21.(女たちのお喋り)
ロザリーとユーグが視察の旅に出る前夜、カロリーヌの部屋をジネットが訪ねていた。
「あら、いらっしゃい。待っていたわ」
王妃の部屋を女官長が訪ねているとは思えないほどの気安さで、カロリーヌがジネットを招き入れる。
「視察についてお話があるとのことですが、何でしょうか」
ジネットもまた、この旅に同行することになっている。ジネットは慣れた動きで勧められた椅子に腰を下ろした。
「あのねジネット、あなたがどうして視察についていくことになったのか、その理由が分かっているのか確認したかったのよ」
カロリーヌの問いに、ジネットはわずかに目を見張り、指折り数えながら答える。
「私が視察に同行するのは、ロザリー様の身の回りの世話と、いざという時の護衛のため。そうですね」
「ええ。でももう一つ、大切な任務があるのよ。気づいているとは思うけど」
小首をかしげてそう答えるカロリーヌに、ジネットは苦笑で答えた。
「……やはりそうでしたか。というよりも、視察の真の目的はそれですね?」
「ふふ、やっぱり分かっちゃう?」
「ばればれですよ。もっとも、あの二人は全く気づいていないようですけど」
ジネットは手を頬に当て、何かを思い出しているのかのように目線をそらしている。
「ロザリー様、こっちまで嬉しくなるくらいはしゃいでましたよ。視察が楽しみなのか、ユーグ様といられるのが楽しみなのか」
「後の方だと、わたしも嬉しいのだけれど。……それにしてもロザリーは、いい子ね」
カロリーヌが遠くを見るような目をして、ほんのわずかに苦笑する。
「彼女が何かを隠しているみたいだってあなたたちの報告にはあったわね。わたしもそれには同意するわ。でもいつかきっと、彼女はちゃんと打ち明けてくれる。そんな気がするの」
「そうですね。私もそう思います」
どこかしんみりと答えたジネット。カロリーヌもしばらくの間黙りこくっていたが、やがて小さく息を吐いた。
「それでね、さっき言った任務なのだけれど」
「じれったいあの二人の仲が少しでも進展するよう、死力を尽くす」
「さすがジネットね。大正解よ」
間髪入れずはきはきと答えたジネットに、カロリーヌははしゃぎながら拍手を送る。
「珍しくユーグが女性と親しくなった、そのことはとてもいいことなのだけれど……あの子、がっちがちの堅物で、恐ろしいほどの奥手だから。たぶんわたしやマルセルが近くにいるとやりにくいと思うのよ。だからあなたにお願いするしかないの」
「視察というのはうってつけですよね。調子を狂わせてくるご両親と離れられる上に、旅の解放感からつい羽目を外しがちになる。関係を進展させるにはちょうど良いかと」
「羽目、外してくれるかしら……ロザリー相手にずっと仕事の話をしたりしないか、そこが心配なの」
カロリーヌが眉間にしわを寄せてつぶやく。ジネットもああ、と力なくうなって天を仰いだ。
「それ、ありそうで怖いですね。ロザリー様はそれでも楽しまれるでしょうけど。ユーグ様と話せるなら何でもいいって感じでしたし」
「いいえ、絶対に駄目よ。もしそうなりそうなら全力で止めてね、お願いよ、ジネット」
「はい、カロリーヌ様。あの二人の好きにさせておいたら、いつまでたっても仲が進展しなさそうですし」
「そうなのよ。生まれてこの方一度も浮いた話のないユーグの、きっと最初で最後の好機だもの。ここを逃がす訳にはいかないわ」
「その相手がデルト王国からきた和平の使者だっていうのも、不思議な巡り合わせですよね。……おそらくデルトの動きには何か裏がありますし」
ジネットの言葉に、カロリーヌはおっとりとした笑みを引っ込める。その瞬間、彼女の雰囲気が大きく変わった。そこにいるのは、荘厳で気高い、一国の王妃という立場にふさわしい女性だった。
「そうね。でも、何も問題ないわよ? デルトが何を考えているとしても、きっちり対策しておけばいいだけだもの」
口調こそ普段と変わらなかったが、その澄んだ声はどこか冷徹な響きを帯びていた。対するジネットも、普段のおおらかな表情が嘘のように顔を引き締め、ゆっくりとうなずいている。
「ロザリーは表向き、和平の使者ということになっているのでしょう? だったら、彼女がユーグと結ばれてしまえば、和平に向けて大きな一歩を踏み出すことができるわ」
可愛らしく頬に手を当てる仕草は、いつもと変わらない。けれどカロリーヌの瞳には、王妃の名にふさわしい気高さと思慮深さが浮かんでいた。
「彼女はもうデルトの王子の婚約者ではないのだし、デルト側が表立って苦情を言うことはないでしょう。もし言ったとしても、わたしが黙らせてやるわ」
凛としたその言葉に、ジネットが礼儀正しく顔を伏せたままかすかにうなずいた。
「正直ね、デルトがちょっかいをかけてくるのがいい加減うっとうしかったのよ。彼らがおとなしくなってくれれば、あのスサナの人間を雇う必要もなくなるのだし」
そこまで一気に言ってしまうと、カロリーヌはふう、と息を吐きだした。張りつめていた空気がふわりと緩み、彼女はまた元通り穏やかに小首をかしげている。
「ちょっと喉が渇いちゃったわ。わたしの用事はこれで終わったけれど、もうちょっとだけお喋りしましょう? 外交先で、面白いお茶菓子をもらってきたから」
ゆっくりとした可愛らしい声に、ジネットも微笑むと立ち上がる。慣れた動きでお茶の支度をしているジネットを、カロリーヌはにこにこと笑いながら見つめていた。
眠りを誘う薬草茶を飲みながら、二人はのんびりとお喋りを楽しんでいた。しかし話題はいつの間にか、ユーグのことになっていた。カロリーヌがため息をつきながら、ジネットに愚痴をこぼす。
「あの子は小さな頃から真面目だったけれど、いくら何でも年頃になれば、そのうちどこかの令嬢を見初めてくるだろうって思ってたのよね。もしかしたら、あなたとくっつくかな? とも思ってたのよ」
「それは遠慮します。私にとってユーグ様は、掛け値なしに弟のようなものですから」
「あなたも変わらないわね。『自分より強い男でないと嫌だ』だなんて、その分だと本気で嫁ぎそこねるわよ」
「それは、まあ。それならそれで、ええ」
風向きが自分に不利な方に変わりかけていることを察したジネットが、困ったように言葉を濁す。彼女の目線が、机の上に置かれたお茶菓子の上で止まった。とっさにそれを口にし、少々大げさに目を見開いてみせる。
「あっ、確かに面白いですね、このお菓子。見た目と味が全然かみ合ってなくて」
「そうでしょう。しょっぱいのかしらと思って口に入れると、猛烈に甘いのよね」
話をそらそうというジネットの意図は分かっているだろうに、カロリーヌもお茶菓子を口に入れ、何をどうやったらここまで甘くなるのかしら、などと笑っている。
そんなカロリーヌにかすかに頭を下げると、ジネットはわざとらしく明るい声を出した。
「それで、ユーグ様の話の続きなんですが」
「ああそうそう、ユーグのことね。どこまで話したかしら」
「いずれ誰かを見初めてくるんじゃないか、と思っていたところまでですね」
「そうだったわ。わたしもマルセルもそんな風にのんびり考えていたのよね。それで放っておいたら、なーんにも起こらないままになっちゃって。いい加減身を固めてもらわないと、後継ぎの話がややこしくなっちゃう。でもだからって、今さら政略結婚を押しつけるのも可哀そうだし」
「ユーグ様は堅物で不器用ですからね……ロザリー様をしょんぼりさせた時は、一発殴ってやろうかと思いましたから」
「まあ、そんなことがあったの? 詳しく聞かせてちょうだい」
カロリーヌが身を乗り出す。もう深夜近くなっているというのに、その目はきらきらと輝き活気にあふれていた。
これはもうしばらく帰してもらえないだろう、とそっと苦笑しながら、ジネットはうながされるままに話し続けることにした。