34.秘密は白日の下に
フィリベルト王子に言い渡された残りの時間は一か月。その短い日々を、私は精いっぱい楽しむことにした。悔いのないように。
少しわがままを言ってユーグ様に時間を作ってもらい、また二人一緒に城下町に出かけた。どうせもうじき死ぬのだというあきらめが、私をいつもよりずっと大胆にしていた。
ユーグ様と共に過ごす時間は、涙が出そうなほど輝いていた。この思いを知ることができただけでも、この世に生まれて良かったと思えた。たとえ、何も残せずに儚く散るのだとしても。
空いた時間は、ジネットとお喋りに花を咲かせた。最近では、彼女はユーグ様の話をあれこれと語って聞かせてくれるようになっていた。これはユーグ様には秘密なんだけど、と前置きして。
「ロザリー様、本当にユーグ様の話が好きなのねえ」
「ええ。ねえ、もっと聞かせて。もっと知りたいの」
「そんなに知りたがるなんて、使者としての使命だけとは思えないわね。……もしかしてユーグ様のことが気になっているとか? それも、個人的に」
意味ありげな笑みを浮かべて上目遣いでこちらを見るジネットに、小さくうなずきかけた。自分に残された時間を自覚してしまったせいなのか、最近の私は自分でも驚くほど素直になれていた。
「……うん。自分の立場はちゃんとわきまえているし、言うつもりはないけれど」
その答えに、ジネットはきゃあと歓声を上げた。身を乗り出して楽しそうにささやいてくる。
「あらあ、やっぱり。だったら言っちゃえば? ユーグ様には婚約者もいないし、問題ないわよ」
「婚約者がいないって、王子なのに?」
目を丸くして答えながらも、私はこの時ようやく気がついた。リエルに来てからそれなりに経っているのに、ユーグ様の婚約者の話を聞いた覚えがないということに。ここの自由な雰囲気にのまれて気にしていなかったが、考えてみればおかしな話だ。
「リエルでは、貴族であっても恋愛結婚が多いのよ。マルセル様たちだってそうだしね」
「ああ、それは何だか分かる気がするわ」
「でもユーグ様ときたら未だに浮いた話の一つもなくって、マルセル様もカロリーヌ様もやきもきされているの。あなたが手を挙げてくれたら、きっとみんな喜ぶわ」
「そうなのかな……考えておくわ」
社交辞令でもなんでもなく、彼女は本心からそう言っているようだった。そのことはとても嬉しかったが、同時に胸が苦しくなった。
私がこの思いをユーグ様に告げる日は来ない。死を覚悟したその時から、私はそう決めていた。いずれ呪いによって私が命を落とした時に、優しいあの人をさらに悲しませるような真似はしたくなかったのだ。
そうやって半月ほども過ぎた頃、突然宴のお誘いがあった。ごく内輪の宴だから、気軽においでよ、とマルセル様は言っていた。もちろん断る理由など、私にはこれっぽっちもなかった。またもう一つ、大切な思い出を増やせるのだから。
宴の当日、笑顔のジネットに連れられてやってきた王宮の一室には、なんとも不思議な光景が広がっていた。
床には恐ろしいほど細かい模様の見事な絨毯が何枚も並べて敷かれ、その上にはふかふかのクッションが積み上げられた山がいくつも築かれている。絨毯の中央の方には果物や菓子の乗った大皿がいくつも置かれ、お茶やお酒も用意されていた。
身内の宴というにはとても豪華な、素敵なものばかりが揃えられていた。ただし、何故かその全ては床に置かれていたけれど。
戸惑う私に、クッションにもたれかかったマルセル様が上機嫌で酒杯を掲げてみせる。その隣ではカロリーヌ様が床に横座りになり、上品にお茶菓子をつまんでいる。
「ああ、やっぱり驚いた? リエルではこうやって、床でくつろぐこともあるんだよ。かしこまった場ではさすがにやらないけどね。僕は寝転がって天井を眺めるのが好きだな。ここの天井、絵が描いてあって綺麗なんだよ」
「絨毯からこっそり足を出して、こうやって裸足で床に触れると気持ちいいのよ。あなたもやってみる?」
「父さん、母さん、ロザリーが戸惑っていますよ」
自由気ままに振る舞うマルセル様とカロリーヌ様、それを苦笑しながらたしなめるユーグ様。すっかりおなじみになってしまったこのやり取りを目にできるのも、あと何回あるだろうか。
そんなことを考えた拍子に鼻の奥がつんと痛む。とっさに押さえた胸元には、あの忌まわしいペンダントの感触はもうない。そこにあるのは、いずれ私の命を奪う呪いだけだ。
喜んでいいのか憂いていいのか分からないまま黙っていると、ユーグ様が笑って手招きしてきた。すぐに微笑み返し、彼の横に腰を下ろす。サンダルすら脱ぎ捨てて自由になった足を、さわやかな風がなでていった。
身内の宴だというだけあって、参加している者はそう多くはなかった。マルセル様たちにジネット、向こうの方には私の従者だった男性の姿も見える。どこからかレミの楽しそうな声も聞こえてきた。もともと礼儀にはうるさくないリエルだが、今日は本当に無礼講のようだった。
だいたいは見知った顔だったが、一人見覚えのない人物が混ざっている。じゃらじゃらとした大ぶりの装飾品をいくつも身に着けた、真っ白な髪の老人だ。彼は他の人間のお喋りに加わることなく、ゆったりと盃を口元に運んでいた。
その悠然とした様子が何とはなしに気になったが、そんな違和感は宴の騒々しさに飲み込まれ、すぐに意識の片隅に追いやられていった。
ユーグ様は妙に上機嫌で、いつにない勢いで酒杯を空にし続けている。私たちの傍であれこれと世話を焼いてくれているジネットもそれには気づいているだろうに、何も言わないままだった。それどころか微笑みながら、新たな酒瓶を持ってくる。
普段の彼女なら、「少しお酒が過ぎるんじゃないですか、ユーグ様」とかなんとか言いながら、酒杯を取り上げてしまいそうなものなのに。
前にジネットがこっそり教えてくれたのだが、ユーグ様はあまりお酒が得意ではないらしい。王族のたしなみとして仕方なく口にすることはあるが、その場合でも潰れないようにとてもゆっくりと、注意深く飲んでいるのだそうだ。
宴の熱気にあてられたのか、水でも飲むようにすいすいと盃を干していくユーグ様をはらはらしながら見守る。彼は私の視線に気づいていないのか、ずっと笑顔のままだった。
ふと、ユーグ様が手を止めた。何かを考えているような顔をして、ゆっくりと立ち上がる。けれどやはり酒が回っていたのか、そのままふらりとこちらに倒れかかってきた。
「大丈夫ですか、ユーグ様?」
とっさに支えようと腰を浮かして手を差し伸べる。けれど体格差はどうしようもなく、結局彼の体を支えきれずに私まで尻餅をついてしまった。その拍子に、彼の手が私の肩にかかる。
次の瞬間、びり、という不穏な音が聞こえた。ユーグ様がきょとんとした顔をして私から身を離し、手にした布を見つめている。
彼の手に握られていたのは、衣装係たちが私のドレスに縫いつけてくれた飾り布だった。どうやらさっきの音は、ドレスと布を止めていた糸が切れた音だったらしい。
「済まない、怪我はなかったかな。やはり少しばかり飲みすぎていたみたいだ」
きまり悪そうに謝っていたユーグ様の目線が、ゆっくりと下がっていった。彼が見ているものに気がついて、一気に血の気が引く。気のせいか彼は、どこかいぶかしげな顔をしていた。
飾り布がなくなったことで、私の胸元に刻まれた死の呪いが丸見えになってしまっていたのだ。近づいてくる死を受け入れてしまった今でも、これについて知られたくはなかった。
これが何なのか問いただされても、私には何も言うことができない。言えばすぐに、死の呪いが発動してしまう。けれど、隠し事をしていると思われるのも嫌だった。あと十日と少し、できることなら今まで通り平穏に過ごしていたかったから。
何のわだかまりもなく、余計なことを疑われることなく、最期まで幸せに暮らす。そんなちっぽけな望みすら、ここでついえてしまうのだろうか。
恥じらう振りをして胸元を隠そうとしたが、うまくいかなかった。お酒が入っているせいなのか、ユーグ様はいつもよりも少しばかり強引に迫ってくる。私の手をそっとつかみ、妙に熱っぽくささやきかけてきた。
「変わったタトゥーだね。どうしてずっと隠していたのかな」
どう答えよう。どうすれば、この場をうまく乗り切れるだろうか。真っ白になった頭で必死に考える私の耳に、静かな声がすっと割り込んできた。
「それは『死の呪い』ですな」
いつの間に近づいていたのか、あの白髪の老人がユーグ様のすぐ後ろに立っていた。彼の目は、まっすぐに私の胸元に据えられていた。
宴はまだにぎやかに続いている。話し声と笑い声とがあふれるこの部屋で、私の周囲だけが不気味なほど静まり返っていた。




