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42.喜ばしくない再会

 リエルとデルトの国境を越え、デルトの王都を目指して馬車はひた走っていた。街道を進む私たちの行く手に、デルトの街並みが小さく見えている。子供の頃からなじんでいる筈のそれは、記憶にあるものよりもずっと色あせているように思えた。そんな風に思えてしまうのは、私が色鮮やかなリエルにすっかりなじんでしまったからなのかもしれない。


 国境から王都までは何日もかかる。途中の宿は、全てフィリベルト王子が手配してくれていた。フィリベルト王子の性格からすると、罠の一つも仕掛けられていてもおかしくはない。そう思うと、とても落ち着いて休むことなどできなかった。どこかに黒い影があるのではないかと、宿に着くたびに隅から隅まで点検せずにはいられなかった。


 そんなことを繰り返していたせいでどうしても寝るのが遅くなり、その分馬車の中で居眠りすることも多くなっていた。ユーグ様はそんな私に肩を貸して、ただ優しく見守ってくれていた。


 すれ違う街の人々、宿の者たち。デルトの民たちは、私たちのことを何とも言えない目で見ていた。好奇と不安、戸惑いがないまぜになった視線を受けても、私は胸を張って堂々としていた。


 これが、リエルの本当の姿だ。デルトの民たちが悪しざまにののしり、恐れているリエルだ。ユーグ様たちをしっかりと見て、そして真実を知ればいい。そんなことを思いながら。


 王都が近づくにつれて、気温が少しずつ下がり始めた。雨戸を閉め、上着を羽織る。衣装係たちは用意周到に、この新しいドレスに合わせた色鮮やかな外套も用意してくれていた。


 そうして私たちは、とうとうデルトの王宮に足を踏み入れた。






 どこか気味悪そうにしている出迎えの兵士に続き、王宮の廊下を歩く。今までに幾度となく歩いたその廊下は、ひどく寒々としていた。


 ここはこんなにも息苦しい場所だったろうか。こんなにも色のない、寂しい場所だっただろうか。さっきから寒気がするのは、気温のせいだけではないような気がする。


 不安を感じて、隣を歩くユーグ様をそっと見上げる。リエルの王子であることは伏せているし、服装もいつもよりずっと質素なものだが、その黒髪はいつも通りに首の横で結わえられている。胸元に流れる髪が、彼のゆったりとした足取りに合わせて揺れていた。


 私の視線に気づいたらしく、ユーグ様が目だけを動かしてこちらを見た。無言のまま小さく微笑み、また前を向く。そんなささいなことで、私の心はまた落ち着きを取り戻していた。


 けれどそれもつかの間のことだった。前を行く兵士が足を止め、ひざまずく。私たちの行く手に、フィリベルト王子が立っていた。いつものように、どこぞの令息たちや文官たちなど、多くの人間を従えて。


 色素の薄い整った顔に、すらりとした立ち姿。ほとんどの令嬢が見惚れるであろうその姿に、今の私は嫌悪感しか覚えなかった。彼は相変わらず、黒い影をまとっている。恐ろしいことに、彼の背後に控えている人間たちにもうっすらとではあるが黒い影がまとわりついていた。思わず肩に力が入る。


 フィリベルト王子は私の姿を見ると、ほんの少しだけ目を見張った。私たちを順に見渡し、また私に視線を移す。礼儀正しいその態度は、他国の使者を迎えるにふさわしいものだった。そのことが、逆に気味が悪かった。


「もしかして君がリエルの使者なのか、ロザリー」


「……はい」


 彼のことは怖い。かつて私に向けた、醜くゆがんだ残忍な笑みを忘れることは決してできない。けれど、今の私にはユーグ様がいる。ユーグ様のために、強くなると決めたのだ。いつまでも、怖がってはいられない。


「私は、災いを見ることができます。……かつてのお茶会で、あなたに手をあげたのもそれが原因でした」


「つまり、君であれば白枯病を食い止めることができると、そういうことなのだな」


「……はい」


 フィリベルト王子の声に、少しずつ喜びのようなものがにじんでいる。けれどそれは、これでデルトが救われるという、そういった理由だけではないような気がした。何か、別の思惑があるような、そんな気がしてならない。


 そもそも、彼はどうしてこんな廊下で私たちを出迎えたのだろうか。客人を迎えるための部屋はもう目と鼻の先だし、こんなところで立ち話をするよりもそこに通すのが筋というものだろうに。


 どんどん強くなる不安に身構えていると、フィリベルト王子は優雅に手を差し伸べてきた。


「ロザリー、君がリエル側からの使者だというのなら、リエル王の書状を持っている筈だろう。確認させてくれないか」


 彼の言う通り、私はマルセル様からの書状を携えている。大切に携えていた書状を取り出し、フィリベルト王子に渡そうと前に進み出る。


 けれど、フィリベルト王子は書状を受け取らなかった。彼は差し伸べたままの手を伸ばし、乱暴に私の手首をつかんできたのだ。後ろで、ユーグ様たちが息を呑む気配がする。


「行け、奴らを取り押さえろ!」


 私の手をしっかりとつかまえたまま、フィリベルト王子が叫ぶ。それを合図に、彼の後ろに控えていた人間たちが一斉に走り出した。私の横をすり抜け、後ろのユーグ様たちのほうに向かって。


 彼らの動きは、ただの令息や文官とはとても思えないやけに機敏なものだった。統率がとれたその足取りは、かつて妃教育を受けているときに見た軍の教練を強く思い起こさせるものだった。


「……もしかして彼らは、変装した兵士……」


「ああ、お前はやはり利発なのだな、ロザリー。しかしそれは、女には不必要な賢さだ。いっそ男に生まれていればよかったのにな」


 呆然とした私のつぶやきに、愉快そうにフィリベルト王子が答える。彼はもう、王子としての礼儀正しい態度をかなぐり捨てていた。


 変装した兵士たちは私とユーグ様たちとの間に割り込み、そのままユーグ様を取り囲んでいた。いつの間にやら、ユーグ様たちの背後からは増援の兵士まで現れている。


「生け捕りにするのだぞ。奴らには色々と聞き出したいことがあるからな」


 そんなフィリベルト王子の命令に従っているのか、デルトの兵士たちは剣を抜いてはいなかった。ただ圧倒的な人数にものを言わせて、ユーグ様たちにてんでにつかみかかり、その動きを封じている。


「どっ、どうしましょう、アンリ様!?」


 廊下いっぱいに詰まった人の群れのどこかから、困惑したレミの声が聞こえた。


「剣は抜くな、体術で何とかしろ!」


 焦りのにじんだ声で、ユーグ様が叫ぶ。彼のもとに戻らなくては。そう思い、フィリベルト王子の手を振り払おうとする。けれど腕力の差は絶望的で、私の手をつかんだ王子の手はびくともしない。黒い影をまとった彼の手が私の手首に食い込んでいるさまは、あの魔法の腕輪を思わせた。


 必死にもがき続ける私に、フィリベルト王子の楽しそうな声がじわじわと忍び寄る。


「さあ、ロザリー。お前にはこちらに来てもらおうか。邪魔の入らないところで、ゆっくりと話がしたいからな」


「嫌です、離してください!」


「ほう、ずいぶんと強気だな。以前のお前なら、私に口答えすることなどなかっただろうに。身の程を思い知れ、罪人が」


 フィリベルト王子は片手で私の手首をつかんだまま、反対側の手で私の頬を打つ。かつて私が彼に食らわせてしまったものと同じ、平手打ちの音が廊下に響く。けれどそれは、兵士たちの立てる音にすぐにかき消されてしまった。


 打たれた頬がじんじんと熱い。きっと以前の私なら、ただ涙目でうつむくだけだったろう。けれど今は、人前で侮辱されたことに対する憤りがふつふつと湧き上がっていた。


 そんなことを考えているうちに、どうやら私は王子をにらみつけてしまっていたらしい。王子の端正な顔が、怒りに赤く染まっていく。


 彼はそれ以上何も言わず、いきなり私を抱え上げてしまった。ユーグ様、助けてください。そう言いかけて、口をつぐむ。視界の端に、恐ろしいほどたくさんの兵士に囲まれてもみくちゃにされているユーグ様の姿が、ちらりと見えた。今の彼には、こちらを見る余裕すらないようだった。


 自分の力で、王子から逃れなくては。そう思い、もう一度全力でもがく。しかし王子は私を抱えた腕で、そのまま私の髪をつかんで乱暴に引っ張った。鋭い痛みが走って、涙がにじむ。


「運びにくい、動くな。抵抗するならその髪を引きむしるぞ」


 必要とあらば、彼はためらいなくそうする。彼のそんな気性を嫌というほど分かっている私は、もうこれ以上抵抗することはできなかった。どこに運ばれるのか分からないが、今は耐えるしかない。きっと、そのうち逃げ出す好機がくる筈だ。


「ようやっとおとなしくなったか。まったく、手をかけさせてくれる」


 そうやって私を肩に担いだまま、王子は壁の装飾に手を触れる。壁の一部が音もなく開き、その向こうに隠れていた薄暗い通路が姿を現した。隠し通路だ。存在だけは聞いたことがあるけれど、実物を目にするのは初めてだ。


 王子はためらいなく通路に足を踏み入れる。すぐに壁は閉じて、廊下の喧騒が嘘のように静かになった。


 ちらちらと揺れる蝋燭の火に照らされた通路を、王子に担がれて荷物のように運ばれながら、私はただ静かに祈っていた。


 どうかユーグ様が、リエルのみんなが無事にあの囲みを抜けられますように。こんな状況になっても、私が考えていたのはそんなことだった。連れ去られていく自分のことよりも、彼らのことの方がずっと気がかりで仕方がなかったのだ。

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