表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/49

22.視察の旅へ

 カロリーヌ様の思いもかけない言葉により、私はユーグ様と共に視察に出ることになった。リエル王国に来た時は馬車の窓を閉めていたから、王都以外のところを見るのは初めてだ。きっとそこには、私の知らないものが山のようにあるのだろう。そう思うと、楽しみでならなかった。


 それに、一時とはいえマルセル様の傍を離れられるというのもありがたかった。王妃の命令なのだし、もし視察の間にフィリベルト王子から連絡があっても堂々と言い逃れができる。


 最近の私は、どうにかしてこの幸せな今を引き延ばそうと頑張ってしまっている。フィリベルト王子に対する言い訳を必死に考えてしまっているのもその一つだ。そのことを改めて実感して、一人ため息をつく。


 フィリベルト王子のことを思い出したとたん、また気分が重くなってしまった。駄目だ、せっかくの視察なのだし、王子のことも密命のことも忘れてしまおう。なんといったって、視察の間はずっとユーグ様と一緒にいられるのだ。わざわざ暗い気分に浸るなんてもったいない。


 降って湧いたような幸福に、私は出発までの数日を夢心地で過ごしていた。旅の支度をしているジネットが意味ありげに笑っているのも気にならないくらいに。






 数日後の早朝、私たちはリエルの馬車に乗って視察先を目指していた。最初の目的地は馬車で半日ほどのところにある、流通の要所なのだそうだ。


 リエルの建物は窓が多くて風通しがいいが、馬車も似たようなものだった。両側の壁は半分以上切り取られていて、残りの壁にもたっぷりと透かし彫りが施されている。


 窓の外に広がるのは、色鮮やかなリエルの風景だ。建物も木も花も、全てが生き生きとしていて楽しげに見える。


 最初にリエルにやってきた時、外を見たくなくてずっと窓を閉ざしていたことを思い出し、こっそりと苦笑する。こんなに美しい風景を拒んでいたなんて、もったいないことをしたものだ。


 軽快に馬は走り続け、馬車の中には風が吹き込み続ける。なびく髪をどうにか手で押さえながら、向かいに座るユーグ様に尋ねた。


「窓にガラスも雨戸もないみたいですけど、雨の日はどうするんですか?」


 私の問いが面白かったのか、ユーグ様は小さく笑う。いつもの穏やかな笑みに、つい視線が吸い寄せられる。彼の笑顔は、何度見ても飽きることがない。


「取り外した雨戸が、ちゃんと馬車の後ろに積んであるんだよ。それに、外側に雨除けの布を下げられるようになっているんだ。ほら、あそこだね」


 身を乗り出してユーグ様が指さす方に目をやると、馬車の上の方に小さな金具がついているのが見えた。


 なるほど、と納得したその時、ひときわ強い風が吹きつけてきた。先ほど身を乗り出した拍子に手からこぼれ落ちていた髪がふわりと舞い上がり、よりによってユーグ様の顔面に覆いかぶさった。


「あっ、済みません」


 あわてて髪をどけ、もう一度しっかりとつかみ直す。その下から現れたユーグ様の顔は、おかしくてたまらないといった表情をしていた。既に笑いがこらえられなくなっているらしく、肩が小さく震えている。


「君のその髪型だと、風の強い馬車の旅は少し大変かもしれないね。……そうだ」


 何かを思いついたらしいユーグ様が、ごそごそと懐を探っている。そこから出てきた手に握られていたのは、ユーグ様が髪を結わえているものと同じ飾り紐だった。濃い青の糸に薄い青の糸、それに銀糸を編み込んだ見事なものだ。


「これ、使うかい? 私の予備で悪いけど」


「ありがとうございます!」


 悪いも何も、とても嬉しい。ユーグ様のお下がりで、ユーグ様とおそろいだ。その喜びから、つい前のめりになってしまったかもしれない。


 飾り紐を受け取り、垂らした髪をまとめて首の横で結わえる。相変わらず風は吹き続けているが、髪がむやみやたらと舞い上げられることはなくなった。


 もう一度礼を言うと、ユーグ様はどこか照れ臭そうに笑う。そんな表情にまた愛おしさを覚えながら、私はユーグ様とお喋りを続けていた。






 最初の目的地である町は、流通の要所というだけあってとてもたくさんの荷馬車が行きかっていた。人よりも馬車の行き来を優先させているのか、街の中の道はとても広くてまっすぐだ。街のあちこちに大きな倉庫のようなものがいくつも見えていて、荷物を載せた馬車がせわしなく出入りしている。


 その建物自体も、王都のものとはまるで違っていた。王都の建物は優美な作りの色鮮やかなものが多かったが、ここでは大きな石をしっかりと積み上げた、やや無骨ながらも頑丈そうなものが多く見られた。たった半日馬車で走っただけでこんなにも雰囲気が変わることに、また新たな驚きを覚える。


「……ここには色々ないでたちの人がいるんですね」


 私たちが乗った馬車とすれ違っていく人たちの中には、デルトのものともリエルのものとも違う服装の者が多くいた。体格や髪の色、肌の色などもばらばらで、彼らが一体どこの人間なのか全く分からない。


「ああ、リエル王国は多くの国と取引しているからね。この辺りは、よその国の人間も多いんだ。その分気を配らなくてはならないことも多いけれど、私はこの町が好きだよ」


 そう言って微笑みながら、ユーグ様は道行く人々について大まかに説明をしてくれた。それがどこの国の者なのか、その国はリエルとどういった関係にあるのか。聞いたことのある国もあったし、初めて聞く国もあった。


 私の祖国であるデルト王国は他国とあまり国交がないし、隣接するリエルとは敵対してしまっている。デルトにいた頃は、こんな風に他国の人々を一度にたくさん見ることになるなんて思いもしなかった。


 一緒に城下町を歩いた時にも思ったのだけれど、ユーグ様は説明がとても上手い。無知をさらけだすような質問ばかり口にしている私に、的確な答えをすぐに返してくれる。


 あれは何ですか、あれはどこの国のものですか、そこはどんな国なのですか。まるで子供のような私の質問に、嫌な顔一つせずに丁寧に答えてくれる。


 それはとても幸せなひとときだったけれど、残念なことに長くは続かなかった。町長の屋敷が見えてきた時、私は内心舌打ちしていた。もうちょっとだけ、ユーグ様と話していたかったのに。


 もちろんそんな思いはおくびにも出さずに、私は澄ました顔で馬車から降りていった。






 お供のジネットと護衛のレミを連れて、ユーグ様と共に町長の屋敷に足を踏み入れる。町長はとても愛想良く出迎えてくれて、町の様々な話を聞かせてくれた。


 そこまでは想像の範囲内だったが、なんと私たちはそのまま、流通に関する書類や帳簿が積まれた資料室に案内されてしまったのだ。デルトの人間である私にそんなものを見せていいのかと思ったが、誰も気にしていないようだった。


 どことなく気後れしながら壁際にたたずみ、町長と話すユーグ様をじっと見る。彼は大机に広げた帳簿を前に、とても真剣な顔で町の財政と貿易について話していた。


 そうしているうちに興味が湧いて、すぐ近くで開きっぱなしになっていた帳簿にちらりと目を落とす。財政にあまり詳しくない私にも、この町が大いに栄えていることくらいはすぐに分かった。


 ここは王都よりも小さな町だというのに、毎日恐ろしいほどのお金が動いているのだ。こうしてみると、我がデルト王国はあまり豊かだとは言えない。いや、どちらかというと貧しいのかもしれない。


 そうこうしているうちにも、ユーグ様と町長の会話はさらに難しいものになっていた。どうにかして二人の話を理解しようと目を白黒させていると、少し離れたところで控えていたジネットがそっと近づいてきた。そのまま私の腕を引っ張って、少し離れたところに連れていく。


「どうしたの、ジネット?」


「話が難しくなってきたから、大まかに解説してあげるわ。細かいことは後でユーグ様に聞けばいいわよ。きっと、喜んでくれるから」


 ありがとう、と微笑むと、ジネットは小声で説明を始めた。とてもざっくりとしているけれど、その分理解しやすい。


 説明が一段落ついた時、不意に彼女はいたずらっぽく笑った。聞こえるか聞こえないかぎりぎりの声で、ささやきかけてくる。


「ねえ、こういう時のユーグ様って結構素敵でしょう?」


 その言葉に、思わずびくりとした。彼女は私の心境を、ぴたりと言い当てていたのだから。


 取り乱しそうになったのをごまかすように、あわてて呼吸を整える。わくわくしながらこちらを見るジネットに、無言でうなずきかけた。彼女がぱっと顔を輝かせる。


 彼女の言う通り、今のユーグ様はとても素敵だ。凛としていて、未来のリエル王国を背負う者としての威厳と貫禄がにじみ出ている。フィリベルト王子なんかより、よっぽど立派だ。


 でも、ユーグ様が素敵なのは今に限ったことではない。いつもの穏やかな笑みにはとても癒されるし、困ったような笑顔にも惹きつけられる。かつて私と距離をとっていた時によく見せていた物思いにふける姿も、愁いを帯びて美しかった。


 もっともあの頃は、ユーグ様に避けられているのではないかという悩みが心に重くのしかかっていて、そんなことを考える余裕はなかった。あんな思いは、二度としたくない。


 次々と心の中に浮かんできた思いを隠すように、素知らぬ顔をして立ち続ける。私が考えていることを知ったら、きっとジネットは大はしゃぎするような気がするのだ。


 ただはしゃぐだけなら問題はないのだけれど、何だかそこからとんでもない方向に発展していきそうな気がする。根拠はないし、ただの勘だけれど。


 もう一度、ユーグ様に目をやる。凛々しい横顔を見ながら、ほんの少し口元に笑みを浮かべた。こうやって彼を見つめていられるなんて、私は幸せ者だ。そんな思いが、胸を満たしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ