35.思いもかけない希望
ついに、呪いのことがばれてしまった。悲鳴を飲み込みながら思わず口を押さえる私のところに、マルセル様とカロリーヌ様が素早く近づいてくる。
「なんだか今、とんでもない言葉が聞こえた気がしたんだけどね」
「説明してもらえないかしら、ロザリー?」
ユーグ様を押しのけるようにして詰め寄る二人に、黙って首を横に振る。うっかり余計なことを喋ってしまわないように、両手で口をしっかりと塞いだまま。
「……リエルの王として、和平の使者である君に命じる。その呪いについて、説明してくれ」
驚くほどの威厳をまとったマルセル様が小声で、しかし厳しく言う。けれど、どうあっても話せないことに変わりはない。私は泣きたいのをこらえながら、ただひたすらに首を横に振り続けることしかできなかった。
「……やっぱり、話せないのね。その呪いのせい?」
慈母のように穏やかな瞳で、こちらを気遣うようにカロリーヌ様が言う。私はぴたりと動きを止めると、恐る恐る首を縦に振った。ありがたいことに、死の呪いは沈黙したままだった。
「ならばまずは、その呪いを何とかするしかない。ロザリー、私たちに任せてくれないか」
さっきまでふらついていたのが嘘のように、しっかりとした声音でユーグ様が断言する。
呪いを何とかする。そんなことが可能なのだろうか。呆然とする私の背中を、ジネットがそっと支えてくれた。
そうして宴の席を離れた私たちは、全員でマルセル様の部屋に集まっていた。あの白髪の老人も一緒だった。先ほど死の呪いについて言い当てた彼は、ここリエルの宮廷魔導士なのだそうだ。
彼らはてきぱきと椅子を用意し、向かい合うように並べた。その片方にユーグ様が腰を下ろす。状況が分からずにうろたえていると、ジネットが私の腕を引っ張って空いた椅子に座らせた。
「……それでは、これより呪いを分割するための術をかけましょう」
そう静かに宣言すると、老人は私とユーグ様の手を取り、口の中で何事かつぶやき始めた。死の呪いが刻まれた胸元と、老人が触れている手がひどく熱い。我慢できないほどではないが、とても恐ろしい。
首をすくめたまま顔を上げると、いつものように穏やかに微笑んだユーグ様と目が合った。大丈夫だ、心配しないでいい。その目はそう言っているように思えた。
肩の力を抜き、身の内からこみ上げてくるような熱さに耐える。歌うような抑揚をつけた老人のつぶやきが止むと同時に、熱も急速に去っていった。老人はそのまま、私とユーグ様の手を触れさせた。
私たちの指先が触れた瞬間、ぱちんと何かが弾けるような感触があった。思わず手を見たが、そこには何もなかった。
「……術式は成功です。これで、ロザリー様は死の呪いから逃れられましょう」
老人がゆったりと微笑み、厳かに告げる。成り行きを黙って見守っていたマルセル様とカロリーヌ様が、手を取り合って微笑んでいた。ジネットが胸を押さえながら、大きく息を吐きだした。
私の胸には相変わらず死の呪いが黒々と刻まれていたが、驚くことにそれは淡く穏やかな光に包まれていた。私の鼓動に合わせて、光がかすかに揺れている。触れると、ほんのり温かい気がする。
これが何なのかは分からない。けれど老人は確かに、私が呪いから逃れられると言った。この光は、その証なのだろうか。だったら私は本当に、生き延びることができるのだろうか。
突然の事態に混乱する私をなだめるように、ユーグ様が静かに話しかけてきた。その優しい声を聞いていると、何故か泣きたくなった。
「黙っていて済まない。実は君のその呪いについて、私たちは前から知っていたんだ」
そう言うと彼はジネットに目をやった。ジネットはどこか誇らしげに胸を張り、手を振ってくる。ああそうか、彼女は私の着替えを手伝う時に、幾度も死の呪いを目にしていた。きっと彼女が、ユーグ様たちに話したのだろう。
「どうにかして君を救いたかったんだが、きっと正面から尋ねても君は答えてくれないだろうと思ってね。それで、こんな手の込んだことをしたんだ。だましうちのような真似をして悪かった」
「手の込んだことって……まさか」
宴が始まってからずっと、ユーグ様の行動はおかしかった。ジネットもそれを止めなかった。死の呪いがあらわになってからのみなの動きは、流れるような手際の良さだった。そう、まるで前もって打ち合わせていたかのように。
「ユーグ様は酔った演技をしてたのよ。あなたが白状せざるを得ない状況を作るためにね。……演技があまりに下手で冷や冷やしたけど」
「仕方ないだろう。ああいうのは不慣れなんだ」
「お忍びの演技はうまいんですけどねえ」
そんなことを笑いながら話すジネットとユーグ様をちらりと見て、マルセル様が私に向き直った。手で、私の胸元にある死の呪いを指し示している。
「死の呪いが消えてないのが気になってるみたいだけど、大丈夫だよ。もし呪いが発動しても、半分はユーグのところに行くから。全く、我が息子ながら無茶をするよねえ」
マルセル様が眉をひそめながらも、朗らかに笑う。しかし私はその言葉に絶句するほかなかった。弾かれるように立ち上がり、呆然とマルセル様を見つめる。ようやく絞り出した自分の声は、どうしようもなく震えていた。
「半分がユーグ様のところに、って……どういうことなんですか。そんなことをしたら、ユーグ様は……そんなの、駄目です」
「大丈夫よ、少々苦しむ羽目になるだけで、死にはしないから。それが『呪いを分割する』ってことなんですって。こんな状況でもユーグのことを心配してくれるなんて、やっぱりいい子ねえ」
私をなだめるように、カロリーヌ様が可愛らしく笑う。それでもまだ、本当に安心していいのかどうか分からない。
「でも……大体、どうしてユーグ様がそんなことを」
「それはもちろん、ユーグ様があなたのことを愛して」
「ジネット!」
呆然とつぶやいた私の問いにジネットが自信満々に答えかけたその時、ユーグ様が声を荒げた。彼はちらりと私を見た後、すぐに目をそらしてうつむいてしまう。緩やかに流れている黒髪の間から見えた耳は、ほんのりと赤みを帯びていた。
「……どうか今の言葉は忘れてくれ。あくまでも、私の一方的な思いでしかないのだから。君に余計な負担をかけたくないんだ」
一連の会話を、もう一度思い浮かべる。ユーグ様が私の呪いを半分受けることにしたのは、私のことを愛していたから? そんな、まさか。でも彼はジネットの言葉を止めていたけれど、否定はしていなかった。だったら、本当に?
ユーグ様は、自分の思いは一方的なものだと言っていた。でもそれは間違いだ。だって私も、ずっと前からユーグ様のことを。
胸に刻まれたままの死の呪いに手を当てる。もしこれが私の命を奪うことがないというのなら。私にまだ時間が残されていて、このままリエルで暮らしたいと思うことが、未来について考えることが許されるのというのなら。
迫りくる死を受け入れて小さく縮こまっていた心の中に、希望という名の涼やかな風が吹く。その風に誘われるようにして、口にすることすらあきらめて胸の奥深くにしまい込んでいた言葉が、ひとりでにこぼれ落ちた。優しく穏やかに、私は告げる。
「ユーグ様……私はずっと、あなたのことをお慕いしていました。ですから、決して一方的な思いなどではありません」
言ってしまったとたん恥ずかしさがこみあげてきて、両手で顔を覆う。つい勢いで思いを告げてしまったが、和平の使者が敵国の王子に言う言葉としては大変不適切だ。そのことに今さらながらに気がついて、さらに恥ずかしくなってうつむく。
自分の手でほとんど塞がれてしまった視界の中、誰かが近づいてくる気配がする。この涼やかなで優しい香りは、ユーグ様のものだ。
そろそろと指を開いて、隙間から前を見る。目の前には、ユーグ様が立っていた。彼は手を伸ばして、まだ顔を覆ったままの私の手を取る。つられて顔を上げると、優しい笑みをたたえた彼と目が合った。
ユーグ様は私の手に顔を寄せ、そっと指先に口づける。彼の澄み渡った青い瞳にはひときわ優しく、そして晴れ晴れとした色が浮かんでいた。
「……ありがとう。君の気持ち、嬉しいよ」
甘やかな彼の吐息が指先にかかる。その感触に身じろぎする私を、彼はしっかりと抱きしめた。彼の香りに包まれて、頭がぼうっとする。彼の胸元に垂らされた緩く波打つ黒髪が頬に当たって、くすぐったい。
そうして私たちは抱き合ったまま、ただ互いの体温だけを感じていた。
「あのさあ、僕たちがここにいること、忘れてない?」
呆れたようなマルセル様の声が、割り込んでくるまでずっと。




