49.帰る場所
そうして私たちは、デルトをむしばむ白枯病に立ち向かっていった。
祈るような思いでデルトの地図を見つめる。もしかしたら、これで白枯病が起こっている場所を見定めることができるかもしれない。そう思いながら必死に目を凝らしていると、その上にぼんやりと黒い影が見え始めた。
「ここと、ここ……それと、こちらにも黒い影が見えます。おそらく、これらの場所でも白枯病が広がり始めているのだと思います」
地図を指さしながらそう言ったが、大臣たちはまだ信じられないという顔をしていた。
「陛下から、幸福の瞳についての話をうかがってはいますが……本当に、信じられるのでしょうか」
「私は、かつてこの力でフィリベルト王子を暗殺の危機から救いました。私に見えている黒い影は、間違いなく災いを表すものです」
彼らの迷いを断ち切るように、強気な口調で言い切る。まるで自分の力を自慢しているようで少し気恥ずかしかったけれど、それを気取られないようにしっかりと大臣たちを見据えた。
「彼女は、巧妙に隠された違法な取引の証拠を一目で見つけ出したことがある。どうか、信じて欲しい」
ユーグ様があくまでも穏やかに、丁寧にそう付け加える。その後ろでは、ジネットたちが神妙にうなずいている。
戸惑いながらも、大臣たちもそろそろと首を縦に振った。その場の全員が、もう一度地図に向き直る。どちらからともなくぽつぽつと話し始め、それはやがて積極的な話し合いへと変わっていく。
まだまだぎこちなくはあったけれど、リエルとデルトの人間が少しずつ協力し始めている。そのことに思わず涙ぐみながら、私も彼らの話し合いに加わることにした。
それからは、とんとん拍子にことが進んでいった。
私が地図を見つめて黒い影を見つけ出し、大臣たちがそこに人をやって必要最低限の木を燃やす。それを繰り返しているうちに、徐々に黒い影は減っていった。
「この森なのだが……ここについては、一度リエルの方に抜けて、そちらから回り込んだ方が早いだろう。国境の草原地帯を通り抜けられるよう、リエルに通達を出そうか」
ユーグ様がそんな提案をすると、大臣たちはためらうことなく大きくうなずく。
「そうしていただけると助かります。ぜひ、お願いします」
「分かった。急いで書状を書こう。国境を守るリエルの兵にそれを見せればいい。ああ、それならいっそこちらの兵にも手伝わせた方が早いかな」
大臣たちはそんな風に、リエルの力を借りることすらあった。ユーグ様たちと言葉を交わすうちに、彼らの心の中のわだかまりはすぐに消えていったようだった。ちょうど、かつての私と同じように。
そうやって私たちが忙しくしている間、フィリベルト王子は一度も顔を見せなかった。私に蹴り飛ばされユーグ様に負け、とどめに陛下に廃嫡を言い渡されてしまった彼は、王宮を離れ遠くの離宮に引きこもっているのだと、大臣たちがこっそりと、そしてどこか楽しそうに教えてくれた。
優秀ではあったが軍事以外に興味がなく、おまけに何があろうと己の意見を貫き通すフィリベルト王子は、内政を担当する大臣たちにとっては厄介者でしかなかったらしい。軍事を担当する大臣たちには人気があったようだが、無事にリエルとの和平がなった今となっては、彼らもまた肩身が狭い思いをしているようだった。
私たちがデルトに来てひと月も経つ頃には、地図の上に浮かび上がる黒い影は全て消えていた。デルトは滅びをまぬがれ、リエルの支援のもと経済を立て直すことになった。
そうして私は、馬車に乗ってリエルの王宮に戻っていった。リエルのみんなと、ユーグ様と一緒に。
「君が一緒に戻ってきてくれるのは嬉しいのだけれど……本当に、いいのだろうか」
国境の草原地帯を越え、いよいよリエルに戻ろうかという時、隣に座るユーグ様がぽつりとつぶやいた。
「君はリエルに来てから、ずっと両親に会っていなかったのだろう? 一度、家に戻ってはどうかと思ったんだが……」
「いえ、大丈夫です。私はユーグ様と一緒にいるのだと、そう決めたんですから」
どことなく浮かない顔のユーグ様に、にっこりと笑いかけた。本当は、両親の顔を見たいとは思っていた。けれどきっと両親は、私たちのことを祝福してはくれない。
デルト王国でもとびきり保守的で、フィリベルト王子と似たような考えを持っていた私の両親。私が王子に手をあげたことで投獄されてからリエルに送り込まれるまでの間、二人は一度たりとも会いにこなかったし、手紙すら寄こしてくれなかった。白枯病と闘っているひと月の間も、同じだった。
そんな二人に、リエルの王子のもとに嫁ぎたいなどと言ったら、卒倒するか激怒するかのどちらかだ。そしておそらく、ほぼ確実に勘当される。
そのことを寂しいとは思う。けれど同時に、仕方のないことだとも思っていた。今はまだ、両親に会うことはできない。けれどいつか、リエルとデルトが理解を深め、リエルの本当の姿がデルトに広まれば。そうなれば、きっと二人の考えも少しは変わる筈だ。
いつか、二人に会いにいこう。最愛の人、ユーグ様と一緒に。もしかしたらその頃には、私はリエルの王妃になってしまっているかもしれないけれど。
そんなことを考えていたせいか、どうやら私は寂しげな顔をしていたらしい。ユーグ様が身じろぎし、私の方を向くようにして座り直した。
「……君の故郷がここデルトだということは、分かっている。そして、デルトとリエルがあまりにも違うということを、この旅の間に思い知ったよ。君がリエルに来た時にあんなに戸惑っていたのも、無理はなかった」
少し悲しげな目で、ユーグ様がじっと私を見つめる。
「だから、このまま君をリエルに連れ去ってしまっていいのか、少しだけ悩んでいるんだ。でも、ね」
ユーグ様が手を伸ばし、私の頬に触れる。その温かな感触に目を細めると、彼も小さく笑った。
「それでも、やはり君が来てくれることが嬉しいんだ。片時も離れていたくないと、そう思ってしまう。私は自分で思っていたより、欲深かったようだ」
「欲深いのは私もです。自分の身分も立場も放り投げて、この身一つであなたの傍にいることを決めてしまいました」
頬に添えられたユーグ様の手に、自分の手を重ねる。この人が、私を救ってくれた。リエルに送り込まれて一人ぼっちの私を気にかけてくれて、励ましてくれて、支えてくれて。そしてあの恐ろしい呪いから私を解放してくれて、私を愛してくれた。
小さい頃からずっと、黒い影におびえて生きてきた。人一倍怖がりで、気弱で泣き虫の私。でも、もう何も怖いものなどない。だって、ユーグ様がいてくれるから。彼のためなら、いくらでも強くなってみせる。
「だから、どうか私のことを離さないでください。ずっと、いつまでも、お傍に」
胸いっぱいに満ちる幸せを甘い吐息に変えて、そうこいねがう。ユーグ様は顔を寄せ、そっと触れるだけの優しい口づけをする。
鼻先が触れ合うほど近くで、彼は吐息交じりにささやきかけてきた。
「ああ。もう何があっても、君を離しはしない。きっとこれからも色々なことがあるだろうが、二人で一緒に乗り越えていこう」
そのままユーグ様は私を抱き寄せる。大きく開けた窓から吹き込む温かい風は、懐かしい香りをはらんでいた。
「帰ろう、ロザリー。私たちの家へ」
行く手に見える色鮮やかな街並みを見ながら、私はゆっくりとうなずいた。
ここで完結です。読んでいただいて、ありがとうございました。
下の星の評価などいただけると、今後の励みになります。
これからもまた色々な話を投稿していく予定ですので、よければそちらもよろしくお願いいたします。




