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2.残酷な密命

「調査の結果、お前が叩き落とした茶には毒が入っていたことが判明した。それも、猛毒だった」


 豪華な牢獄の椅子に腰かけた私を冷たい目で見下ろすと、フィリベルト王子はそう告げた。嫌な予想が当たっていたことに舌打ちしたいのをこらえながら、私は精一杯無表情を貫いていた。そうでないと、泣き出してしまいそうだったから。


「お前が突然不可解な動きをしたことといい、お前は何らかの形でその毒に関与しているのだろう。私と大臣たちは、そう結論づけた。おそらく、私に毒を盛ったはいいものの、最後の最後でおじけづいた、そういったところなのだろうと」


 話している間にも、フィリベルト王子とその連れの影はどんどん濃くなっていく。違う、そうじゃないんです。そう反論したくても、恐ろしくて声が出なかった。


「王子たる私に毒を盛ったのだ、お前は死罪を逃れることはできん。当然ながら、私とお前との婚約も破棄される。罪人が王子と婚約など、ありえないからな」


 その言葉に、こんな状況にはふさわしくない笑みが浮かびそうになった。婚約が破棄されるということが、何故か嬉しく思えてしまったのだ。そもそも私は、まさに死罪を宣告されているところだというのに。


「……ただ、私はお前に一つだけ、贖罪の機会を与えてやろうと思う。何といってもお前は、一応は私の婚約者だったのだからな」


 不意に声を和らげて、フィリベルト王子が笑う。その笑顔といったら、薄気味が悪いとしか言いようがないものだった。


 と、彼の傍に控えていた近衛兵が進み出て、私の両腕を乱暴に押さえつけた。突然のことに何も言えないでいると、今度は宮廷魔導士が近づいてきた。彼は私の胸元、ちょうど心臓の上に手を当てて、口の中でぶつぶつと何かつぶやいている。その手がぼんやりと光り始めた。見るのは初めてだが、きっとこれは何かの魔法だ。


 真っ黒な影法師のようにしか見えない四人に囲まれて、得体のしれない魔法をかけられている。身の毛がよだつような恐怖を感じ、どうにかして逃れようと身じろぎする。けれど、しっかりと押さえつけられた腕はびくともしなかった。


 胸元が熱くなり、体中にきしむような痛みが走る。怖くてたまらない。逃げ出したい。誰か、助けて。


 どれくらい時間が経ったのか、私をさいなんでいた苦痛がぴたりと止んだ。宮廷魔導士はそのまま私の左腕をとって、金色の腕輪をはめる。その細い腕輪は、気味が悪いくらい私の腕にぴったりと張り付いていた。


 何が起こっているのかは全く分からなかったが、状況が悪くなっているということだけはすぐに見て取れた。だって左手の腕輪には、ぼんやりとした黒い影がまとわりついていたのだから。


「ロザリー、お前に密命を与える。敵国リエルにおもむき、王の命を奪え」


 成り行きを見守っていたフィリベルト王子が、見下したような視線をこちらに向けながらそう言った。


「今お前にかけたのは『死の呪い』だ。お前が私以外の誰かに密命について何らかの形で伝えれば、その呪いがお前の命を奪う。同じように、呪いについて口外することもできない」


 告げられた恐ろしい事実に、震えが止まらない。そんな私を満足そうに見下ろして、彼は優越感をあらわにしたまま話し続ける。


「それだけでなく、こちらからその呪いを発動させることもできるのだ。もしお前が密命から逃げたら、いつでも呪いを発動させてやるからな」


「……敵国に送り込んで、王を暗殺させる。私は使い捨ての駒になるのですね」


 あまりにもめちゃくちゃな事態に逆に冷静になってしまい、思わずそう口走る。フィリベルト王子はまた口元をゆがめた。黒い影のせいでよく見えないが、笑っているらしい。


「そうでもないぞ。首尾良く密命を果たせた暁には、お前の罪は不問としてやろう。死の呪いも解いてやる。もっとも、無事にこちらまで逃げてくることができれば、の話だが」


 なるほど、私にはまだ一応希望が残されているらしい。他の絶望が深すぎて、どこに希望があるのか見失いそうではあるけれど。


「我がデルト王国と敵国リエルとの戦争は、もうずっとこう着状態のままだ。私は王子として、それをずっと苦々しく思っていたのだ。お前がうまく密命を果たせば、戦況はこちらに有利になる。いわばお前は、救国の英雄になるのだ」


 そう言いながら笑うフィリベルト王子の横顔は、妙に勇壮でそのくせ嫌悪感をもよおすものだった。


「かつてのお前には、私の妻として子をなし王家の血をつなぐという使命があった。その使命が、少しばかり変わっただけだ。そうだろう?」


 勝ち誇ったようにそう言うと、彼は黙ったままの私を置いて立ち去ってしまった。元通りの静寂が辺りに満ちる。


 あのお茶にからみついていた黒い影を無視できなかった自分に、腹が立ってたまらなかった。それ以上に、悔しくてたまらなかった。薄々そんな気はしていたけれど、フィリベルト王子にとって私はただの道具でしかなかったのだ。今までも、そしてこれからも。


 部屋の静けさをかき乱さないように、私は声を殺して静かに泣いていた。






 それから数日後、私は敵国リエルに向かう馬車に乗っていた。表向きは、和平のための使者として。


「君が私に手を上げたこと、その結果として婚約を破棄しなければならなくなったことは残念だよ、ロザリー。どうかリエル王国で、無事にその任を果たしてくれ」


 フィリベルト王子はそんな白々しいことを言いながら、私をにこやかに送り出していた。彼の周囲には着飾った令嬢たちが集まり、彼に熱い視線を送っていた。その目つきは、空席になった婚約者の座を虎視眈々と狙っているようだった。


 馬車の窓をきっちりと閉めて、力なく座席にもたれかかる。これから私は、敵国リエルに向かう。王を暗殺するために。それはとても恐ろしいことだったけれど、今はフィリベルト王子の顔を見なくて済むことがただひたすらに嬉しかった。


 私の胸には美しい細工が施されたペンダントが下がっている。この旅に出る直前、フィリベルト王子から贈られたものだ。もちろん、ただの贈り物ではない。中には少量で人を殺せる猛毒が封じられているのだ。武器の類が全く扱えない私にとって、密命を果たすにはなくてはならないものだ。


 ペンダントの下、服で隠れた胸元の肌には、あの死の呪いが黒々と浮かび上がっている。これのせいで、鏡を見るのがすっかり嫌になってしまった。


 ため息をつきながら、ペンダントごと胸元を押さえる。その拍子に、左手首の腕輪が目に入った。魔法で私の腕に留められていてどうやっても外せそうにないこの腕輪は、遠く離れた相手と会話するためのものらしい。折を見て状況を尋ねるから、くれぐれも手を抜くなよ、とフィリベルト王子は念を押していた。


 ぼんやりとした黒い影をまとったペンダントと腕輪をのろのろと見る。ペンダントを服の下にしまい、袖を引っ張って腕輪を隠した。


 そのままただ一人、ぼんやりとうつろに宙を見つめていた。悔しさはまだ胸の奥にくすぶっていたけれど、もう涙は枯れ果てていた。


 閉めたままの馬車の窓に目をやり、これから向かう場所に思いをはせる。リエル王国は我がデルト王国の東隣に位置する国で、我が国と三百年近く領土争いを繰り広げている不倶戴天の敵だ。


 リエル王国の連中はみな粗野で好戦的、礼儀に欠け人道にもとる最低の人間たちだ。それは我がデルト王国では小さな子供でも知っていることだ。そんなところに放り込まれるなんて、正直言って死罪の方がましだったかもしれない。


 きっとリエル王国はどこもかしこも真っ黒に見えるのだろう。私にとってあの国は、危険そのものを意味するのだから。


 時折見えるあの黒い影には、いつまでたっても慣れない。見るたびに寒気がして、恐怖に叫びだしそうになるのだ。毎日のようにあの黒い影をたっぷりと見続ける暮らしというのは、それだけで拷問のようにも思えた。


 だから、デルトとリエルの国境を越えてからは、私は一度も馬車から出なかった。食事も睡眠も、全て馬車の中で済ませた。真っ黒な国を見るのを、少しでも先延ばしにしたかったのだ。


 リエルの王都に近づくにつれ、次第に気温が上がっていった。それでも私は馬車の窓を細く開けただけだった。暑さによる不快感よりも、外を見る恐怖の方が勝っていたから。


 誰も見ていないのをいいことに、ドレスの首元をくつろげて風を送る。そっと汗を拭いながら、ただひたすらに耐え続けた。






 そうして国境を越えて数日ほど経った頃、馬車の扉がためらいがちに叩かれた。


「リエルの王宮に到着いたしました、ロザリー様」


 扉の向こうから、遠慮がちな中年男性の声がする。彼は、私につけられたたった一人の従者だ。彼がここまで馬車を操り、食事の調達をしてくれたのだ。


 旅の途中、彼の口からその身の上話を聞く機会に恵まれた。けれどその内容ときたら、思わず頭を抱えたくなるようなものだった。


 デルトの王宮でも最下層の文官だった彼は、仕事でささいなへまをやらかした。それだけならよくあることだ。しかし不運な偶然のせいで、彼の失態はフィリベルト王子の知るところとなり、しかもその逆鱗に触れてしまったらしい。


 何のことはない、彼は私と似たような立場だったのだ。己の罪を償うために、捨て駒として敵国に放り込まれた人間。


 彼はそんな過去を語った後、和平の使者に同行するという贖罪の機会をくださった殿下には、感謝してもし足りませんと弱々しい声で付け加えていた。けれどその瞳は、ずっと落ち着きなく動き続けていた。これから向かうリエル王国が恐ろしいのか、それとも彼をこんな苦境に立たせたフィリベルト王子のことを思い出しているからなのか、私には分からなかった。


 それからの旅の間、ずっと彼はおびえたような態度を崩すことがなかった。けれど今私を呼んだ彼の声は、どことなく快活な響きを帯びてはいなかったか。少なくとも恐ろしい敵国の、それも王宮を前にしているとは思えない明るい声だった。


 どういうことだろう、といぶかしみながら恐る恐る馬車の扉を開ける。そこに広がっているであろう真っ黒な風景を見たくなくて、ぎゅっと目をつぶったまま。


 温かい風が吹き込んできて、私の顔をなでた。甘い花の香りとつんとした香辛料の匂いが混ざりこんだ、とてもかぐわしい風だった。たっぷりとした日の光が惜しみなく降り注いでいるのが、閉じたまぶた越しにもはっきりと分かる。風と日差しの温かさに励まされるように、そろそろと目を開ける。


 目に飛び込んできたのは、鮮やかな色が入り乱れた美しい王宮の姿だった。そこには黒い影など、ひとかけらもなかった。

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