19.けだるい午後
私が城下町でスサナの傭兵に襲われたことで、マルセル様とユーグ様はさらに忙しくなってしまった。私のうかつな行為が、リエルとスサナの関係に影響を与えてしまったのかもしれないと謝罪しに行くと、二人は前以上に疲れた顔をこちらに向けながら、それでもいつも通りに笑いかけてきた。
「いや、むしろちょうど良かったよ。スサナのお偉いさんが、最近どうにも図々しくなっててね、ここらでがつんと言ってやらないとなあって思っていたところだったんだ」
「それに、謝るのは私たちの方だ。デルト王国の客人である君を、危険な目に合わせてしまうなんて」
「そうそう。忙しいからって君を放り出してた僕たちが悪いんだから。……ただもうしばらく、君のことをかまってやれそうにないんだよね」
そんなことを話しながら、二人は困った顔を見合わせる。これ以上二人に迷惑をかけたくなかったので、私はあわててお辞儀をした。
「いえ、どうぞお構いなく。もう勝手に外出したりしません。それに、あれ以来ジネットがずっとついていてくれますから」
「そうか、だったら大丈夫だね」
私の言葉にうなずきあうと、二人はまたすぐに執務に戻っていってしまった。
二人の前を退出した私を、部屋の前で待っていたジネットが出迎える。先日の事件の詳細を聞いたジネットは目をつりあげて、「こうなったらあなたの身は私が守るから!」と宣言していた。そしてその宣言通り、彼女はずっと私の傍から離れようとしない。
今日はいつもよりも暑く、王宮を吹き渡る風もどことなくぬるい。けだるい午後を、私は自室でジネットとお喋りしながら過ごすことにした。
「ねえ、一つ聞きたいことがあるの」
「なあに? 何でも聞いてちょうだい」
大きな植物の葉を加工した団扇でゆっくりと私をあおぎながら、ジネットがひどくゆっくりと答える。生粋のリエルっ子である彼女も、この暑さには少しうんざりしているようだった。
「私、スサナのことはほとんど知らないの。彼らはここリエル王国で、いったい何をしているの?」
その問いに、ジネットがどこか気まずそうな顔をした。苦笑しながら、言い含めるように説明を始める。
「スサナには武勇に優れる人間が多くて、そこの男たちはあちこちの国に傭兵として出稼ぎに行っているのよ。リエルにいるのは、全部国が雇った傭兵ね。彼らの仕事は……デルト王国からの防衛」
思わず目を丸くする私に、ジネットは小さくため息をつくと肩をすくめてみせた。
「あいつら馬鹿がつくほどの戦好きだから、勝手に敵に突進してくれるのよね。戦場では問題ないんだけど、たまに街に出てきて悪さをするのがいるのよ。あなたが出くわしたのも、そんな連中の一人ね」
「確かに、あの傭兵たちは荒っぽくて乱暴で、すぐに剣を抜いていたわ」
「でしょう? 本当、災難だったわね。街のみんなもスサナの傭兵にはおびえ切ってるし、何とかしないとって陛下もユーグ様もずっとおっしゃってたところだったのよ」
城下町で彼らに遭遇した時に、ユーグ様が来るまで誰も助けに来なかったのはそのせいだったのか。周囲に立ち並んでいた建物の中にいた人たちは、粗暴な傭兵を恐れて出てくることすらできなかったのだ。
そう納得したところで、ふとある可能性に思い至った。
「だったらもしかして、デルトの兵と戦っているのはほとんどがスサナの傭兵だったりするの?」
「たぶんね。リエルの兵は国境の砦の防衛にかかりっきりで、外にはほとんど出ないって聞いてるし。デルトの兵が砦のところまでたどり着くことは、めったにないらしいわ」
城下町で出くわした二人は、私がデルトの者だとすぐに見抜いた。その理由がずっと謎だったのだけれど、そういうことなら納得もいく。彼らは、今までにデルトの人間と会ったことがあるのだ。戦場で。
思わず眉をひそめながらも、私の胸の内にはある考えが浮かんでいた。
戦いから戻ってきたデルトの兵は、リエルの兵はとてつもなく恐ろしい存在だと語っていた。だから私たちデルトの民は、リエルを恐れ嫌っていたのだ。けれどデルトの兵が戦っていたのが、リエルの兵ではなくスサナの傭兵だというのならば。
リエルの実態とスサナの傭兵について正しい知識を広めることができれば、デルトの民の誤解も解けるかもしれない。そうすれば、デルトとリエルが本当に和平を結ぶことだって。
希望に浮き立つ心が、すぐに冷たく縮こまっていく。今の私に、そんな幸せな未来を描くことはできない。私がデルトに戻る時には、もうマルセル様はいない。たとえ誰にも気づかれなかったとしても、私はリエルにとって許されざる敵になっているのだ。
急に黙り込んでしまった私を、ジネットはそっとしておいてくれた。
なんとなくお互い黙ったまま、時間がゆったりと過ぎていった。日も傾き始め、ようやっと涼しい風が吹き始める。
そんな風に乗るようにして、鈴を転がすような可愛らしい声が聞こえてきた。
「こんにちは、ちょっといいかしら?」
おっとりとしたその声に、ジネットが素早く立ち上がった。大股で入口に駆け寄る。
「カロリーヌ様、お戻りになってたんですか!」
「ええ。お客様のことが気になったから、ちょっとだけ予定を動かして早めに戻ってきちゃったのよ。ジネット、使者さんと会いたいのだけれど、今いいかしら?」
その言葉を聞いたジネットがこちらを向く。彼女にうなずきかけ、そのまま立ち上がった。記憶が確かなら、今訪ねてきているのはこの国の王妃その人だ。
すぐに、一人の女性がしずしずと部屋に入ってくる。けれどその姿は、想像していたものとはまるで違っていた。
黒い髪を結い上げて、花と宝石で飾っている。身にまとっているのは優しい薄紫色の衣。マルセル様の妻にしてユーグ様の母である筈の彼女は、不思議なほど若々しく見えた。
一瞬、彼女はユーグ様の実の母ではないのかもしれないと思ったが、緩やかに波打つ黒い髪ときらきらと輝く鮮やかな青い瞳は、ユーグ様のそれととても良く似ていた。
ほっそりとして華奢な首を可愛らしくかしげて、彼女は私に話しかけた。
「あなたが使者さんね? わたしはカロリーヌよ。会えて嬉しいわ」
「デルト王国の使者、ロザリーと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
高く澄んだ声で、カロリーヌ様はゆっくりと歌うように話す。思わず聞きほれそうになっていると、彼女は小さな細い手をぱんと打ち合わせた。
「マルセルたちから聞いていた通り、可愛らしいお嬢さんねえ。ふふ、素敵」
「カロリーヌ様もそう思われますか?」
「大体のことはマルセルから聞いていたけど、思っていたよりずっと可愛い子ね。わたしも彼女と仲良くなりたいわ。あなたたちばっかりずるい」
「まあまあ、カロリーヌ様は外交の途中でしたし、仕方ありませんよ。でもこれからは特に予定はないですよね?」
「ええ、大仕事を終えてきたばかりだし、しばらくは休暇よ。さあ、何をして遊ぼうかしら」
ぽかんとする私を置いて、カロリーヌ様とジネットは勝手に盛り上がっている。と、カロリーヌ様がつま先でくるりと回り、こちらに向き直った。妖精のような軽やかな動きだった。
「そういうことだから、しばらくはわたしに付き合ってね、ロザリー。ユーグはしばらく忙しいみたいだし、いいでしょう?」
どうしてそこでユーグ様の名前が出てくるのか、と思いながらも無言でうなずく。カロリーヌ様は可憐に笑うと、じゃあまた明日ね、と言って出ていった。彼女がまとっていた甘い花の香りだけが後に残された。
「……ロザリー様、やっぱりびっくりしちゃった?」
「ええ、驚いたわ。あの方が、ユーグ様の母君だなんて」
「やっぱりそこに驚くわよね。あれじゃあユーグ様の年の離れた姉、って言っても十分通るもの。いつかその設定で、ユーグ様のお忍びについて行ってやるんだって息巻いてらっしゃるの。ユーグ様はそれだけはやめてくれ、って必死で止めてるみたいだけど」
「姉弟……」
二人の姿を思い浮かべて、並べてみる。確かに、母子というよりも姉弟と言った方がしっくりくる。型破りなマルセル様の妻だけあって、カロリーヌ様も中々に癖のある方のようだった。
けれど私の口元には小さな笑みが浮かんでいた。型破りな王妃様について、戸惑いよりも興味が勝ってしまっている。私もそれなりに、ここになじんできているのかもしれない。
「ともかく、明日からは退屈してる暇なんてないわよ。カロリーヌ様がああ言ったからには、確実に何かが起こるから」
ジネットが心底楽しそうに、意味ありげな笑いを寄こしてくる。苦笑でそれに答えながら、明日から起こるらしい騒動に思いをはせた。