24.勇気を出して
三か所目の視察先は、とても栄えた港町だった。古い建物と新しい建物とが混在していて、行きかう人々の服装も恐ろしく多様だ。見た感じ、リエルの民は半分くらいしかいないのではないかと思う。雑多だけれど熱気が感じられる、生き生きとした町だった。
リエルの町は土地ごとに様々な姿を見せている。それぞれに違った魅力があって、とても興味深い。視察に出てからこっち、ずっと驚かされっぱなしだ。
ここでは町長と、あとは商人たちの組合長に面会することになっている。けれど時間に余裕があったので、先に港を見ていこうということになった。港の近くで馬車を降り、辺りを眺めながらのんびりと歩く。
「まあ、なんて大きな船……」
「あれが気になるのかな」
港に停泊していた大きな船に目を留めると、すかさずユーグ様がその視線に気づいてくれた。立ち止まって、二人並んで船を見上げる。ジネットとレミは少し離れた所で足を止めていた。私たちが話しやすいようにという配慮なのだろうか。
目の前にそびえたつ船は信じられないほど大きくて頑丈で、あちこちに修繕された跡があった。長い間風雨にさらされて細かな傷のついたその姿は、なぜかとても誇らしげに見える。
「あの船は遠くの国と貿易をするためのものだね。今は食料を運び込んでいるようだし、これから長旅に出るんだろう」
「長旅って、どれくらいかかるんですか?」
「そうだね……途中あちこちの港に立ち寄りながら、片道数か月もの旅をすることもあるよ。その間、ほとんどは海の上だ」
何か月もひたすらに船で旅するなんて、想像もつかない。祖国デルトにも海はあるし港町もあるけれど、こんなに大きな船は見たことがなかった。ましてや、船での長旅だなんて。
「船での長旅って、どんな旅なのでしょうか。私、船には乗ったことがなくて」
「残念ながら、私も体験したことはないんだ。でもきっと、楽しいと思うよ。もちろん苦労も多いだろうけど、それ以上に得られるものも多いだろうから」
「はい、そうですね。……一度、そうやって旅してみたいですね」
あなたと一緒に、という言葉が口まで出かかり、あわてて飲み込む。ここリエルの王子であるユーグ様が船で長旅に出ることなんて、まずないだろう。まして敵国の令嬢である私と一緒にだなんて、どう考えても無理だ。
「そうだね。君さえ良ければ、また改めて来るといい。リエルとデルトとの関係が改善すれば、君がただの令嬢として遊びに来ることもできる筈だから。その時は、喜んで船を貸し出そう」
そんな言葉を返してくるユーグ様にうなずき、あいまいに笑う。そんな日が来ることはないだろう。私は和平のためにここにいるのではないのだから。
最近では意識して忘れることにしていた密命のことを思い出してしまい、一気に心が重くなる。私の様子が変わったことに気づいているだろうに、ユーグ様は何も言わなかった。そっと私の背を押してうながすと、ゆっくりとまた歩き始める。
背中に優しく添えられた手の温かさが、ほんのりと心を慰めてくれる。そのことをうれしく思いながら、私はユーグ様に導かれるまま歩き続けた。
そのあとの町長たちの面会も、つつがなく終わった。やはり私は話についていけなかったけれど、表情を引き締めて様々なことを話し合っているユーグ様を見るのは楽しかった。またジネットが解説をしてくれたこともあって、分からないながらも話自体を楽しむこともできた。
ユーグ様たちの話し合いが終わった時、私は微笑みを浮かべていた。今日も無事に終わったし、楽しい時間を過ごせた。
けれどそんな幸せな気分は、その後すぐに吹き飛んでしまうことになった。久しぶりに、黒い影をまとった人間を見てしまったのだ。それも二人も。
一人は町長の補佐役の一人、おどおどとしてよく動く目をした初老の男性。もう一人は商人の組合長の配下、貧相なひげが特徴的な壮年の男性。二人とも、私にとってはなじみ深くも恐ろしい黒い影をまといつかせている。それも、かなり濃い。
これは良くない。どうにかしてこのことを、ユーグ様に伝えたい。そう思いながらも、私の口は縫いつけたかのように動かなかった。
口を開こうとするたび、フィリベルト王子のことを思い出してしまう。王子に迫っていた危機を見過ごせなかったせいで、私の運命は信じられないほど変わってしまった。私をにらみつけるフィリベルト王子の冷たくも怒りに燃えた目は、今でも脳裏に焼きついている。
彼は私のことを愛してはいなかったけれど、でも普段はそれなりに優しかった。機嫌を損ねた時に叱られることはあったけれど、あそこまで冷たい目を向けられたのはあの時が初めてだった。あの黒い影さえ見えなかったら、彼があんな表情をすることもなかっただろう。
結局何もできないまま、私たちは町長たちのもとを辞することになった。賓客を迎えるための屋敷に案内されている間も、私の頭の中はあの黒い影のことでいっぱいだった。誰と何を話していたのか、どこをどう歩いていたのか、そんなことすら覚えていられないほどに。
もう寝る時刻になっても、私はまだ上の空だった。晩餐の味なんて少しも分からなかった。あの黒い影をまとっていた二人は危険なのだと、どうにかしてユーグ様に伝えたい。そう考えては、すぐに思いとどまる。
あの二人は私にとって危険なものかもしれないが、ユーグ様にとっては危険なものではないのかもしれない。だったらこのまま。知らん顔を決め込んでいても大丈夫かもしれない。
けれどもし、あの二人がユーグ様にとって害をなす者だったとしたら。見て見ぬふりをしてしまったら、間違いなく後悔する。
あの二人を見過ごしたせいで私の身に何かが起こったとしても、それは影のことを言い出せず何も行動できなかった私の自業自得だ。でも私のせいでユーグ様が危険にさらされるなんて、考えただけで辛くてたまらない。
「ねえ、大丈夫? 夕方頃からずっと顔色が悪いけれど」
考え事をしているうちに、どうやら顔に出てしまっていたらしい。寝る準備を整えてくれていたジネットが、心配そうに声をかけてくる。
大丈夫、と言いそうになって、ふと思い直す。しばらく考えた後、恐る恐る口を開いた。
「……ジネット、少しだけ相談に乗って欲しいのだけど、いいかしら」
「私でよければ、いくらでも乗るわよ。それで、どうしたの?」
「その、例えば、の話なんだけど……自分だけが異変に気づいていて、大切な人は何も知らない。放っておいたら、大切な人に何かあるかもしれない。でも異変について知らせたら、自分が迫害されるかもしれない。もしそんな状況になったら、ジネットはどうする?」
我ながら説明が下手だと思ったが、ジネットはすぐに理解してくれたらしい。くっきりとした目を糸のように細めて笑うと、すぐに言葉を返してきた。
「私なら、異変について知らせるわね」
「どうして?」
あまりにも自信たっぷりなその表情に、思わずすがるような声を出してしまっていた。ジネットは頬に手を当てて、小首をかしげながら話し続ける。
「簡単よ。異変について話すか話さないか、そのどちらかだけでしょう。だったら後は、どっちを選んだ方が後悔しないか、辛くないか考えるだけよ」
「話さなければ、大切な人に何かがあるかもしれない。話せば、自分の身に何かがあるかもしれない……」
「そうそう。本当はあなたも分かってるんじゃないの? 自分がどうしたいか。案外、素直な気持ちのまま突き進んだ方がうまくいったりするものよ」
こちらの心を見透かしているような静かな目で、ジネットがゆっくりとつぶやく。あくまでも仮定の話として尋ねたのに、彼女には見抜かれてしまっているらしい。
「……うん。ありがとう。やっと決心がついたわ。ちょっと、行ってくるね」
彼女の目に勇気づけられるようにして立ち上がり、客室を出る。手を振って見送ってくれたジネットは、まるで母親のように優しい目をしていた。
「……ふふ、やっぱり可愛い」
扉を閉める時、そんな小さなつぶやきが聞こえたような気がした。
勢い良く客室から飛び出した私は、その足でユーグ様が泊まっている部屋に向かい、控えめに扉を叩いた。もう眠っていたのならそのまま引き返すつもりだったけれど、すぐに扉が開いてレミが顔を出した。
ユーグ様と少しだけ話がしたいと告げると、そのまま奥に通された。レミは気を利かせてくれたのか、席を外してくれた。
そうして今、私はユーグ様と向かい合って座っている。しかしいよいよ話を切り出そうという時になって、私はまたおじけづいてしまった。やっぱり、彼に嫌われるのは怖い。
ジネットの言葉をお守りのように抱きしめて、勇気を振り絞る。震える唇を励まして、どうにか言葉を紡いだ。
「昼間会った人の中に、一度調べて欲しい人たちがいます」
かすかな波音だけが聞こえる室内に、私の言葉が静かに響いた。




