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26.隠し事はもう一つ

 しばらくしてユーグ様が戻ってきたので、私たちは周囲の職員に聞かれないよう気をつけながら状況を手短に説明した。


 町長の協力のもと、影をまとっていた補佐役の男性を呼び出して話を聞く。最初は訳が分からなかったらしく戸惑っていた彼は、私が例の机と書類棚に手をかけたとたん血相を変えた。


 黒い影に手を突っ込むのはあまり気分のいいものではなかったが、机と書類棚をつぶさに調べて、影をまとっているものを選び出す。男性がなりふり構わず私を止めようとしてきたが、レミとジネットにあっさりと抑え込まれていた。


 しばらくして私がより分けたのは、数冊の帳簿と一束の書類だった。他の物の間に隠されるようにしてばらばらにしまわれていたそれらをひとまとめにして机の上に置くと、男性は真っ蒼になり、床に尻もちをついた。


「ありがとう、ロザリー。これを調べるのは町長に任せるとして、私たちは組合の方に向かおうか。そちらでも、よろしく頼むよ」


 ユーグ様に頼られたことが嬉しくて、つい気合が入ってしまう。次に向かった組合の建物に入るや否や、私は建物中を駆けずり回った。


 黒い影をまとった男性が力ずくでも阻止しようとしてきたが、するりとかわして机やら棚やらを引っかき回し続ける。カロリーヌ様仕込みの護身術が、思わぬ形で役に立ってしまった。


 そしてここでも同様に、一山の帳簿やら書類やらが見つかった。組合長は一目でそれが何なのか見抜いたらしく、恐ろしく険しい顔をして口を引き結んでいた。




 後の調査を町長たちに任せて、私たちはまた港町を歩いていた。どうせ待つしかできないのだし、せっかくだから色々と見て回ろうと、そうユーグ様が言い出したのだ。


 前に城下町を歩いた時のようにのんびりと歩き、目についた屋台で昼食を買う。串に刺して焼き、いい香りのするソースをかけた魚の切り身を渡されてしまい、平静を装いながらも内心大いに戸惑っていた。ここではこれが正しい作法だとはいえ、屋外で立ったまま食事にかぶりつくのには抵抗がある。


 しかし戸惑う私をよそに、他の三人は手慣れた様子で食事を口に運んでいる。レミは豪快に、ジネットは上品に。そしてユーグ様はいつもと同じゆったりとした動きで。


 覚悟を決めて、精いっぱい大きく口を開けて魚にかぶりつく。魚が大きいせいなのか私が不慣れなせいなのかうまくかじりとれず、頬にべったりと魚の脂がついてしまった。いつもなら不快に感じたであろうその感触も、今はさほど気にならなかった。それよりも、口の中いっぱいに広がる香ばしい旨味に驚かされていたのだ。


「これ、とてもおいしいです。こんな食べ方は初めてですけど、目先が変わって楽しいですね」


「気に入ってもらえてよかった。この魚はこの地方の名産なんだよ。こうやって屋台のものを外で食べるのがまた格別でね」


「昨日の晩餐にも出てたでしょう。ほら、蒸して野菜を添えた大皿。ロザリー様が気にいってたやつよ」


「ロザリー様、とても熱心に召し上がってましたもんね。昨日の料理とこっちの料理、どっちが好きですか?」


 既に三本目の串を手にしながら、レミが何気なく尋ねてくる。しかし私には答えようがなかった。昨晩はそれどころではなかったので、何を食べたかすら覚えていないのだ。どうしたものかと少しだけ悩んだ後、恐る恐る口を開く。


「……実は、昨日の晩餐は上の空で……何も覚えてないんです。黒い影が気になっていたので」


 気まずさに目をそらした私の告白に、三人は同時に目を見張った。何とも言えない沈黙が私たちの間に流れる。


 それを打ち破ったのは、ユーグ様のどことなくいたずらっぽい笑いだった。


「そうだったのか。それはもったいないことをしたね。昨日の晩餐はとても素晴らしかったから」


「ええ、本当に。でももう黒い影のことは心配しなくていいんだし、その分もしっかり楽しめばいいわ」


「そうですよ。ここの屋台、お屋敷の食事に負けないくらい美味しいですし。俺は両方大好きですよ」


 ジネットとレミも、私を励ますように言葉を続ける。そのはしゃぎようはどこかわざとらしいようにも見えたが、二人が私のことを思ってくれているのは痛いほどよく分かった。


「……ずっと君が何かを思い悩んでいるようで、気になっていたんだよ。でももう、大丈夫だね?」


 ユーグ様が優しく笑う。三人がそうやって気遣ってくれるのが嬉しくて、また少しだけ泣きそうになってしまった。


 こくんとうなずくと、三人の顔に安堵の笑みが広がる。思い悩んでいたことを悟られていたことに少し焦りつつも、どうにかごまかせたことにこちらも安堵し、それと同時に強烈な自己嫌悪に陥る。


 確かに、私はずっと思い悩んでいる。そして、黒い影のことを隠していた。けれど本当の隠し事はそれではない。


 敵国の者である私に親切にしてくれる人たちをあざむき続けることが苦しくて、反射的に口を開きかける。私は密命を帯びているのです、という言葉が、喉元の辺りまで出てきそうになった。


 その瞬間、胸に強烈な鈍い痛みが走る。心臓を直接わしづかみにされたような、命の危険を感じる痛みだった。衣装係たちが縫い付けてくれた飾り布のすぐ下、心臓の真上に刻まれた死の呪いは、私の不穏な動きを見逃してはくれなかったらしい。


 とっさに胸元を押さえた手の中に、硬い感触がある。ずっと見ないようにしてきた、毒の仕込まれたペンダント。まるで毒蛇をわし掴みにしているかのような錯覚に、弾かれるように手を離す。


 恐怖と痛みから思わず崩れ落ちそうになる。必死に踏みとどまって笑顔を作り、背中に流れる冷や汗を懸命に無視する。三人は私の異変に気づいただろうか。もし気づかれて追及されてしまったら、もう言い逃れのしようがない。


 けれど私は、彼らに気づいて欲しいと心のどこかでそう思ってしまった。私を黒い影の恐怖から解き放ってくれたように、密命と死の呪いからも解き放ってくれるのではないか。そんな非現実的な期待をしてしまっていた。


 彼らは私の様子には気づかなかったらしく、変わらずにぎやかに話し合っている。そう、これでいいのだ。気づかれなければ、私はもう少しこの穏やかな時間に浸っていられる。それ以上を望むな。自分にそう言い聞かせながら、手にした魚にまた噛みついた。


 既に冷めてしまっていたそれは、ほんの少しほろ苦い味がした。






 ぶらぶらと町を歩き回って宿代わりの屋敷に戻ると、そこにはもう町長と組合長が顔をそろえていた。驚くほど速く、調査が終わったようだった。


 私が選び出した帳簿や書類は、全て他国との違法な取引に関するものだったらしい。一見普通の書類に偽装した上で他の書類に混ぜ込んであったため、今まで誰も気づかなかったのだそうだ。


 そして黒い影をまとっていた二人はその取引の中心人物で、これまでばれずにいたのをいいことに取引を拡大しようとしていたところだったのだと、そう自白したのだと町長たちは言った。


「彼らを放っておいたら、じきにリエル全体に違法な品が広がってしまうところだったよ。君のおかげで、早い段階で食い止められそうだ。本当にありがとう」


 一通り報告を聞いたユーグ様が、そう言って優しく笑う。けれどまだ先ほどの暗い気分を引きずっていた私には、その笑顔はまぶしく、とても手の届かないもののように思えていた。


 私にはあの笑顔を受け取る資格なんてないのに。それが分かっていながら嬉しく思ってしまう自分があまりにあさましくて、悲しくなってしまう。そんな内心を悟られないように、ただ笑ってうなずいた。

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