36.解放されて
「ひとまず、お前たちの思いがちゃんと通じ合ったことは、めでたいんだけど」
私たちの様子を見守っていたマルセル様は、なぜか少し難しい顔をしている。困ったような、納得したような、なんとも微妙な表情だ。
「ユーグ、あなたまさかずっと、自分が片思いしているとでも思っていたの?」
カロリーヌ様はその細い腰に両手を当て、胸を張ってユーグ様をにらんでいる。できの悪い子供をやんわりとたしなめるような、そんな口調だった。
「思ってたんでしょうねえ。ロザリー様がユーグ様のことをどう思っているかなんて一目瞭然だったのに、当の本人だけが気づいていないだなんて。笑い話ですよね、もう」
ジネットが首を横に振りながら肩をすくめ、あきれたように大きくため息をついている。その口元には大きな笑みが浮かんでいた。
三人はそのまま顔を見合わせると、同時にこちらを向いた。抱き合ったままの私たちを見て一斉に笑顔になる。どこか晴れ晴れしい顔をしたまま、マルセル様がしみじみと言った。
「でもまあ、無事に二人が結ばれたんだし、細かいことは言いっこなしにしようか」
二人が結ばれた。その言葉に、今さらながら恥ずかしさがこみあげてきた。混乱していたとはいえ、さっきの私はなんてことを言ってしまったのだろう。勢い余ってユーグ様に告白してしまうだなんて。
前にジネットに思いを告げてしまえとそそのかされた時に、「考えておく」とは言った。けれど実際のところ、告白するつもりなんてこれっぽっちもなかった。あんなことでもなければ、この思いを表に出すことなんてなかったのに。
あわてふためきながら、ユーグ様から離れようと力なくもがいた。もっと彼の温もりを感じていたいという思いもあったけれど、今はそれよりも恥ずかしさが勝っていた。
けれど意外にも、彼はしっかりと私を抱きしめたまま口を開く。彼の声があまりにも近くて、めまいがしそうだった。
「……三人とも、あまりからかわないでもらえますか。そうはやされると、さすがに恥ずかしいので」
「恥ずかしいと言われても、説得力がないよ。お前、彼女をがっちりと捕まえたままじゃないか」
マルセル様がそう指摘すると、ユーグ様は弾かれたようにこちらを見た。その顔が赤い。彼はすぐに目を丸くするとぱっと腕を離し、私を解放した。
「済まない、つい勢いで無作法な真似をしてしまった」
「いえ、私の方こそ……」
お互い具体的なことは口にしないまま、あいまいに謝罪の言葉を口にし合う。そんな私たちを見たマルセル様が、やれやれと言わんばかりに苦笑する。そのまま振り返り、礼儀正しく後ろに控えていた老人に声をかけた。
「ところで、これでもうロザリーが呪いのせいで死ぬことはなくなったんだね?」
「はい。呪いを分割する術式は、間違いなくかかっております」
その言葉に、思わず自分の胸元に目を落とす。死の呪いを包み込むような淡い光は、相変わらず優しく脈打っていた。
マルセル様はこちらを見て優しく笑った後、少しばかり申し訳なさそうに口を開く。
「だったら、そんな物騒な呪いをかけられたいきさつについて詳しい話を聞かせてもらいたいんだけど、駄目かなあ。やっぱり気になるんだよ」
「さっきあなたが口をつぐんでいたのは、呪いの発動を恐れてのことでしょう? 今ならもう、大丈夫よ。何かあっても、ユーグがいるんだし」
「確かに、ユーグ様が少しばかり痛い目を見るだけですしね。ロザリー様からの愛を得るための代償と思えば、安いものですよね」
口を挟むカロリーヌ様とジネットを、ユーグ様がため息をつきながら見ていた。やがてこちらを向いて、戸惑いがちに口を開く。
「……どうか、話してくれ。そうして死の呪いを発動させてくれないか」
思いもかけない言葉に、目を丸くして彼を見る。
「発動してしまえば、君の胸に刻まれたその紋様も消え去る。そうすれば君は自由になれる。君がいつまでも呪いに縛られているのは、嫌なんだ」
ユーグ様のそんな言葉を聞いても、まだ私は迷っていた。この死の呪いについて説明するのなら、フィリベルト王子の真意について話さざるを得ない。彼に和平の意思がない、それどころかリエルを攻め滅ぼすつもりでいることを、目の前の優しい人たちに告げるのは気が重かった。
「やっぱり怖いかな。私がついているから、安心して」
きっと私が死の呪いを恐れていると勘違いしたのだろう、ユーグ様がそんな風に声をかけてくる。
すぐ隣に立っているユーグ様を、もう一度見上げる。いつもと同じ鮮やかな青い瞳が、柔らかな光をたたえてこちらを見つめていた。彼がいれば、きっと大丈夫だ。そう素直に信じられた。
ユーグ様にうなずきかけて、マルセル様に向き直る。みなが口をつぐみ、じっと私を見た。呼吸を整えて、一息に言い切る。
「……私は、フィリベルト王子の密命により、マルセル様を暗殺するためにここに送り込まれました。その密命から逃げ出さないように、呪いをかけられたんです」
次の瞬間、心臓を直接握りつぶすような痛みが走った。今まで感じたことのない強烈な衝撃に、息をすることすらできない。足先から冷たさが駆け上ってきて、目の前が暗くなる。とても立っていられなくて、床に崩れ落ちるようにして座り込んだ。
苦痛にぼやける視界の中に、美しい青が飛び込んでくる。ユーグ様の服の色だ、そう思った時にはもう、私はすっぽりとその青に包まれていた。先ほどとは違う、力任せの抱擁。
死の呪いが分割されるというのは本当だったらしい。ユーグ様も私と同じように床に膝をつき、苦しみに耐えているようだった。触れている体越しに伝わってくる彼の呼吸はひどく荒かったし、その腕ははっきりと震えていた。
彼に呪いの半分を受け持たせてしまったことに感謝と苦悩を覚えながら、私も彼の背中に手を回し、ありったけの力をこめて抱きしめた。私の体温が、少しでも彼の苦しみを和らげてくれるといい。そんなことを思って。
そうやって固く抱き合ったままどれくらいの時が経ったのだろうか。気がつくと、もう痛みも寒気も苦しさも、全て消えていた。長い間伏していた病の床からようやく起き上がれた時のような、ぬるい気だるさだけが全身を満たしている。
呆然としたまま顔を上げると、そこには弱々しい笑みを浮かべたユーグ様の顔があった。震える手を伸ばして、彼の額に浮いていた脂汗をそっと拭い去る。驚くほど体が重く、たったそれだけの動きで息が上がりそうになっていた。
ユーグ様はゆっくりと呼吸を整えると、一言ずつ確かめるように言葉を吐き出した。
「……ロザリー、無事、か」
「はい。ユーグ様こそ……」
言いたいことはたくさんあるのに、うまく言葉にならない。体は重いし、頭はうまく動かない。
「大丈夫だ。それよりも……」
ユーグ様の目線がのろのろと下がる。つられて自分の胸元に目をやると、そこにはもうあの禍々しい死の呪いは刻まれていなかった。あっけにとられたまま、食い入るように、祈るように胸元を見つめ続ける。そうしているうちに、ようやっと実感がわいてきた。もう、あの呪いは私を縛り付けてはいないのだ。
「私、死ななくてもいいんですね……良かった……」
ほっとしたせいで気が緩んだのか、意識がゆっくりと薄れていく。とっさに床に手をつこうとしたけれど、腕にうまく力が入らなかった。そのまま倒れこむ私を、温かな腕がまた捕まえる。
もう大丈夫だ。心からの安心感に包まれながら、私はゆっくりと目を閉じた。




