目を丸くするほかなかった。我がデルト王国では、彼女のような若い女性が女官長という要職に就くことなどありえない。リエル王国は、そんなところまで型破りなのか。


「……あの、大丈夫?」


 どうやら私はぽかんとしたまま固まっていたらしい。ジネットが心配そうに眉を寄せながら、健康的に日焼けした顔を近づけてくる。かいだことのない複雑な香料の匂いが、ふわりと鼻をかすめた。


「あ、はい、大丈夫です。あの、私はロザリーと申します」


「……デルトの人って、真面目なのねえ。敵国の王宮の使用人に、こんなに丁寧に挨拶してくれるなんて。私としては、もっとざっくばらんに話してもらえる方が楽なんだけど」


「まあ、彼女もじきに慣れてくれるだろう。それではジネット、後は任せたよ」


「ええ、任されました。彼女をとびきり可愛くしてみせますから。それこそユーグ様が思わず手を出したくなっちゃうくらい」


「だからどうして、私に手を出させようとするんだ。まったく君まで、父さんみたいなことを言って」


「その方が面白いからですよ。そうですか、マルセル様もそんなことを……うふふ」


「ジネット、彼女がおびえているよ」


「あらいけない」


 大丈夫よ、怖くないからね、とまるで子供をあやすようなことを言いながらジネットが手を振ってくる。


 実のところ、私はおびえているのではなかった。ただ、二人のやり取りに呆然としていたのだ。女官長に過ぎないジネットが、王子であるユーグ様と親しく、まるで友人のように話しているのがとても信じられなかったのだ。


 デルトでは、到底考えられないことだ。常に慎ましく、一歩引いて男性に付き従うのがデルトにおける正しい女性の姿だ。本当にリエルは、どうかしている。


 ユーグ様はぽかんとしている私を優しい目で見ていたが、やがてゆっくりと立ち去っていった。また後で、と言い添えて。


 しかしそれを寂しいと思う暇はなかった。二人きりになったとみるや、ジネットが怪しい笑みを浮かべながらじりじりと迫ってきたのだ。


「さーあ、それじゃあ着替えましょうねえロザリー様」


 彼女にあの黒い影は見えない。だから彼女は危険な存在ではない。そう思いながらも、私は思わず後ずさっていた。彼女のひどく楽しげな笑みに、圧倒されていたのだ。


「あ、あの、自分で着替えますから」


「そうは言っても、リエルの服の着方、分からないでしょう? 大丈夫よ、任せてちょうだい」


 とうとう観念して、彼女に手伝ってもらいながら重たいドレスを脱ぎにかかる。その途中で、あることに気がついた。このままだと、彼女に死の呪いを見られてしまう。


 彼女は私の胸に刻まれた紋様が何なのか分からないだろう。それでもやはり、この呪いを見られたくはなかった。脱ぎかけのドレスで胸元を押さえ、どうにか死の呪いを隠そうとあがく。


「あら、綺麗なタトゥーね」


 けれど努力も空しく、死の呪いを見られてしまった。けれど彼女が最初に口にしたのは、そんな言葉だった。聞いたことのない言葉に、首をかしげる。


「タトゥー?」


「こちらではそう呼ぶのよ。肌に刻んだ紋様のことね。デルトにも同じようなものがあるのねえ。隠しちゃうなんて、もったいないわ」


「実はその、デルトではこれは隠しておくことになっているんです」


 彼女が勘違いしているのをいいことに、どうにかこうにか言い逃れを試みる。


「あら、そうだったの? でも困ったわね、用意してある服はみんな胸元が開いているから」


 彼女の後ろにずらりと並んだドレスは、どれもこれも胸元が大きく開いていた。これでは、死の呪いを隠し切れない。


「困ったわねえ。……あ、そうだ」


 そう言った次の瞬間には、もうジネットは部屋の外に飛び出していた。すぐ戻るから、ちょっとだけ待っててくださいね、という声が、廊下を遠ざかっていくのが聞こえた。


 本当に、リエルの王宮には面白い人が多い。思わずくすりと笑いながら、窓から吹き込む風に目を細めた。




 宣言通りすぐにジネットは戻ってきた。威勢の良さそうな女性たちを引き連れて。


 ひときわ派手でしゃれた衣をまとった彼女たちは私を取り囲むと、胸元の死の呪いをじろじろと見つめ、なるほどと納得している。


「ジネットの言う通り、きれいなタトゥーよね。でも隠したいっていうんなら、ここは私たちの出番ね」


 言うが早いか、彼女たちは鮮やかな布を幾枚も取り出して、驚くほどの速さで用意されていたドレスに縫い付け始めた。


 あっという間に作業は終わり、彼女たちはにっこりと笑いながら修正を加えた服を差し出してくる。ジネットがそれを受け取ると、こちらも手際良く私を着替えさせる。


 そうして身に着けた新たな服は、とても着心地が良かった。新しく縫い付けられた布はまるでスカーフのようにさらりと優雅に広がり、胸元を覆い隠していた。そのおかげで、死の呪いはきれいに隠れている。


 驚きに胸を高鳴らせながら鏡に向かい、改めて今の自分の姿をじっくりと見る。


 細かな模様が染め抜かれた桃色のドレスは、今まで着ていたものよりもずっと肌の露出が多い。少し恥ずかしかったが、とても涼しいし動きやすい。足元は、みなと同じような革のサンダルだ。


「ああロザリー様、とっても綺麗よ。最高。ばっちり」


 ジネットは大喜びで、私の周りをぐるぐる回りながらじっくりと観察している。一方、服を直した女性たちは、何故か私がさっきまで着ていたデルトのドレスを取り囲んでいた。


「これが、今のデルトの流行なのね……」


「うわ、暑そう。でもこのレースの使い方、素敵だわ。こっちの刺繍も見事だし」


「フリルの使い方もうまいわね。……あのう、ロザリー様」


 中の一人がいきなり振り向いた。思わずはい、と答えたが、その声はうわずってしまっていた。


「このドレス、私たちに少し預けてくれませんか? もっとじっくり調べてみたいんですよ」


「あっ、名乗るのが遅れました。私たちはこの王宮の衣装係です」


「デルトの意匠を取り入れられれば、もっとおしゃれな服が作れる気がするの。お願い!」


 衣装係の女性たちは、そんなことを一斉に口にしながら順に頭を下げてくる。もちろん、私には断るつもりはなかった。ドレスを貸し出すことに同意すると、女性たちは大喜びでドレスを掲げ持って退室していく。


「ともかく、これで服の問題は解決したんじゃないかしら。色とか形とか、好みがあったら彼女たちに言うといいわよ。間違いなく素敵な服を仕立ててくれるから」


 ジネットが誇らしげにそう説明する。私はこくりとうなずきながらも、どうにも不思議な気持ちだった。私たちデルトの民はリエルの民を毛嫌いして、嫌悪している。しかしリエルの民たちには、そんな様子はみじんも見られなかったのだ。


 やっぱり、リエル王国は不思議なところだ。私はこの日何度目になるのか分からないため息を、そっと漏らした。

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