30.戦いがもたらす傷
その日、私はジネットと一緒に城下町を歩いていた。視察から帰って以来どうにも塞ぎこみがちだった私を、ジネットが心配してくれたのだ。視察の時はあんなに楽しそうにしてたんだし、城下町を歩けば気分が変わるかもしれないわよ、と言って。
彼女が言った通り、城下町の散歩は楽しかった。屋台でちょっとしたものを食べ歩いたり、面白そうなものが並ぶ屋台を冷やかしたり。
しばらくそうやって遊んだ後、私たちは大通りにある一軒の屋台で足止めされていた。色とりどりの装飾品を取り扱うその店には、私たち以外にもたくさんの若い女性が詰めかけていた。
その店には、上質な素材を使っている割には手頃な値段の装飾品がたくさん並べられていた。大振りでありながら繊細な飾り模様の入った装飾品たちは、こちらを誘惑するように魅惑的にきらきらと輝いている。年頃の女性として、これを無視して素通りすることなど到底できっこなかった。
「あっ、この指輪可愛い」
「あらほんと、素敵ね。今度アンリ様に買ってもらったらどう?」
ここで『ユーグ様』と言わないあたりがさすがだ。彼女といいレミといい、城下町ではユーグ様のことをちゃんと仮の名で呼んでいる。
うっかり間違えて本当の名前を呼んでしまったら大変なことになるのだろうし、彼女たちの気遣いも当然といえば当然だ。万事おおらかなリエルのことだし、もしかしたら間違えてもおおごとにはならない可能性もあるけれど。
それより今は、彼女に尋ねておかなければならないことがある。
「……どうしてそこで、アンリ様の名前が出てくるの?」
「当然でしょ。指輪なんてものは、意中の男性に買ってもらってこそよ。ロザリー様はそういう人、今までいなかったの?」
意中の男性。やっぱりジネットは、私の思いに気づいているのだろうか。彼女は鋭い方だし、私はそこまで隠し事が得意な方ではない。ちなみにかつて婚約者だったフィリベルト王子は、意中の男性というには程遠かった。デルトの端から反対側までの端までより、まだ遠い。
「えっと、いなかったし……そもそも、こういうものを買ってもらうって発想がなかったの」
「あらあ、そうなの。だったらちょうどいいわね。今度アンリ様に教えておくわ、あなたはこういうのが好みなんだって」
「あの、ジネット、恥ずかしい……」
「その照れ顔はアンリ様のために取っておきなさいよ」
「だから、いい加減アンリ様の話から離れてよ、お願いだから」
先日寝ぼけたユーグ様につかまえられてしまってから、ユーグ様のことを思い出すとどうにも顔が熱くて仕方がないのだ。ジネットもそれには気づいているらしく、隙あらばこうやってからかってくる。
私たちが店先ではしゃいでいると、いきなり後ろから声をかけられた。
「済みません、あなたがロザリーさんですね」
少しやつれた雰囲気の若い女性が、いつの間にか私たちのすぐ後ろに立っていた。下がり気味の眉をさらに下げながら彼女は微笑み、小首をかしげる。
「アンリ様が、あなたのことを探しておられましたよ」
「そうなんですか? どういった用件なのでしょうか」
「今ちょっと手が離せないから、自分のところまで来て欲しい、とのことです。私が案内しますよ」
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
私がそう答えると、女性は小さく頭を下げて歩き出した。私たちがちゃんとついてきているのか確認するように何度も振り返りながら、ゆっくりと人ごみをぬうように進んでいる。その背にうっすらと黒い影がまとわりついているのが見えて、思わず身を固くする。
「ジネット、あの女性に黒い影が見えるの。何が起こるか分からないし、一応気をつけた方がいいと思うわ」
「了解。まあ、とりあえず話に乗ってみましょう」
そんな会話をしている間にも、女性との距離は開いている。リエルにしては珍しく比較的地味な格好をしているので、うっかりすると見失いそうだ。
私たちはお喋りをやめ、女性を追いかけるのに専念することにした。彼女は次第に足を速め、どんどん先に進んでいった。やがて、角を曲がって大通りから脇道にそれ、姿を消す。
続いて同じ角を曲がり、路地に入る。しかしそこにいる筈の女性の姿はどこにもなかった。
「さっきの人、どこにいってしまったの……?」
「変ね、ここは一本道なのに。ちょっと様子を見てみましょうか。ロザリー様、私の後ろから離れないでね」
ジネットが眉をひそめ、警戒しながら路地を奥に進む。私も左右に気を配りながら、彼女の後ろをついていった。
突然首に冷たい何かが押し当てられたのは、その時のことだった。
「動かないで。動くと刺さるわよ」
そんな声がすぐ後ろから聞こえる。両腕をしっかりと掴まれている上に首には何かが押し当てられている。ろくに身動きが取れないせいで確認はできなかったが、その声はさっきの女性のもののようだった。
「あなた、何をしているの!? 彼女を放しなさい!」
ジネットが振り返り、青い顔で叫んでいる。そのうろたえようからして、私の首に突き付けられているのはどうやら刃物らしい。
「嫌よ。どうせこの子には、ここで死んでもらうんだから。あんな見え見えの嘘に引っかかるなんて、ほんと純真なのね」
どこか狂気すら感じさせるほどの優しい声で、私を捕らえた女性がささやく。どうして、という私のつぶやきを聞きつけたのか、彼女はさらに優しい声で答えた。首元の冷たい感触が、さらに強く押し当てられる。
「あなた、デルトの人間なんでしょう? 前に、傭兵たちともめたって聞いたわ」
彼女の言葉に、一人で城下町をさまよってしまった時のことが思い出された。あの時、傭兵たちは私がデルトの人間だと言い当てていた。けれどそのことが、よそに漏れていたとは思わなかった。みな傭兵を恐れていたのか、あの場には誰もいないように思えたのに。
カロリーヌ様の教えが頭をよぎる。こういう状況になってしまったら、とにかく焦らないことだ。どれだけ恐ろしくても、落ち着いて相手の出方をうかがい、一瞬の隙をつくしかない。
それが分かっていても、やはり恐ろしいことに変わりはなかった。視界の端に見えている彼女の腕、そこにからみつく黒い影が濃さを増しているとあっては、なおさらだった。
けれど同時に、私は妙に落ち着き払ってもいた。今私の首に突き付けられているのは、ただの刃だ。どうにかして振り払ってしまえばいいだけの話だ。私の胸に刻まれた死の呪いとは違う。死の呪いに比べたら、こんな刃物なんて。
相反する二つの感情に戸惑う私をよそに、女性はごく自然体に、ゆったりと構えている。ジネットが真剣な目で、こちらの様子をうかがっているのが見えた。
「私の恋人ね、スサナの傭兵だったのよ。デルトとの戦で死んじゃったけど」
女性はその言葉とは不釣り合いなほど優しい声でそう言い、けらけらと笑う。
「私、リエルが嫌い。自分たちは安全な砦に引っ込んで、戦いを傭兵に押し付ける臆病者だから」
ジネットが困惑したような顔で、かすかに姿勢を低くした。女性は全く気にしていないのか、楽しげに笑いながら言葉を続ける。
「でも、デルトはもっと嫌い。あいつらが戦を仕掛けてこなければ、あの人は死なずに済んだ……デルトの連中なんか、一人残らず死ねばいいんだ!」
獣の吠え声のようなその叫びと共に、首元にさらに力が加わる。とっさに避けようとして体をそらした拍子に、私の後頭部が女性の顔にぶつかった。女性がほんの少し体勢を崩す。
その隙を逃さず、ジネットが動く。彼女は大きく跳躍すると、流れるような動きで女性の手から刃物を奪い取っていた。そのまま手をひらめかせて女性を打つと、まるで魔法のように女性が崩れ落ちる。
前にカロリーヌ様とジネットが手合わせをしていた時、ジネットが手加減をしているとカロリーヌ様が主張していたが、その言葉の意味がやっと分かった。
ジネットは強い。カロリーヌ様にさんざん鍛え上げられたおかげで基本の格闘動作は理解していたつもりだったが、ジネットの今の動きはほとんど見えなかった。彼女はくたりと力を失った女性の体を受け止めると、指笛を吹いて巡回の兵士を呼んでいる。
そんな彼女たちをぼんやりと眺めながら、さっきまで刃物が押し当てられていた首元に手をやる。薄く皮が切れていて、温かいものが一筋流れていた。
突然降って湧いた命の危機から解放されたという安堵感よりも、悔しさのようなものが胸を満たしていた。彼女の行いは許されるものではないが、彼女がそんなことをするに至った理由は、我がデルト王国にあるのだ。
私はずっと自分の命惜しさに、暗殺という密命を果たすことを考えていた。けれど周囲の人間を傷つけたくなくて、その密命からも逃げ回っていた。どうにかして逃げ切ることができるのなら、それでいいと思っていた。
でも私はデルトの貴族であり、和解のための使者なのだ。私にはもっと他に、やらなければならないことがあるのではないか。そう思えてならなかった。
首元を濡らすわずかな血は、からりとしたリエルの空気にさらされてあっという間に乾いていた。




