4.型破りな二人
「ロザリーか、いい名だね」
私の名を聞いたユーグ様が、マルセル様との言い合いをやめてこちらを向いた。ほんの少し目じりが下がった穏やかな面差しに、優しい笑みが浮かんでいる。
思わずどきりとしながらユーグ様の方を見たとたん、今度はマルセル様がにやにやしながら口を挟んできた。
「おやユーグ、珍しくでれでれしてるようじゃないか。やっぱりお前も美人には弱いのかな」
すぐにユーグ様が反論する。彼はあきれたように目を細めて、肩をすくめていた。
「でれでれだなんて、人聞きの悪い。初対面の女性に礼儀正しく接するのは当たり前でしょう」
「うんうん。でもね、お前はいつになく緩んだ顔をしているよ。そんなところは初めて見たね」
「そういう父さんも、顔が緩んでいますが」
「仕方ないだろう。美人なお嬢さんが嫌いな男なんていないんだから」
「……母さんに言いつけますよ」
「それだけはやめてくれ!」
王と王子の会話とはとても思えない自由で楽しげなやり取りに、私はただ呆然としながら二人を眺めることしかできなかった。
ようやく我に返り、大急ぎで二人の間に割って入る。まずは、ここにきた表向きの用件を済ませてしまわなくては。放っておいたらこの二人は、いつまでもこの調子でやりあってしまうような気がする。
「あの、お話し中のところ申し訳ありません。こちらの書状を受け取ってはいただけないでしょうか」
「もちろんだよ、ロザリー。……でもね、できればもうちょっとざっくばらんに話してくれると嬉しいなあ」
「父さん、ですからそれは性急すぎると、さっきから言っているでしょう。また彼女が困っています」
相変わらずにぎやかに言い合いながらも、マルセル様は私が差し出した書状を受け取ってくれた。空中で広げたそれを、二人一緒にのぞきこんでいる。
「ふーむ……『両国の争いを終わらせるための最初の一歩として、使者をそちらに送りたい。使者が実際にそちらで暮らし、様々なものを見聞きすれば、それは両国の相互理解につながると私は考えている』か。まあ、それはそうだよね」
「差出人は、デルトの王子フィリベルト殿ですか……彼の言い分にも、一理あるようには思えますが……」
「おや、お前もそう思うかい? まあせっかくこうやってわざわざ来てくれたんだし、ロザリーを手ぶらで帰しちゃうのも申し訳ないよねえ」
マルセル様はそう言うと、満面に笑みを浮かべて突然こちらに向き直った。ずっとはらはらしながら二人の話を聞いていたせいか思わず飛び上がりそうになったが、何とか怪しまれずに済んだようだった。
「つまり僕たちは、君をここに滞在させて、色んな体験をさせてあげればいいんだね?」
「そうしていただけると、助かります」
礼儀正しく頭を下げてそう言いながら、こっそりとため息をつく。これで、フィリベルト王子の思惑通り、私は敵国リエルの王に近づくことができそうだ。
後はどうにかして彼を殺すことができれば、私は祖国に戻れる。胸に刻まれた死の呪いも解いてもらえる。私が生き延びるには、この道しかない。そして今のところ、順調にことは運んでいる。
けれど、と唇を噛みながらそっと胸を押さえた。死の呪いが刻まれた、心臓の真上を。
彼らとは今出会ったばかりだ。私は彼らについて何も知らない。でも、私はこう思わずにはいられなかった。マルセル様を、殺したくないと。
フィリベルト王子に密命を言い渡された時は、敵国の王の命を奪うということについてさほどためらいはなかった。リエルの王、それは我がデルトに戦を仕掛けている、野蛮な敵国の総大将なのだ。彼を殺すことができればデルトに平和が訪れるのだと、何の疑いもなくそう信じていたから。
けれど実際に目にしたリエルは、想像とはまるで違っていた。憎むべき敵国の総大将は、お茶目で快活で自由な、少し変わった男性だった。
マルセル様を殺さなければ、私は祖国に帰れない。けれどこの楽しそうな男性を手にかけるのは、とてつもなく恐ろしいことのように感じられた。もし私が密命を果たしてしまったら、ユーグ様はどれほど悲しむのだろう。
混乱してうまくまとまらない考えから目を背けるように、のろのろと目線を下げた。左手首にはめられた魔法の腕輪が、自己主張するように金色に光る。この腕輪と、死の呪い。これらがある限り、フィリベルト王子の手から逃れることなどできない。どれほど迷ったところで、私には密命を果たす以外の道なんてない。
冷たい絶望が胸の中を吹き荒れる。ぼんやりと顔を上げると、二人はまた熱心に話し込んでいた。
「……それにしても、デルト王国の王子が和平についてこれほど真剣に考えているとは思いませんでした」
ユーグ様がしみじみとつぶやく。その言葉を否定したくてたまらなかった。フィリベルト王子は日頃、敵国リエルなど一人残らず滅ぼしてしまえと口癖のように言っていたのだ。和平をにおわせたのは、暗殺者に仕立て上げた私をここに送り込むための口実でしかない。
けれどそれを口にする訳にはいかない。もし口を滑らせてしまえば、私は死の呪いによって亡き者にされてしまうから。
「和平についてはお前もずっと考えていただろう。ああ、やっぱり国なんてものは柔軟性のある若者が治めるべきなんだねえ、僕みたいな年寄りよりも。ねえ、いい加減王位をもらってくれないかな?」
「私はまだ、王として国を治めるのにふさわしい力は持っていませんよ。王位を譲るのは、私がもっと色々なことを学ぶまで待ってください」
「そう言って、お前はいつまでも僕を働かせようとするんだから……早く隠居して、毎日釣りざんまいの生活をするのが僕の夢なんだって、いつも言っているよね」
「この国にはまだまだ父さんが必要なんです。隠居はもうしばらくお預けですね」
「うう……息子が冷たい……」
余計なことを口走らないように唇を固く引き結んだ私の目の前で、二人は和やかに言い争いをしていた。とてもいい笑顔で、とても仲良く。
不意に、デルト王国でのことを思い出した。まだ私がフィリベルト王子の婚約者だった頃、陛下と王子が話しているところに出くわしたことがあるのだ。
デルトの王は体が弱く、フィリベルト王子に早く王座を譲りたいと考えていた。だから王子に王として必要なことを学ばせようと必死になっていた。けれどフィリベルト王子はそんな陛下の望みをはねつけ、軍事以外の政務を全て放り出していたのだ。
あの時の二人のやり取りは過度に礼儀正しく、よそよそしくて冷たいものでしかなかった。目の前の二人の間に流れているような、温かな空気はみじんもなかった。
やはりこの二人は変わっているのかもしれない。そしてそんな二人に、私は親近感を抱き始めている。そんな思いを抱いてしまったら、余計にこの先が辛くなるだけなのに。
そう思いながらも、優しい笑みを浮かべてこちらを見たユーグ様に、微笑み返さずにはいられなかった。
無事に用件を済ませた私は、ユーグ様に連れられてマルセル様の部屋を出た。どうやら今度は彼の方が、私に何か用事があるらしい。
しかし部屋の前には、そこで待っているはずの従者と若者の姿がなかった。どこに行ったのだろう、と思いながら首をかしげていると、君の従者はもう客室に通してあるから安心してくれ、と間髪入れずユーグ様が説明してくれた。
私が尋ねるよりも早く、私の疑問を正しく見抜いて、答えを返してくれる。ユーグ様はどうやら聡明な方のようだ。
広い廊下を、今度はユーグ様に案内されながら歩く。彼は背が高く、しっかりとした骨格が服の上からでも見て取れる。身にまとっている鮮やかな青い布が動きに合わせてはためく様は、どこか海の波を思わせた。デルトの海は、ここまで鮮やかな色をしていないけれど。
「君には、少しずつこの国に慣れていって欲しいと思っている。だが一つだけ、急いで片づけておきたいことがあるんだ」
「はい、何でしょうか」
「君の服だよ。……リエルの衣は、きっと君にもよく似合うと思うよ」
そう言いながら振り返ったユーグ様の素晴らしく青い目は、マルセル様とよく似た楽しげな光をたたえていた。




