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40.白い災い

 私たちが王宮に戻ってきてから数日、私はほとんどユーグ様と顔を合わせることなく過ごしていた。ジネットによれば、今彼らはデルトについての調査で忙しくしているらしい。


 彼に会えないことは寂しかったけれど、そんなことを聞かされてしまったらもう何も言えなかった。元はと言えば私の祖国であるデルトがリエルに戦争を仕掛けているのが悪いのだし、今の奇妙な沈黙が気になっているのも事実だったから。


 そうやってのんびりと部屋でおとなしくしていたある日、私はマルセル様に呼び出された。




「ちょっと、ううん、かなり言い出しづらいんだけどね」


 マルセル様が珍しく難しい顔をして、そわそわと視線をさまよわせている。同席していたユーグ様とカロリーヌ様も、揃って口を閉ざしていた。すぐ横に座っているジネットも、既に話の内容を知っているのか静かにうつむいていた。


「デルトの今の状況について、つてをたどってくわしく調べてみたんだよ。ちょっと、まずいことになっているみたいだね」


 まずいこと、というのはどういうことなのだろう。お父様は、お母様は、無事だろうか。聞きたいことはたくさんあったが、じっとこらえてマルセル様の言葉を待つ。けれど彼の口から語られたのは、思いもかけないものだった。


「君は『白枯病』を知っているかな」


 驚きながらも、こくりとうなずく。白枯病というのは樹木の流行病で、これにかかった木はものの数日で枯れて真っ白になってしまう。伝染力の強い、とても恐ろしい病だ。この病のせいで森林が消え去り、それにより滅んだ国は一つや二つではないと、そう聞いている。


「……もしかして、デルトに白枯病が?」


 恐る恐るそう尋ねると、マルセル様は重々しくうなずいた。


「あの病は、ある程度広がるまでは見つけにくいから……たぶんもう、それなりの範囲に広がってしまっているんだろうね」


 マルセル様は気遣うような目でこちらを見ると、小さくため息をついた。


「君は、フィリベルト王子が戦争の準備をしていると言っていたけれど……おそらくあちらは、それどころではなくなっているんだと思うよ。だから、国境の軍を引かざるを得なくなってしまった」


 悲しそうな表情で、カロリーヌ様が言葉を付け加える。


「デルトと国交のないわたしたちですら、すぐに白枯病の情報をつかむことができた。それくらい、デルトは深刻な状況にあると見ていいわ」


「リエルとデルトの国境は草原地帯だから、こちらまで白枯病が広がるおそれはない。だが……」


 ユーグ様が痛ましげな目をこちらに向けてきた。けれどかける言葉が見つからないのか、それきり口を閉ざしてしまう。ずしんと心が重くなるのを感じ、目を伏せる。


 祖国の危機を、私はこうしてリエルで見ていることしかできない。いや、たとえ私がデルトにいたとしても、できることなんてろくになかっただろう。私はただの公爵家の娘で、フィリベルト王子の子をなし王家の血筋をつなぐ、ただそのためだけの道具でしかなかったのだから。


 妃教育だって、形だけのものでしかなかった。私には何の力もなかった。どこにいても、何もできないことに変わりはない。


 駄目、そんな風に考えていたら。ユーグ様のためにも強くなるって、そう決めたんでしょう?


 小さく縮こまっていく弱い心を、叱り飛ばす。その瞬間、あることに気がついた。


「あの、私……デルトに、行きたいです」


 デルトに戻る、ではなくデルトに行く、という言葉が出てきたことにほんの少し苦笑しながら、みなの顔を順に見渡す。


「『幸福の瞳』である私なら、白枯病を止めることもできるかもしれません」


 白枯病を止めるには、白く枯れてしまった木と、枯れている途中の木を全て燃やしてしまえばいい。けれど枯れている途中の木は、普通の木と区別がつかない。だから白枯病が出たならば、森を丸ごと焼き払うしかない。


 でも、私なら。きっと私なら、その木を見分けることができる筈だ。


 私の考えていることに思い至ったらしく、みなが驚いた顔をした。


「確かにあなたなら、デルトを救うことができるわね」


 カロリーヌ様が、可愛らしい手をぱんと打ち合わせた。


「うん、僕もデルトを救うことに異論はないよ。正直言って、デルトが滅んでしまうとこっちも大変なことになるんだよね。ほら、難民とか。保護するのはいいんだけど、そうすると仕事がまた増えちゃうからね……これ以上徹夜したくないしなあ」


「マルセル様、本音が出ちゃってますよ。でも、私も同感です」


 深刻な空気を振り払うようにおどけてみせるマルセル様と、あいづちを打つジネット。カロリーヌ様もつられるようにして微笑んだ。


「……私は反対です」


 なごみ始めた空気を凍りつかせたのは、ユーグ様のそんな一言だった。


「ロザリーの身の安全が保障できない以上、デルトに戻らせる訳にはいきません」


 ユーグ様は青い瞳に悲しげな色をたたえて、こちらを見る。


「おそらくデルトのフィリベルト王子は、彼女が死の呪いにより命を落としたと思っているでしょう。そんなところに彼女がのこのこと戻れば、王子は彼女に何があったか聞き出そうとするに違いありません。彼の今までのやり口を思えば、穏便にはいかないでしょう」


 反論できずに、ぐっと唇を噛む。そんな私の代わりに、マルセル様が口を開いた。


「まあ、そうなんだけどね。そこはこちらの交渉次第ってやつじゃないかな? ちょうどいい塩梅にデルトは弱っているみたいだし、いくらでもやりようはあるよ」


 マルセル様の声が一瞬低くなる。その底知れぬ深さに、思わず息を呑んだ。


「それでも、危険は残ります」


「強情だねえ。そんなにフィリベルト王子のことが許せないのかい?」


「……許せる筈などないでしょう。王子が、彼女にしたことを思えば」


 そう答えたユーグ様の声は、今まで聞いたことがないほど低く、煮えたぎるような怒りをにじませていた。マルセル様も困ったように眉をひそめたっきり、口を閉ざしてしまった。


 気まずい沈黙が、部屋に満ちた。ユーグ様は私のことを思って、私の提案に反対してくれている。その気持ちは涙が出るくらい嬉しかった。


 でもそれならなおさら、私は彼に釣り合うくらいに強くなりたかった。もう私は、黒い影におびえて目を背けるか弱い令嬢ではない。自分一人の身の安全のために、救えるかもしれないものを見捨てるなんて、そんなことはできない。


 けれど私にできることは、ただ災いを見ることだけだ。私一人でデルトを救うことはできない。


 顔を上げて、ユーグ様をまっすぐに見つめた。今までにユーグ様からもらった勇気をかき集めて、口を開く。


「お願いです、ユーグ様。私に力を貸してください」


 その場の全員が、一斉にこちらを向いた。一瞬ひるみそうになりながら、言葉を続ける。


「私がデルトに戻れば、きっと危険な目に合うでしょう。それでも、デルトを救いたいのです。私一人ではできません。だからどうか、あなたの力を貸して欲しいのです」


 ユーグ様の目がはっと見開かれる。こわばっていたその顔が、ゆっくりと微笑みの形を取った。


「……だってさ。こんな風に頼られてしまったら、もうやるしかないよね。そうだろう、ユーグ?」


 この上なく嬉しそうに、マルセル様が茶化す。ユーグ様は苦笑でそれに答えた。


「ええ、そうですね。ほかならぬ彼女に頼まれてしまいましたし、私は彼女の願いをかなえるために全力を尽くしましょう」


 さっきはあれほどかたくなに反対していたユーグ様が、あっさりと態度を変えている。いつも通りの穏やかな雰囲気をまとった彼をぽかんと見つめていると、彼はこちらに優しく微笑みかけてきた。


「あの……ありがとう、ございます」


 あまりにもあっさりと説得が成功してしまったことに拍子抜けしながら、そんなことを口にする。


「いいんだ。ここで君を行かせなかったら、きっとお互い後悔するだろうからね」


 そう言うと、ユーグ様は軽く首をかしげた。緩やかに波打つ黒い髪が、ふわりと揺れる。


「何があっても、君のことは私が守る。だから君は、祖国デルトを守ってやるといい」


 力強いその言葉に、思わず彼に見惚れてしまった。カロリーヌ様がくすくすと笑っている。


「言うようになったじゃない、ユーグ。ロザリーはあなたに惚れ直したみたいよ、良かったわね」


「もしそうならとても嬉しいですね。私は、何よりも彼女に嫌われたくないので」


 明らかなからかいにも、ユーグ様は落ち着いて答えている。カロリーヌ様は目を丸くして、まあ、とつぶやいていた。


「さあ、そうと決まれば作戦を練ろうじゃないか。ロザリー、君も作戦会議に加わってくれるね?」


 マルセル様が弾んだ声で片目をつぶる。少しだけ気分が高揚しているのを感じながら、私は彼らの話し合いに加わった。






 私たちの話し合いから数日後、リエルからデルトに一通の書状がもたらされた。


 その書状は停戦の使者を送ってくれたことへの感謝から始まり、デルトを災いが襲っていることを風の噂に聞いたことが記されている。そして、その後にはこうつづられていた。


『我がリエルから、改めて使者をそちらに送りたい。白枯病を止めることのできる、幸福の瞳と呼ばれる者だ。きっと、貴国の助けとなるだろう』


『そのために、改めて停戦の協定を結ぼうではないか。貴国が敵国ではなく友好国となれば、我らリエルは何のしがらみもなくそちらを手助けすることができる』


 マルセル様の署名がされたその書状を、フィリベルト王子はどんな思いで読むのだろうか。考えるだけで背筋が凍ったが、そのたびにユーグ様は私の頭を優しくなでて、「大丈夫だから、ゆっくり待とう」と言ってくれた。


 そうして待つことしばし、ついにデルトからの返事がやってきた。

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